夢の狭間で 〜(1)〜
パンッ
突然の耳元で響いた破裂音にレッドは身を硬くした。
断続的に空気を震わすその音は、しかし決して攻撃の音とは程遠い。
レッドは緊張を解いて背筋を伸ばした。
破裂音はいまだに続いている。
その音はどこか―――、感覚でいえば良い思い出と共に――聞き覚えがあるもので、その事がレッドの緊張をとかしたのであった。
あたりはどことなく薄暗い。宵のうちに迷い込んだような錯覚をおぼえながら、レッドは何か見えないものかとあたりを見回した。
「レディース・アーンド・ジェントルマン!! 大変長らくお待たせいたしました!!!」
その声は、突然鳴り響いた。
ズドドドドド・・・・と、小太鼓載の連打の音が暗闇に響き渡り、それに呼応するようにあたりがライトアップされていく。
赤、青、黄、と、熱いほどの光量の中、その青年は反比例するかのように、黒色だった。
レッドよりも一段高い、ステージと思われるところで両手を天に仰いでいる青年の髪は黒、眼は黒。
同じく黒いスーツに身をつつみ、唯一ネクタイだけが赤い。
ホストみたいな格好だと言えば妙に納得できるような、そんな青年は満面の笑みでレッドを見た。
「――って、レディーいないじゃん!?」
と、手にした帽子を足元にたたきつけた。
レッドがぼうぜんと見つめる中、青年はしゃがみこんで、人選ミスだとかなんとかぶつぶつとつぶやいている。
とにかくレッドはこの未曾有の危機を脱するため、ひじょーに関わりあいを持ちたくないか、目の前の未知の物質に話しかける事を心の中で決心した。
・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・苦渋の選択。
「あの、スミマセーン。ちょっといいですか?」
「・・・ああ、はいはい。」
青年はその場で腰をおちつけレッドと向き合う。
いつのまにか明るくなった空間の下でよくよく見ると、青年は賓客に用いられるような長テーブルの上に立っていて、
レッドはそのテーブルの上座か下座のかたわらの位置に立っていたのだった。
「んで? 何?」
「ああ、えーと、あなた誰ですか?」
「僕? 僕はオルト。夢の魔人、オルト・ベンカンさっ」
親指をぴっとつき立て白い歯で微笑んだ彼は、嫌味なほどさわやか系だった。
レッドは痛む頭をかかえる。
コウイウタイプとは関わりあいになるな、とレッドの本能が忠告していた。
「―――茶ぁ、いるかい?」
「・・・イタダキマス」
「そりゃけっこう」
オルトが宙に左手をかざすと、どこからともなくティーポットが出現し、さらに右手にはティーポットが現れる。
湯気をたててそそがれる紅茶をぼんやりと眺め、レッドはポツリと尋ねた。
「ここは、どこ、ですか?」
「夢」
オルトの答えは簡潔だった。
簡潔すぎて良く分からない。
レッドはしばらくその答えを租借し、ある一つの結論を導き出した。
「夢オチ?・・・ってえ!?」
レッドは頭をかかえしゃがみこむ。
オルトの容赦ない手とうがレッドの後頭部を直撃したのだ。
半端じゃなくメチャ痛い。
こみあげてくる熱い涙をぐいとぬぐい、レッドはここは一つ文句を言おうと立ち上がった。
「ほれ」
レッドの鼻先に、湯気のたつ香りよい紅茶が差し出される。
出鼻をくじかれたレッドは条件反射でそれを両手で受けとっていた。
「いまさっきの、痛かっただろ?」
オルトは自分の分をそそぎながら言う。
「痛覚はもとより、嗅覚、視覚、その他もろもろ、全て現実と同じように設定しております。
ココは夢の世界だけど現実と無関係というわけではないわけだね。
レム睡眠よりさらに上。
目覚めの一歩手前。
夢と現実がミックスジュースになったところ。
―――そういう風にぼく様がんばって造ってんだからさぁ。
『夢オチ』なんて言葉でかたずけられたら心外な訳だよ、し・ん・が・い!」
「はぁ・・・」
オルトはそういい終えるとあごで椅子に座るようにうながし、そして紅茶を音もなく飲んだ。
長テーブルは無意味なほど椅子がたくさんしつらえてあり、いったいどこに座ろうか悩ませる。
レッドは一瞬の思考の後、一番手前にあった椅子に座ることに決めた。
椅子の足元にばらまかれた細長い紙の束を足で押しやって座る。
そういえば、つい今しがた破裂音が響きわたっていたが、正体はどうやらクラッカーだったらしい。
自分の誕生日のあの日に、皆がクラッカーをうちならして祝ってくれて、
そのクラッカーの紙がケーキのろうそくに引火して大変な事になったと、レッドはぼんやりと思い出していた。
まあ、大変だといっても、今ほど大変では無い。
あっちはついた火を消すだけで事たりる話だが、こっちは少々の事では問題解決はできないだろう。
レッドは両手の紅茶を一口飲んだ。
ほのかな香りと暖かさがレッドの体を満たしていく。
緊張と混乱が音をたててほぐれていくのを感じ、レッドは始めて自分の状況をじっくりと考えてみる事にした。
まず目の前の男、オルト・ベンカンと名乗るやつ。
見た目どうり、軽薄そうな男だ。
