エステ家に関するメモ

La congiura di Don Giulio

  • ドン・ジュリオの一連の事件のまとめです。

事件以前

  • 1504年エルコレ1世が体調を崩したあたりから、反アルフォンソの豪族(ロベルティとボスケッティ)がフェランテに公爵位を狙うようにそそのかしていた。

第一の事件

  • 1504年末、イッポリートがジュリオ配下のドン・ライナルド・ダ・サッスロ(礼拝堂付き司祭)を逮捕して、ジョバンニ・ボイアルドの所領であるジェッソ・イン・モンテに閉じ込めた。
    • ドン・ライナルドは元々エルコレに使えていた。
  • 1505年5月ジュリオはライナルドを釈放し、カルピ領主である、アルベルト・ピオの元に匿った。
    • 自身はルビエーラにいたルクレツィア(妊娠中)の元に隠れた。
  • イッポリートは激怒。アルフォンソに処罰を求める。
    • アルフォンソはこれを知り、ルクレツィアに絶対に自分たちの邪魔をしないことを手紙で命じる。
  • アルフォンソがジュリオに科した罪は
    • ルクレツィアの元をさり、プレシェッロの監視つきの住居に移って、そこから2k離れてはならず、地方監督官の元に毎日出頭するちというものだった。
    • これを守らなければ、さらなる重罰を与えるというものだった。
  • ルクレツィアはジュリオに加担したアルベルト・ピオ(すでにこの事件に関ったことを後悔している)と相談してジュリオを説得する。
    • この件は、ルクレツィアとアルベルト・ピオの協議の結果、ジュリオと彼に同調しているフェランテを説得して、ライナルドを獄に戻すということになった。
  • ライナルドは9月にルクレツィアに子供が生まれた(アレッサンドロ)際に恩赦が与えられた。

第二の事件(ベルリグアルドの悲劇)

  • 1505年11月1or3日午後ベルリグアルドを訪問しようとしていたジュリオとイッポリートが鉢合わせ。→おそらく二人ともレッジョから帰還したルクレツィアに挨拶に出向いたと考えられる。本命はアンジェラだったかもしれない。
    • 片やフェラーラに戻る途中、片や向かう途中。記録がまちまちで分からない。
  • イッポリートが突然キレて、ジュリオを襲撃。部下たちに「あいつの目を抉り取れ」と命令して、部下はそれを実行した。
  • 正気に戻ったイッポリートはマントヴァへ逃亡。
  • ジュリオは草原で倒れいていたが発見され、ベルリグアルドに運ばれる。
  • すぐにフェラーラからフランチェスコ・カステッロらの医師が派遣される。
  • イザベラからも医師が派遣される。→アルフォンソは送り返している。
  • アルフォンソはこれに大いに動揺する。
    • とりあえずイザベラとフランチェスコ・ゴンザーガに事の次第を細かく書いた手紙を書く。→のちにこの件でイザベラからお説教を食らう。
    • しかし、イッポリートを処罰することはしない。
    • イッポリートは公国内を自由に歩き回ることを許可。さらに1ヵ月後にはフェラーラに戻ってくることを許した。
  • 11/16にジュリオはフェラーラに移される。
    • ジュリオはアルフォンソに対してイッポリートの厳重な処罰を要求していた。
    • しかし、アルフォンソはイッポリートが枢機卿であること、また自分のよき片腕であることを考慮してもイッポリートを処罰することはできないと決断。
  • 12/23にアルフォンソはイッポリートとジュリオを和解させる。

悲劇

  • フェラーラのカーニバルの時期に陰謀は始まった。
  • 計画に加わったのはジュリオ、フェランテ、ゲラルド・ダ・ロベルティ、アルベルティーノ・ボスケッティ(後者の二人はアルフォンソに土地を取られそうになって恨んでいた)
    • アルフォンソ付きの歌手ジャン・デ・アルティギアノヴァ(ジャン・カンターレ)も暗殺に加わろうとした(ジュリオの音楽への理解の深さに共感した)
  • カーニバルの最中にアルフォンソを暗殺するという話が出たが、どっちを先にやるかで兄弟でもめて立ち消えになった(城の中でガードが手薄になったらアルフォンソを暗殺する計画だった)
  • 夜道で毒の塗られた短剣でアルフォンソを襲う計画もあったが数回チャンスを逃した→アルフォンソの強運が凄い。。。(この頃服の下にいつも帷子を着込んでたらしい)
  • 4月19日にアルフォンソはヴェネツィアに旅立った。(そこからスペインに巡礼する予定だった)ニッコロ・ダ・コレッジョも付いていっている。
  • この間ルクレツィアが市政を執った。(イッポリートがサポート)
  • ジュリオは家に篭り毒殺に使う毒の研究をしていたが、どうやらルクレツィアがうすうす気配に気づいていたらしく、ジュリオにフェラーラから出るようにアドバイスするが拒否される。
  • 同時期アルフォンソもジュリオにフェラーラから出るように忠告していた。
  • イッポリートはこの頃すでにスパイを放っている。
  • 5/24にイッポリートはジュリオの召使ヒエロニモを逮捕した。
  • 6/13に今度はフェランテの召使アンドレア・デッラ・マッタの逮捕
  • トットボーノも逮捕(実はスパイだった)→逮捕後、フェランテの召使とともにすぐに釈放されている。
  • フェランテはイザベラにジュリオと共に保護を求める
  • 6/19ジャン・カンターレの逮捕(本当はアルフォンソと共にヴェネツィアに行き船の中で暗殺するはずだったが、結局付いていかなかった)
  • アルフォンソはその間、ヴェネツィア→バーリ→その後ヴェネツィア船に乗船して海賊退治をエンジョイしていたが、ヴェネツィア政府にバレ船長ともども不興を買いフェラーラに帰ることにする。
  • 7/2フェラーラに入るモナスティローロでイッポリートとフェランテは待ち構えていたが鉢合わせ失敗、アルフォンソはフェラーラへ。
  • ジュリオはすでにフェラーラを脱出(マントヴァへ)
  • 帰国後、アルフォンソは容疑者らに召喚状を送る(ジュリオは7/22までに戻ってくるように言い渡す)
  • ジュリオは身の安全が確保されないなら帰れないと拒否。フランチェスコ・ゴンザーガがかわりに7/25に手紙を書いている。
  • 7/22に調査開始
  • 7/25にボスケッティ逮捕
  • 7/26にフェランテはジュリオを非難する
  • アルフォンソは心労で体調を崩す。
  • 7/29にアルフォンソはフェランテをフェラーラにつれて戻る。侯爵夫人の塔に幽閉する。4日後にこの部屋の窓の半分をふさぐ。同日ゲラルド・ダ・ロベルティをカルピから連れてきて、広場にさらす。その後、牢獄でロベルティの尋問を開始(バトンで殴ったらしい)
  • 8/3ボスケッティ、ゲラルディ、フランチェスキーの判決が下だる(シジズモンドの家でプライベートに行われた)
  • 9/6ジュリオがフランチェスコ・ゴンザーガに連れられてフェラーラにやってくる
  • 8/25フェランテとジュリオの判決が下る
  • 9/9フェランテとジュリオの判決が下る
  • 陰謀に加担したものたちの処刑が行われる
  • 10/8死刑判決のジュリオとフェランテは終身刑に変更となり投獄された
  • 1507/1/6ジャン・カンターレの処刑が行われた
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