1-532 那月懐かれ 2

「大丈夫か」
「……うん」
 そう言って頷く那月の横顔は緊張の色が僅かに覗かせている。
しかしそれは仕方のないことだ。何せ、今までご無沙汰だったこともある。
「……いくぞ」
 俺はゆっくりと那月の中へと入っていった。先端が入り口を通過した。
「あっ……」
 悩ましい声が那月の声から漏れ、その細い肩を小さく震わせた。
「どうした?」
「……少し、くすぐったかっただけ」
 そう言う那月は気持ち良さからか、いつもはぱっちりしたハムスター
みたいな目をきつく瞑っている。
「そうか、それじゃあ続けるぞ」
「うん」
 那月の承認を受け更に奥へと挿入する。そして少しすると俺は“それ”を
見つけた。俺は早速“それ”を、外へ掻き出すように肉壁を擦りつけた。
「はぁ……あっ……んんっ……!」
 擦りつける度、那月は苦しそうな中にも愉悦の入った声を上げる。心なしか
鼻息も荒くなっている。胸の前にだらしなく折り畳まれた腕を、より強く胸の
方へと抱き寄せる。久し振りだったせいで夢心地なのか、無意識のうちに体を
丸くしようと両足を体の方へ引き寄せる。
「ああっこら、動くな。ほら、力抜いて。リラーックス」
「ご、ごめん……」
 申し訳なさそうに顔を横に向けたまま目だけをこちらにふいっと投げ掛ける。
その黒目がちな目はいつもより潤んでおり、瞳をきらきらと輝かせていた。
一瞬だけこちらへ向けた目をもう一度閉じ、それを再開の合図と判断した俺は
またランダムなピストン運動を始める。
 擦るのは一定方向ではなく、上下左右、あらゆる方向に捻っては一点を
集中的に攻めていく。
「はぅ……ぁ……ひ、んっ……!」
 那月の艶っぽい声はその間ずっと続いた。時折、ちょっと奥の方まで入れ
過ぎて、短い悲鳴を上げて重ね合わせた両手をびくっと跳ねたりしたときは、
素直に謝った。
 そうこうして、やっと一通りやり終えて那月の中から抜き出す。俺は
一仕事終えた職人のように細く長く息を吐き出した。
 那月の方はというと、まだ少し惚けたようにぼおっとしており、
その表情から察するにご満悦のようだ。
 が、俺はまだやらなければならない。まだ、もう一つ。今まで弄っていた方
とはちょうど反対にある方の穴も――。
 そのことを告げるため、まだ快楽の余韻に浸っている那月に俺は容赦なく
言い放った。

「ほらっ、ぼけっとしてないで反対向け。早くしないとやめるぞ、耳掃除」
 それを聞いた那月ははっと意識をこちら側に戻したと思うと、ぱっと素早く
寝返りと打ち、顔の半分を俺の太ももに埋めた。那月のつきたてのお餅みたいに
柔らかい頬の感触と温かさが、ズボン越しに伝わってくる。
 今日は休日。この日は那月にとって格好の抱きつきデーであろう。なにせ
一日中ずっと俺にべたべた引っ付いていても誰にも文句を言われない日なのだ。
その辺、気になって俺に質問する奴が後を絶たなかった。実際ナオ達にも、
一年の初め頃に聞かれたことがある。
 だが答えはノーである。那月にだって私用というものはある。あるときは
家族で旅行。またあるときは体調を崩して部屋で安静。最近では、斎条と一緒に
“女の子の休日”を満喫すべく街へ駆り出ることも多くなった。
 それ以外の暇な場合はというとそこら辺もちゃんと考えており、午後三時から
午後六時までの三時間だけと二人の間で決めている。平日の場合は学校から
帰ってくるのが午後五時ちょい過ぎになり、家で私服に着替え(これもルールの
一つで、制服のままだと皺になり大変だから)俺の家に来て六時までとなると
約三十分強しかない。なので、これは単純計算でも二時間以上の時間拡張である。
それだけあれば充電も満足のいくレベルであり、那月もこのルールを快く受け入れている。
 かといって、その時間以外で那月と付き合いがないのかと言われるとそうではなく。
その時間が来るまで俺の部屋で、時々那月の部屋で漫画読んだりゲームやったり。
あるときはナオ達と一緒に街をぶらぶらしたり、二人でぶらぶらしたり。そうやって
一緒にいると、時間になるにつれそわそわしだして物欲しそうな目で見上げる那月に、
俺は内心苦笑を禁じ得なかったりする。
 で、だ。
 実は俺に遠慮なくルールに反してべったりできる例外が、一つだけある。
 それがこの耳掃除だ。
 これも確か、昔々の俺が那月に世話を焼く一環でやっていた。で、どうやら俺は耳掃除
するのが上手らしく、今でも時折俺にねだってくるのだ。今日も、いつも耳掃除をして
もらいに来るときに持参する、昔旅行先で買ったらしいどっかの地方宣伝キャラが頭に
付いた耳掻きを片手に、俺の部屋へとやって来た。で、こうして胡坐かいた俺の膝に
乗って耳掃除してもらうのが、習慣の一つとなっていた。
 何故これが例外になっているのかというと、以前そこら辺のルールを決めるときに
那月が、
「耳掃除は、体を綺麗にするための行為。だから、心を癒すための時間にこれを
含めるのは、極めて遺憾」
 と、どこの政治家だお前だ、みたいな事をのたまったのだ。で、その後はいつもの
ように折れない那月に俺が投降したわけである。 こうして耳掃除は例外として取り
扱われることになった。で、
「うわあ、こっちもまた溜まってるなあ」
「くっぅ……んぁ……」
 今日はお互い用事も特になく、久し振りにこうして耳掃除を敢行することになった
わけである。
 ……そういえば。
 こうして二人でまったりした休日を過ごすのって、本当に結構久し振りだなあ、
と今更ながら感慨になった。