しかしそのちゃらんぽらんな様子は、若さゆえのおちゃらけたものと違って落ち着きに裏打ちされたものがある。
だからといって、オルトが不信人物である事に間違いは無い。
『ユメノマジン』などと意味不明な事をいっている事がかくたる証拠だ。
どうしてココにこんな男がいるのか。
―――ふと、そこでレッドは気付いた。
自分が不審だとおもっているのは目の前の男だけで、ここが『夢』だということも、
空中から現れた紅茶機器も、この空間の全てを何の違和感もなく受け入れている。
心のどこかで認めているのだ―――ココが夢の中だと。
でも、ココは自分の夢の中では無い。
オルトのいうとおり、ココは創られた自分の夢の中だと考えるのが打倒だろう。
「さて、長考はすんだかね? 少年よ」
オルトは立ち上がるとレッドにむかって優雅に一礼した。
「夢の魔神、オルト・ベンカン。今より君の願いを一つだけかなえよう!」
******
柔らかな朝日が山の稜線を白く染め上げ、町並みを白亜へと変えていく。
ポッポとオニスズメ、ドードリオの朝を告げる声にゆすぶられて、レッドは目覚めた。
「んー・・・。なんだか、変な夢を見たような・・・」
前髪をかきあげて低くうなり、レッドはベットから身を起こす。
桜が散りさって幾日過ぎたこの時節。
とうの昔に身をひそめた、つきさすような朝の寒さは、やがてくる夏の到来を予言していた。
レッドは目線をあげる。
開け放したままの窓からは清涼な風が入りこみ、うすでのカーテンを蝶のように舞い飛ばしていた。
―――はて、窓を開けっ放しにして寝たっけ?
レッドは首をかしげる。
いくら治安のいいこのマサラタウンといってもやはりいるのがドロボウサン。
窓を開け放ったまま眠りこけてしまうのはいささか無用心である。
そうでなくとも、自分はリーグ優勝の経験者。
ドロボウサン以外にもそれ相応に気をつけなければいけない事がある。
どこの世にも、一攫千金よろしく手軽に有名になりたがろうとする人間はいるもので。
そういう人間に目を付けられるのが、公にも強者と知られたポケモンリーグ優勝者である。
そしてそういう人間の中でも、とにもかくにも倒してしまえばいいと、考える強硬派は手段を問わず、寝こみを襲う事も良しとするのだ。
二、三度のそういう強襲をへて、やっとこりたレッドは、とにかく、
そういう人間の侵入を防ぐため―――まあ、ドロボウサンだろうが、自称挑戦者だろうが、襲ってくる時は襲ってくるのだが―――窓を閉めて眠るようになっていた。
しかし、ときどきうっかり開けっ放しのまま寝てしまう。
・・・まあ、何もなかったのだし、良しとしよう。
レッドはベットから出ようとして、―――ドアにうごめく影を見てしまった。
ほんの少し開け放たれたドアから、―――レッドは覚えている。昨日はまちがいなく扉は閉めていた―――二つの瞳がじっとこちらを見つめていたのだ。
それが、そこにいるよりも、それが自分の知っている人物に似ているという事がレッドの体を硬直させる。
溺れる者が藁をもつかむようにレッドの手は宙をあえいで、電話の受話器を手にとっていた。
押しなれた番号を震える指で押していく。
ピルルルル、ピルルルル・・・・・・。
「はい、グリ」
「たのむ、家に来てくれ」
「はっ? 何を言」
「緊急事態だ」
「だから、何を」
「たのむ。おれだけじゃ対処できない」
後日談ではあるが、その時のレッドの声はどうしようもなく情けなかったという。
*******
それは何故かよくわからぬ微笑をうかべたまま床の上で毛づくろいをしていた。
推定年齢十前後。
性別はおそらく女性。
パッチリとした瞳は気持ちよさげに細められ、桜色の唇からは、時々じゃれるような小声が奏でられる。
なんといっても特徴的なのは、彼女の後頭部でゆれる黄金色のポニーテールであろう。
それが動くたびに、しっぽのように左右にゆれた。
さらに糸のように細い髪からはとがった、ニャースのような毛むくじゃらのとがった耳がのぞいていた。
ぞくに、ネコミミと呼称するのが一番正しい。
さて、そんな知人を見つけてしまったら、あなたはどうする?
「・・・あれ、何に見える?」
「イエロー」
「・・・・・・だよなぁ」
レッドとグリーンは困り果てて、毛づくろいを続けるイエローの姿を見た。
以外にその姿は似合っている、などという楽観的な事を思ったためではない。
窓から差し込む木洩れ日の中でくつろぐその姿は、こっちの気分など知ってか知らずか気楽そうだ。
レッドはツバをのみこんで、グリーンにこぶしを突き出す。
「おれ、いってくる」
「―――気を付けろよ」
「わかってる」
レッド、進軍開始。
レッドはそろそろとイエローに手をさしだした。
「イ、イエロー?」
「・・・・・・・・・!!」
イエローは目にもとまらぬ早足でレッドから離れ、トビラの影に移動したかと思うと、近づくな!とばかりに威嚇しだした。
シャー。
そのまま固まる二人組み。
先に立ち直ったグリーンは電話の受話器を手にとると、素早くボタンをプッシュしだした。
「まあ、こういう厄介な事は、だいたいあいつが原因だろ。電話だ電話」
「たのむわ」