ジュセリーノ予言の真実  - ジュセリーノ Q&A その1
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ジュセリーノ Q&A



皆様から寄せられたジュセリーノに関する質問に対してお答えするコーナーです


Q ジュセリーノがこのような捏造(インチキ)の手紙を公表してまで、みんなの注目を集めたがる目的とはなんでしょうか?やはり金銭目当てなのでしょうか。

A 正直なところ自分にもよくはわかりません。これはむこう(ブラジル)から頂いたメールに時折書かれていることなので、比較的信憑性があることだと思いますので、参考のために記しておくとします。

ブラジルでは、ジュセリーノがこのように偽造文書を使ってまで、自らの予知能力というものを喧伝している目的は、2002年に死亡したブラジルの有名なスピリチュアリスト、チコ・シャペールの後継者たらんとするためではないのかと見られているようです。
ジュセリーノが予言を含む心霊ビジネスに乗り出したのは2002年から2003年ごろといわれているようですし、そのときすでにジュセリーノはチコ・シャベールとは生前交流があったというようなことを周囲の人間に話していたことも伝わっているようです。

ただし、そのジュセリーノが語っている内容というのが

子供の頃にチコ・シャベールに呼ばれて、彼の家に招かれた 
会いに行ったら長蛇の列が出来ていて順番待ちを強いられたのだが、係りの人に招かれて特別に面会が許された
シャベールに後継者の指名をされた 
その証拠として、彼の死の時期をジュセリーノが予知するだろうと言われた 
シャベールの言葉どおり、彼の死期を予知し、手紙で彼に書いて送った 
シャベールからそのことに対する返礼の電話が来た

と、どれをとっても怪しさを感じさせる内容となっており、そのほとんどがシャベールの関係者によって否定されている。※追記

金銭目的かどうかは確かに微妙なところではあると思いますが、事実として、ジュセリーノは米政府に対してサダム・フセインの懸賞金を要求する裁判を起こしているわけですから、「金銭が目的である」と言われてもそれを否定は出来ないでしょう。ジュセリーノは自分は予知能力でフセインの隠れている場所を知ったといっているわけですから、彼が予知能力者でないことが明白であれば、これは「詐欺行為」となるわけです。そうでなくとも、「確実に米政府に対してフセインの居場所を伝えた」という明解な証拠が提示できない以上、もし、彼が本気になってアメリカ合衆国政府相手にアメリカ国内で裁判を起こしたとしたら、どう転んでもジュセリーノの有罪は免れないでしょう。罪状は「私文書偽造」になります。

※『未来からの警告』という本の中には、このうち「シャベールに呼ばれて」の部分を除いた形で、ジュセリーノの口からふたりの交流というものをエピソードとして紹介している。が、シャベール側からのアプローチがあったことを証明する物的証拠は何一つ提示はされてはいないのだ。シャベールによる直筆の手紙のひとつも残されていないのはおかしなはなしである。このエピソードも、ただの作り話と取っていいのではないかと思う。
※「シャベールから電話がかかってきた」というのはジュセリーノの明らかな嘘であるとブラジルですでに暴露されている。逆(ジュセリーノがシャベールに電話をした)ならばまだその可能性はあっただろうが、シャベールが(ジュセリーノにだろうが誰にだろうがその時期)電話を掛けて寄越すことは不可能だったからだ。


Q ジュセリーノがスピリチュアリズム(神秘体験)に傾倒するようになってしまった原因ってなんでしょう?彼自身が語っている9才のときに体験したという輝く火の玉との遭遇をどのように思われますか。

A これは私自身の意見や分析というものではないとお断りした上での話になります。ジュセリーノがこのような神秘体験にこだわる子供時代を過ごしたり、そのまま成長したその原点というものについては、それこそ慎重な態度で言及しなければならないと思いますが、彼の発言中にある、彼自身の幼少期の体験の中でもっとも強い衝撃を与えたものはなんといっても彼の叔父の死なのではないかといわれているようです。火の玉との遭遇も彼の叔父の死も、奇しくも、ともにジュセリーノが9才前後のころの体験だというのが何かを物語っているような気がします。



Q ジュセリーノが本で公表している膨大な数の手紙はやはり全て後から作ったものということになるのでしょうか?(東京都:だんだん姉妹さん)

A 私もそうだと判断しています。ただし、日本でジュセリーノ予言がブームになったのはここわずか2年のことなので「それにしてはずいぶん多いな」と思う方もいるようですが、ジュセリーノがこのような手紙の偽造を開始したのが2001年か2002年ころだと思えばさほどの仕事量とはいえないのではないでしょうか。少なくとも「毎日手紙を登録してから郵送する」手間に較べれば大した手間でも仕事量でもないということはいえるはず。それに、その手紙の内容をよく見てみるとひとつの答えは出ています。ジュセリーノの手紙の中には、子供時代に書いたものだといっているものがあるのですが、それをよく見ると、2002年以降に関する予知(と的中)というものがまったく存在していないのです。これこそ、ジュセリーノが手紙の偽造を開始したのが2002年だというなによりの証拠といえるのではないでしょうか。