   ※   ※   ※

「はい、おしまい」
「ん」
 最後に軽く息を吹きかけてぱっぱと手で払うと、那月はそのまま「んあ〜」と
精一杯手足を大きく伸ばし、じっとしていてかちこちになった体をほぐす。
 その間に俺は部屋に掛けてある時計に顔を向ける。時間にして午後一時半。
まだ恒例の時間まで一時間以上ある。
 さてどうしようか。久しく引っ張り出していないゲーム機で格ゲーと洒落込もうか。
那月の奴、あれでかなりゲームは得意なんだよなあ。そういえば、まだ一度も勝った
ことないな。じゃあやっぱりゲームを……。
 とかなんとか俺が今後の計画を思考していると、ふとこちらに送られる熱い視線を
感じた。もちろんこの部屋には俺以外に一人しかいないわけで、その視線の主は当然……、
「……ど、どうした、那月?」
 じ〜っ、と。
 それこそ穴が開いてしまうんじゃないかと思ってしまうほど、俺の顔をじ〜っ、と
凝視する那月。
 そのあまりに真剣なまなざしに、俺は思わず体を後ろに引いてしまう。引いたついでに
那月の全身が視界に入ってくる。
 今日はいつもより少し暑かったためか、那月の服も軽装で薄くて通気性の良さそうな、
半袖タイプの水色のワンピースを纏っている。床にお尻を付けるように座り込んだ那月の
足元は、ウェーブ掛かったスカートの裾からつるんとした膝小僧をちらりと覗かせている。
スカートの上には、ぎゅっと握りしめた両手が太ももの間に挟み込むように押し付けて
いる。その手の中には、持ってきた耳掻きを離すもんかと握りしめている。
 そこからまた少し目線を上に上げる。今後も着れるようにか、少しサイズの大きい
ワンピースの襟元が片方ずれ落ちかけており、那月はそれに気付いていない。そのため、
日焼けしにくい体質のためほぼ一年中白く大理石のようにすべすべしたなで肩を、腕の
付け根ギリギリまで晒している。その中間ほどにワンピースの色と合わせたのか、
こちらもまた澄んだ青空のように綺麗なスカイブルーの色をしたブラジャーの肩紐が――。

 そこまで思い至って不意に心臓が俺の胸を強く打ちつけた。そして一瞬にして俺の顔は
耳朶の先まで熱く煮えたぎる。くそ、またかよ……!
 あの那月の笑顔を見て以来、俺はこいつのふとしたときに見せる女の雰囲気を感じると、
心臓をバクつかせることが多くなった。ついこの間も学校でいつものようにナオ達と昼食
を摂っていた時に、那月が何気なく髪をかき上げる仕草に不覚にも心臓が高鳴ってしまい、
思わず飲んでいたパックのグレープジュースを噴き出してしまった。ナオ達のあの
ネッシーでも見つけたかのような顔は絶対忘れない。いつもは何があっても
ノーリアクションな斎条さえも、ほんの少し目を見開き呆然となってしまう程である。
おまけに那月にまでも心配そうな顔をされながらハンカチでグレープジュースまみれに
なった俺の制服を拭いてもらってしまい、あの時は本当に恥ずかしさで死んでしまいそう
だった。
 いや、でも仕方ないだろう? 那月がかき上げた髪の中から現れた形の良い耳とか、
マシュマロみたいに柔らかそうな耳朶とか、雪原のように優美な首筋とか、そこに掛かる
かき上げ損ねた数本の黒髪とか、それらがかき上げるという動作も相まって妙に色っぽかったんだから!
 しかし、なぜあんなに那月を艶めかしく感じるんだろうか。こいつは下手すれば小学生と
間違われてしまうほど小さく、どちらかと言えば可愛いという部類に入るはずなんだが……。
 それはともかく。そういうわけで、俺は思わず那月から顔を背けてしまった。その間も那月は
俺の顔をじ〜っと見つめる。那月に見つめられている頬がなんだかむず痒い。くっ、これは一体何の
罰ゲームだ。用があるなら早く言ってくれ。
 と、そんな俺の思いが通じたのかやっとこさ那月が口を開いた。……のだが、
「する」
「……は、はい?」
 あ、あの、那月さん? 一体何をするんでしょうか? 今までも口少ないこの幼馴染みの短縮語は
聞き及んでいるが、今回ばかりはさっぱり分からなかった。
 すると、これまた俺の混乱を読んだのかさっきより詳しく話した。
「耳掃除、する」
「え? いや、ついさっき終わっただろ」
 俺の返答に、那月はふるふると髪が乱れそうなほど大きく首を横に振る。
「私が、耳掃除する」
「……誰を?」
「堅悟を」
「……え、遠慮する」
「何で?」

 那月はお得意の下唇を突き出したご不満顔になる。
 いや、那月が自分から何かしようとするのは良いことだと思う。以前の那月に比べればこれは
明らかな成長だし、大変喜ばしいことだ。
 だが、那月が耳掃除……。
 なんというか、こいつに任せると誤って鼓膜どころか三半規管まで突き破っていきそうな、
そんな勢いを感じるというか。ようするに、激しく不安なのだ。那月の言葉を聞いて、背中から
変な汗が滲み出てくるほどに。うん、俺だって自分の身体が可愛いに決まっているだろう。
 今回ばかりはどうにかして那月には諦めてもらおう。折角やる気になってもらって俺も悪いとは
思うが、そのやる気はまた別の機会に発揮してもらおうと思う今日この頃だ。適当に話題を変えて
うやむやにしてしまおう。
 そう決めて俺は喋ろうとした。まさにその時、那月の顔が俯き影が差した。那月の表情から
ご不満顔は消え失せ、代わりに憂いを帯びた悲しそうな色を浮かべる。
「な、那月?」
 いつもと違う那月の様子に、俺は言おうとした言葉を飲み込んでしまう。
 え? なんだ、これ?
 突然変わった那月の態度に、俺の頭も焦燥の渦でぐるぐるに混ぜ返り、何も考えられなくなる。
 そんな中那月が、蚊の羽音のようにか細い声で呟いた。
「嫌、なの?」
 どきっとした。こんな哀愁の漂った声を、この幼馴染みは出せたのかと。突き出していた下唇は、
何かを我慢するようにきゅっと噛ませて口を結んでいる。俯いてはっきりと見えるようになった
緩やかに反り返る睫毛から、床を見つめる漆黒の瞳が見え隠れする。なぜか、今の那月から元気なさげに
伏せらせた犬耳とか、へなっとこれまたしょげ返ったように元気のない尻尾とかを幻視した。
 俺は慌てて弁解する。
「い、嫌とかじゃないんだ。ただ、なんと言うか、その、生命の危機を感じるというか」
「私、ちゃんとするよ」
「うんそれはよく分かる。けどやっぱりこういうのは、お互いの合意あって初めて気持ち良く
行われるものだと思うんだよ」
「堅悟のこと、痛くしない。優しくする。それでも、駄目?」
「そ、そう思っていてもやっちゃうときはやっちゃうし。お前の場合、やっちゃうときの方が
遥かに過半数を占めるだろ」
「私、堅悟を綺麗にしたい」
 那月は上目遣いでこちらを窺う。ああ、前に乗り出してくるな!肩に掛かってる服が更にずれて、
というか色々見えるから!
 だが、そんなことお構いなしに那月はうるうるした瞳をこちらに寄越すだけ。
 ……うう、結局いつも通りなのか、俺。