Q ブラジルでのジュセリーノの知名度、信頼度というものがよくわかりません。テレビではブラジルでは誰でも知っている有名人みたいな紹介がされていますが本当でしょうか。

A 確かに4年ほど前まではジュセリーノはブラジルでもちょっとした有名人だったのは事実のようです。でも今ではすでにブラジルでは過去の人扱いされているのも確かなようです。全盛期の彼の知名度について言うのならば、『予言者ジュセリーノの疑惑』という本の中にある「在日のブラジル人に対するアンケート」というものが最も参考になると思います。50人の在日ブラジル人に対してジュセリーノに関するアンケートを行った結果が掲載されているのですが、27人、つまり半数以上の人がジュセリーノ JUCELINO NOBREGA DA LUZのことを知っていた、という結果が出ています。これは全盛期のブラジルでの彼の知名度とほぼ一致していると見てもいいでしょう。そして、同時に行われた「ジュセリーノの予言を信じるか?」という問いに対しての(27人中)5人だけが「信じる」と答えたという結果もまたブラジルでの彼の評価というものそのままだと言えると思います。ブラジルでは、日本とは比べものにならないくらい大量のジュセリーノ情報というものが飛び交っているわけですからこれは当然のことでしょう。ブラジルでは、ジュセリーノが事件後に持ち出してくる「警告の手紙」中に見受けられる杜撰なポカ ― つまり捏造の証拠というのもよく知られていることだからです。日本のマスコミはそれを伏せてジュセリーノのことを史上最強の予言者とかの嘘番組を作っているだけなのです。

※自慢めくが、在日ブラジルに対するアンケートというものを企画提言したのは実はこの自分である。

Q ジュセリーノが1989年にジョージ・ブッシュ大統領に送ったと言っている警告の手紙のおかしなところが取り沙汰されているようですが、複雑すぎてよくわかりません。どこが問題なのでしょうか。 (埼玉県:ひなさん)

A 今のところ、この手紙に関して、疑問として取り上げられている点は大きく3点あるようです。そのうちの2つは誰でもが理解できるものです。ひとつは、ジュセリーノによる署名の疑問。1989年当時、ジュセリーノは学校の教師(ポルトガル語ではprofessorは教師一般を指す)ではないのに「Prof.JUCELINO NOBREGA DA LUZ」という署名を使っていること。しかもブラジル人ではない相手に対して、自らに「professor」という呼称をつけることは、下手をすると偽称にもなりかねません。 もうひとつは内容に関してです。2004年マドリード、2005年ロンドンで起きた地下鉄テロについての予知というものについて触れられているからです。ジュセリーノはすでに1989年にこのテロを予知していたと言っていながら、彼がこの事件の警告というものを最初に送ったのは、2001年、10月(つまり911テロのあとに)このふたつのテロ事件に対する警告の手紙をロンドンのマスコミに対して送った、としているからです。はて、11年もズレていることを、まるで連続して間を置かずして送ったかのように述べるジュセリーノの手紙の記述というものに対して疑惑の目が向けられたということです。 三つ目は(これが複雑なのです)『予言者ジュセリーノの疑惑』でも取り上げられていますが、ジュセリーノは最初この手紙を「ブラジリア管区の公証所に届けたもの」としていながら、手紙では「自分は今休暇中でクリチーバにいる」と書いていることです。この点について疑惑を向けられたジュセリーノは、いつのまにか「手紙はブラジリアのイギリス領事宛てのもの」にしてしまい、(これでは、イギリスの領事に対してアメリカ大統領の手紙を送ったということになるので)さらに、「この手紙と同内容のものを米大統領に送った」ということにして、つまり、ものとしてはまったく別の違う手紙を(二重登録の際)登録したということを自ら認めてしまったことです。

※ わかりやすく言えば、ジュセリーノがこの手紙を書いたのは2005年の以降のことだということだ。公証所印(の入ったもの)が手に入らなかったために(自分が当時クリチーバにいたことを思い出しで書いたものだから)このようなヘンテコな内容の手紙になり、登録所、届け先というものを二転三転しなければならなくなってしまったと言われている。しかし、彼の最大のミスは、1989年の自らについて「prof.JUCELINO NOBREGA DA LUZ」と名乗り、署名欄にそう記入してしまったことだろう。


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