「……分かった。そこまで言うなら」
「やったっ」
 さっきまでの悲しそうな顔はどこへやら、チャンネルを変えるようにぱっと雰囲気が暗から明に変わり、
喜色満面の笑顔で耳掻き片手に諸手を上げる那月。あ、服のずれが戻った。良かった良かった。
……じゃなくて、
「え? あ、あの、那月……」
「堅悟、早くっ早くっ」
 うきうき顔で握り拳を胸の前にして、そわそわ肩を揺らす那月。幻視していた犬耳はぴんっと三角にして
立っており、尻尾は床にバウンドさせるが如く左右にぱたぱた振っていた。
 ……。
 俺は隣の那月の家がある方向へ顔を向ける。
 おじさん、おばさん。あなた方の娘はすくすくと成長してますよ。……あらぬ方向に。

   ※   ※   ※

 那月の小悪魔な一面を垣間見てしまった俺だが、そんなことで呆然としている場合ではない。
いざ、じゃあ始めましょうかとなったところで俺はあることに気が付いたから。
「堅悟、ほらここ」
 那月がそう言ってぽんぽん叩いているのは――自分の太もも。
 そう。那月に耳掃除されるということは、その太ももに俺の頭を乗せなければならないわけだ。
つまりは膝枕。俺は那月が失敗しないかの心配ばかりしていてそのことにまで考えが及ばず、今に
なって思い至り躊躇っていた。
 いつも那月のことを抱きしめているのに何を今更とも思うんだが、あれとこれとは話が別だ。
いやらしい言い方になるが、見知っている者とはいえ異性の下半身に顔を埋めるのだ。恥ずかしいって
もんじゃない。なので俺はここにきて硬直してしまった。目の前では那月が準備万端とばかりに正座を
して、俺が寝そべるのを待っている。その顔はいつになく生き生きしている。なんか背景がきらきら
光ってる気もする。
 ……そろそろ覚悟を決めないとな。いつまでもこうしていると、那月も足が痺れてしまうだろう。
俺は心の中で気合を入れると、ゆっくり床へと寝転がっていく。せめてもの抵抗として、那月の体に
背ける方向に横になる。
 のっそり、のっそり。その時がくるのをできるだけ遅くしようと悪あがきする。
 まず足を床におそるおそる伸ばしながら横たわせる。くるぶし、ふくらはぎ、
太ももと順にフローリングのひんやりした冷たさが、ズボン越しに伝わってくる。
心臓がドアをノックするように胸を叩く。
 腰まで床に付くと、バランスをとるため肘を立てる。木の軋む音がやけに近く感じる。
心臓が金づちで釘を打ち込むように胸を叩きつける。
 L字になった腕を伸ばすようにして二の腕を横にしていく。そして伸ばしきり、肩まで
完全に床へ着地する。心臓が突き破らんばかりに胸を強く叩きつける。
 そこから首を重力に従い楽な方へ、しかしちょっぴり反抗しつつ下ろしてゆく。世界がゆっくりと
傾いていく。
 そして、世界が完全に真横になろうかとしていたその瞬間、それはやってきた。

「……ぅわ」
 那月に聞き取られないように小さく慄いた。
 俺の側頭部を最初に出迎えたのはワンピースのスカートだった。薄手で通気性を重視した
その素材はさらさらと肌に優しく、思わず頬擦りしたくなるほどだ。そこから少し頭を沈ませると、
ついに那月の太ももへと到着する。到着してすぐ、俺はその柔らかさに驚愕した。同年代の女性に比べて
こじんまりして華奢な那月だが、それでもこの肉付きの良さはなんだ。軽く押し付けると確かな弾力で
押し返し、それでもふわんと綿のように優しく包みこんでくれる。そして文字通り人肌の温かさが、
スカート越しに感じ取られ親しみを覚えさせてくれる。
 大きく波打っていた心臓もすっかり穏やかになり、代わりにぽかぽかとしたものが胸の中を占めていた。
 それは絶対の安心感。気持ちが大らかになり、不純な思いなど一切湧いてこず、ただただその柔和な
温かさに身を委ねてしまいたい。そう思わせてしまう。
 そのあまりに甘美な衝撃に、ついつい顔を深く埋めてしまう。埋めた反動でスカートから洗剤の香りが
仄かに漂い、鼻腔をくすぐる。
 ああ、このなんとも言えない太ももの感触もそうだが、何よりもこのスカートが良い仕事をしている。
頬擦りしたくなるきめ細かな布地が太もものふんわり感と上手く噛み合い、極上の幸福を与えてくれている。
知らず知らずのうちにスカートへと手が伸び、太ももと一緒にさわさわと撫で回していた。
「……っ」
 上の方から息を呑むような気配を感じた。首を回してみると、そこにはほんのりと頬を赤らめた
那月の顔があった。
「どうした?」
「う、ううん。何でもない」
 ? こいつが誤魔化すなんて珍しいな。
 ……あっ、もしかして今更になって恥ずかしくなったのだろうか。そうだよな、那月だって年頃の
女の子だもんな。やっぱりこういうのに羞恥心を覚えて当然だよな。
 そう思い那月に優しく問い掛ける。
「那月、やめたくなったんならそう言っていいんだぞ?」
「そんなことないっ。やる」
 半身を起こそうとした俺を、那月は両手で抑えるように慌てて止める。……まあ那月がやると言うのなら
止めはしないが。
 とか思いながら実のところ、那月がやめると言わなくてほっとしていた。膝枕する前はこっ恥ずかしくて
躊躇していたが、喉元過ぎればなんとやら、もうすっかり膝枕の虜になってしまっていた。なので那月が
続けると言ったことに心の中でほくそ笑んで、薄く浮かせた頭を重力に従順に任せてぽすっとダイブした。
 うーん、ふわふわぽかぽか。

 そうして堪能しながら那月が耳掃除を始めるのを待っていた。
しかし、待てど暮らせど耳を襲うはずの異物感はやってこなかった。代わりに那月のうんうん
唸っている声だけが襲ってくるだけ。どうしたのだろうかと那月に声を掛けようとして、
「ふぅ〜」
 耳の穴に冷たくて細い風が入ってきた。首の後ろまで一気に鳥肌が立つ。
「うぉぉおおおい!」
「きゃっ」
 俺はびっくりして勢いよく飛び起き、それを見てびっくりした那月は可愛らしい悲鳴を上げて
小さく跳び上がった。
「ど、どうしたの……?」
 何がなんだか分からないという風に小首を傾げる那月。
「どうしたじゃない! 何いきなり息吹きかけてるんだ!」
「だって、さっき堅悟も」
「あれは仕上げに周りのごみを飛ばしてるんだ! しかもお前のやったのは弱すぎる!」
「弱いと駄目なの?」
「そりゃ弱いと……なんだ。さっきのようにびっくりするから」
「ん、分かった」
「とにかく、その耳掻きを使って耳の中のごみを掻き出す。それだけでいいから。分かったな?」
「ん」
 ちょっとしたアクシデントはあったものの、その後なんとか那月の耳掃除は始まった。耳の中を
細長い物が通っている感覚がぞわぞわと襲ってくる。すごくこそばゆい。
「……あんまり、ごみない」
「そりゃあ、まめにやってるからな。ないのは当然だ」
「む〜、つまんない」
「はは、まあ適当でいいから」
 今の那月が、いつものあの顔になっているのが容易に想像できる。想像して俺は、那月に気付かれない
ように小さく苦笑した。

 その後はというと、
「お前ん家、今日の夕飯なんだ?」
「さば味噌」
「そっか。おばさんの作るさば味噌、美味いよなぁ」
「余ったら、お裾分けする」
「いつも悪いな、母さんも喜ぶ」
 とか、
「この前、風音と遊びに行ったとき」
「ん?」
「美花(みはな)と偶然会った」
「美花……ああ、間宮(まみや)のことか。斎条のクラスの」
「友達と一緒だった」
「ふうん。ちゃんと挨拶したか?」
「うん、色々喋った」
「そっか。……仲良くなれそうか?」
「うん。小鳥(ことり)、いい子だった」
「それは良かった」
 とか、
「間宮と言えば、ナオの奴いつになったら告白するんだが」
「直高、美花が好きなの?」
「いや、むしろ好き合ってるだろ、どう見ても」
「そうなんだ」
「まあ、知らぬは当事者のみってことだな。あ、このことナオと間宮には言うなよ」
「? なんで?」
「こういうのは本人達が自分で気付いたほうが良いんだよ」
「そういうもの?」
「そういうもの」
 とか、他にも色々と他愛もない話をした。途中、反対の耳を掃除するために寝返りを
打ったりしながら、那月とのんびりした時間を過ごした。
 やがて話題もなくなって口数が少なくなり、膝枕の心地良さと耳掻きのくすぐったさに
まどろみ始める。目の前には那月の着ているワンピースの水色が埋め尽くしている。眠気で
ぼーっとし始めた俺は、その視界いっぱいに広がる色と太ももの柔らかさから、自分が空に
いるような感覚に陥った。

 一面に広がる空。
 それを見上げる俺。
 俺が寝転がっているふかふかの雲。
 その雲は俺を優しく包み込んでくれる。
 その雲は俺を心も身体も温かくしてくれる。
 手を空へと伸ばす。
 手は空を掴めない。
 俺は確かに空にいるはずなのに。
 こうして雲に包まれているのに。
 俺は空を掴めない。
 俺はもっと手を伸ばす。
 けれど掴めない。
 ここに空はあるはずなのに。
 まだ俺は空にいない。
 俺は空に届きたくて、また手を――

   ※   ※   ※

「……堅悟、起きた?」
「う……ぅん?」
 重たい瞼を必死に開いて最初に見たのは、俺を見下ろす那月の顔だった。まだ頭がぼーっとする。
なんか変な夢を見てた気がするが、もう綺麗さっぱり忘れてしまっていた。寝惚けた頭で那月の顔を
じーっと見つめる。……なんか、いつもと違うアングルで見ているせいか那月が大人っぽく見える。
いやそうじゃない。シャープな顎のラインとかすっきりした小顔とかスレンダーな体とか、
バランスだけ見ればこいつは女性として綺麗な方だ。ただ、それがスケールダウンし俺はいつも
見下ろしていたから、子供っぽいと思っていたんだ。そういえば、最近は那月がふと色っぽい雰囲気を
醸し出して俺をドギマギさせていたが、そういうことだったのか。
 子供っぽいのに、色っぽい。
 そんな矛盾を孕んだ感覚が今やっと分かった気がした。

 俺は自分の中の疑問が一つ解けてなるほどと思いながら、こちらもまたじ〜っと見つめ返し続ける
幼馴染みに起きぬけの挨拶を交わす。
「ん、おはよう。悪いな寝てしまって。重かったろ」
「ううん。堅悟の寝顔、やっぱり可愛かった」
 そうか、俺の寝顔をばっちり見られたんだよな。むう……そう思うとなんか恥ずかしいな。
って、何気にさらっと奇妙なこと言わなかったか?
「おい那月、今『やっぱり』って――」
「堅悟、もう時間」
 俺の言葉を遮るように那月は言葉を重ね、時計を指差す。時間は午後三時五分前。結構な時間
眠ってしまっていたようだ。
 俺は那月の太ももから頭を離し起き上がる。ずっと下に敷いていた方の肩がじんじんと痛む。
それに少し凝っているようで、どれだけ永い時間その体勢のままだったか、字面の通り痛感させられた。
肩を痛くならない程度に回しながら、いつもの姿勢になり那月の受け入れ準備を整える。整えようと
したが、またしてもこのコンパクト美人はとんでもないことを言った。
「堅悟、正座」
「……はい?」
 俺、何か怒らせるようなことしたか? いや別に何も……はっ、まさか俺が寝ている間に
変なことを!? ありえる、十分にありえる。あの膝枕の魔力に負けた俺の本能が変態的な
ことをやってしまったのではないか。ありえる、十分にありえるっ!
「な、なあ那月。俺お前に何か変なこと」
「せ・い・ざっ」
 有無を言わせぬ那月の口調に、俺は否応なく素直に正座した。ああ、なんだか那月の顔が
素晴らしいぐらい満面の笑みだ。そんな怒りを通り過ぎちゃうくらい怒ってらっしゃいますか。
瞳に反射したきらきらの光が眩しいです那月さん。思えば幼馴染み歴もうすぐ十七年、こうして
那月の前で正座して説教食らうなんて史上初の出来事だ。だがここは甘んじて受けよう、それだけの
ことを俺はやらかしてしまったんだ。那月の良い見本としてこれまでやってきたけれどそれも今日で
おしまいだな、はあ……。
「やあっ」
 俺が心の中で覚悟を固めるのとほぼ同時に那月はこちらに飛び掛ってきた。俺は反射的に
目を瞑ってその後の衝撃に備える。
 ……だが、俺が想像していた衝撃とは別のそれが俺を襲った。襲われた衝撃の場所は
――俺の太もも。
「ふひゃ〜」
 俺の太ももに飛び込むと、那月は空気の抜けた風船みたいに体から力を抜いてふにゃふにゃになる。
そして俺の足を抱え込むようにがしっと掴み、まるでマーキングでもしているみたいに顔を太ももの
間に擦り付けてきた。しばらくして満足したのか、那月は仰向けになるように寝返りを打ち、その
ほくほく顔を俺に晒す。寝返りを打つ際、太ももに頭を置き直した那月の髪が孔雀の羽のように扇状に
広がった。
 俺は恐る恐る那月に問いかける。
「……何やってるんだ?」
「ん? 膝枕」
「いや、それは分かって……えっ!? もしかしてそれだけ?」
「んぅ、何が?」
 ……抹消したい。数秒前の自分を抹消したい。

 那月は一瞬きょとんとするがすぐに興味が無くなったのか、目を細めて大きく体を伸ばした。
ああ、また肩が出てる。今度はさっきと反対側だ。俺はそこを極力見ないように那月の顔に集中した。
今にも寝てしまいそうな蕩けた顔が目に映る。
「そういえば那月、ずっと聞きたかったんだが」
「んぃ〜?」
「もしかして、今日は最初から俺に耳掃除する気だったのか」
「うん」
 当たり前でしょ? とでも言いたげな顔を浮かべて那月はこちらを見上げる。
「なんでだ?」
「なにが?」
「なんで、突然そんなことやろうと思ったんだ?」
 数瞬、沈黙が落ちる。
 風が窓を小さく叩いた。
 遠くでバイクがエンジンをけたたましく唸らせた。
 近くの電柱でカラスの鳴き声がさえずった。
 その間、那月は人形のように無垢な顔で俺と向かい合っていた。そこからはどんな感情を
秘めているのか知ることはできない。ぱっちりした円らな瞳が何回か瞬く。それでもその瞳は俺の顔を、
いや俺の目を真っ直ぐ貫き続けた。そのどこまでも澄んだ黒の瞳に吸い込まれそうな感じを覚え始めた頃、
「なのね」
 那月の小さな唇が、震えた。そして――

「堅悟の気持ち、知りたかったから」

 震えた唇が微笑んだ。
 ――ああ、まただ。また、この感じだ。
「堅悟がいつも、どんな気持ちで私といるか、知りたかったから」
 那月の顔が緩やかに綻ぶ。
 その顔に俺は、また胸が大きく波打つのを感じた。そのことに勘付かれないよう、那月の言葉に続ける。
「だから俺がお前にしてやっている耳掃除を自分もやろうと」
「ん」
「で、さっきまで俺が膝枕されてたから、今度は自分が膝枕されようと」
「んっ」
 嬉しそうに、小さく顎を引くようにして頷く。
「そっか」
 息を吐き出すようにして俺は苦笑いを浮かべた。

 ――嫌、なの?
 那月の沈んだ顔が頭を過ぎる。
 もしかしたら、あれは演技じゃなかったのかもしれない。
 あんなに落ち込むほど、自分も俺がしてくれていることを身を持って経験したくて。
俺がどんな気持ちで自分と接していたのか知りたくて。そこまで想われて、
少し嬉しくもあり恥ずかしくもあり、胸の奥がぞわぞわとざわめいて変な感じだ。
 那月は、変わろうとしている。今までの俺の後ろに隠れてばかりだった自分から。
 だったら、俺も変わらないといけない。いつまでも、那月は俺にとって妹のようなものだと思ってた。
けどこれからは同等の立場として、幼馴染みとしてちゃんと見てやるべきだろう。それが変わろうと
している那月に対する最低限の礼儀だ。
 慈しむように何度も那月の前髪を撫でる。いつの間にか、那月は小さく寝息を立てていた。時々体を
もぞもぞと動かしている。
 と、片足が膝立ちし、ワンピースのスカートがするするとずり下がる。そこには、先程まで俺が顔を
埋めていた太ももが、スカートがずり下がりその面積を狭めるのと反比例し、その目映いまでの白さを
焦らすようにゆっくりと晒し出していった。
 顔に血が集まる。集まりすぎて首の根本までグツグツと熱を帯びる。目を逸らそうと思っていても、
その意思とは正反対にその細くもふわふわしている白い太ももに釘付けになっていた。主に釘付けに
なっているのは太ももとスカートの境界線。肌と布の擦れる乾いた音が微かに耳をくすぐる度、
数ミリ単位で白く柔和な肌をさらけ出してゆく。
 無意識に生唾を大きく飲み込んでいた。背中をむずむずとしたものが這い上がっていく。
そしてついにはもう片方の足も膝を立て、そのずれ落ちる速度を上げていき、とうとうスカートの端は
足の付け根まで――
「っ!」
 そこまで見てやっと自制心が勝り、視線を逸らすことに成功――
「なっ?!」
 しなかった。逸らす方向を下にしたことが失敗だった。逸らさした先には那月の顔があった。
そして肩からずれ落ちかけていた襟元が完全にずれ落ち、そこから僅かに顔を出した
ブラのレースも、あった。
 今度は素早く顔を逸らすことができた。一度目の失敗を犯さないように横向きに首を動かす。
動かした先には窓があり、そこに晴れ晴れとした空の一部が切り取られていた。
ああ、いい天気だなぁ……。なんて現実逃避している場合じゃない。
 ……さて、どうする。とりあえず肩を直してやるべきか。まだ足の方は膝立ちしており、
もぞもぞと内股をすり合わせている気配と音がいやでも肌と耳に伝わってくる。その気配と音だけで、
胸の奥でくすぶる興奮がちりちりと燃え上がっていく。それを最大限の理性で抑えつけながら、
なるべくそこを見ないように那月の肩を直しに掛かった。

 那月を起こさないように恐々とした手つきで、太ももに頭を乗せたことで生じた隙間に
手を滑り込ませる。襟の端に触れると、ワンピースの内側へ慎重に親指を差し込む。那月は
少し眉を顰めたが、起きる気配はない。
 ここで一度小さく深呼吸。第一段階は終了。次の段階へ移る。
 摘んだ端を、那月が違和感を持たないように少しずつ肩の方へと移動させる。永遠とも
思えるような時間をかけて、ゆっくりゆっくり元のあるべき場所へと戻していく。ワンピースの
さらさらとした布地に、指が滑ってしまうんじゃないかと思わず勘繰ってしまう。頬を汗が一筋、流れる。
 と、那月の手が直そうとしている肩へ伸びる。小さく息を呑む。
 伸ばされた手は、肩と鎖骨の間を猫手でぽりぽりと掻いた後、また元の位置へぽてっと転がるように
戻っていった。呑み込んだ息を吐き出し、再開する。
 那月のゆで卵みたいにつるんとした肩を通り、無事に襟元を直すことに成功する。緊張して息を
するのを忘れていたようで、直し終わって大きく一息ついた。
 ついでだから軽く整えておこう。そう思い両手を胸元近くの襟を掴んだ。が、さっきの緊張が
抜けたことで油断していた。
 内側へ指を入れるとき、片方の爪が那月の肌をやんわりと撫でた。
「はっ、ん……」
 慌てて掴んだ手を離す。
 いや大丈夫だ俺は何も触ってないというかどこも触ってない例え那月が喘ぐような吐息を
漏らしたとしても全く関係ないむしろこいつのは無いに等しいようなものだから触ったとしても
どこがどこだか分からないわけだからあれに触ったとは言えずセーフでだからすべすべで見た目に
反してすこしぷにぷにしてたとか思ったけどそれがあれとは限らないんだから大丈夫うん。
 一人悶々と頭でごちゃごちゃとした羅列の言い訳を重ねる。
 ちらっと那月の方を覗き見た。
 那月は何事も無く深い眠りについている。寝息を吐くのに合わせて那月の胸が上下している。
仰向けに眠っていておまけに布地の薄いワンピースのせいで、なだらかながらも女性であることを
主張するようにつんと盛り上がった二つの凸線がはっきりと見て取れた。
 またあの感触を思い出しそうになってまた顔を背ける。ああもう、なんでこんなドキドキするんだ。
あとはスカートを直すだけだし、早くこんなの済ませよう。
 ちょうどその時、両足が伸ばされるのを気配で感じた。俺は素早くスカートの裾を摘むと、
投げ捨てるように前へ放った。
「あ……っ」
 ……。
 大丈夫だ全然大丈夫だなんかまた爪にスカートとは明らかに違う布に触れたような気がするが
絶対気のせいだ何故か那月が肩をぴくっと震わせたり喘ぐような声を上げたり頬をほんのり赤く
染めたりしているけどどうしたんだろうかあーあー俺は何も存じません存じ上げません。
 頭の中で叫びながらつい先ほど起こった出来事の記憶を多重ロックで厳重封印する。

 何とか落ち着きを取り戻し、那月の顔を見下ろした。俺が悶絶していたことなど露知らず、
口を半開きの間抜けな表情で寝入っている。その顔を見て、こいつに翻弄されていたことが
なんだかどうでもよくなった。まあ、幼馴染みとはいえ女なんだし、どきっとするなんて
当たり前だよな。とはいえ、
「こんな調子で大丈夫なのか、俺」
 持つだろうか、理性。
「ま、なるようにしかならんか」
 那月の頬に掛かった髪をそっと払う。髪が頬を撫で、くすぐったそうに那月は微笑んだ。
 そうして俺はのんびりした休日の午後を過ごした。


 ――と、終われば良かったのだが。
 その後時間まで那月を膝枕してやったわけだが、約三時間も正座しっぱなしだった俺の脚が
痺れないはずはなく、しばらくのた打ち回ることになる俺だった。
って、おい待て那月! そこをつつくな! まだ痺れてるぅおおぉ――……


続き
2008年07月20日(日) 13:07:23 Modified by amae_girl




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