1-583 彼女が甘えん坊になった理由(わけ)

 ある日の事、俺――上月一郎が昼食を摂ろうと屋上にやってくると、
そこには先客がいた。
「甘えん坊……」
 茶屋野鞘乃(さやの さやの)という面白珍しい名前を持つ彼女と、
俺は何かと縁があるようで、よく話をしたりする機会があり、今では友人と
言っても差し支えないくらいには親しくなった。
 変わり者として有名な彼女は割とクラスの中でも浮いていて、男女合わせて
考えても、彼女とこれほど頻繁に接する人間は、俺くらいのものだろう。
 まあ、変わりモンではあるが、結構可愛いし、縁がある事自体は
歓迎している。たまに悩む事もあるが。
 閑話休題。
 彼女は難しい顔をして――まあ、俺以外の奴には、いつもと変わらない無表情な
顔にしか見えないだろうけど――何やら考え込んでいた。
「どうした、茶屋野?」
「うむ、上月。先日友人から借りた本を読んでいた所、男子が嗜好する女子の
 傾向として、甘えん坊な女子が好まれるという情報が載っていた」
「……どんな本読んでんだよ」
「だが、感覚として『甘えん坊』というのがどういう性質の事を指すのか、よくわからない」
「へえ……確かにお前はあんまり誰かに甘えたりしそうにないよなぁ……って、
 お前誰か好きな奴でもいるのかよ」
「いるぞ?」
 茶屋野は、何を今更当たり前の事を?といわんばかりの表情で、首を傾げる。
まあ、確かに俺達くらいの年頃になったら好きな奴の一人や二人はいて当たり前かもしれないが……。
「……しかし、意外だな」
「……む。失礼な事を言われたような気がする」
「あ、そういうつもりじゃなかったんだが……すまん」
「ふむ、許そう」
「いやな、お前って生真面目だし、男みたいな喋り方だしさ、そういう事にはあまり
 興味ないんじゃないかと思ってたから」
 彼女は、珍しく笑みに似た表情を浮かべ、俺の額を小突いた。
「いたっ……何すんだよ」
「先入観で人を判断するな、上月一郎。私とて、人並みに恋くらいするぞ」
「へえ……で、相手は?」
 俺の言葉に、またしても彼女は珍しい表情を見せた。
 一瞬だけ、泣き出しそうな顔を。
「……え?」
 俺が戸惑っている間に、その表情は消えうせ、彼女はまた無表情――に見える
難しい顔――に戻った。
 ……何だったんだ、今のは?

「秘密だ。当然だろう」
「まあ、そりゃそうだよな」
 ……何事もなかったかのように、彼女は再び悩み始めている。
 何だったんだ、一体……? 俺の見間違い……って事はないと思うけどなあ……。
「男子である君に聞きたいのだが、男子はどういった女子を甘えん坊だと認識するのだ?」
「へ?」
 唐突な質問に俺は間抜けな声をあげてしまった。
「君は甘えん坊の女子に興味は無いのだろうか?」
「え、あ……いや、考えた事もなかったな……けどまあ、女の子に甘えられて
 嬉しくない男はいないんじゃないか?」
「ふむ……では、質問の仕方を変えた方がいいか。どういった行為を『甘えられている』
 と認識するのだ、君は?」
 ……なんか妙な話になってきたな。
「人それぞれだから、俺のを聞いても仕方が無いと思うけどなぁ……」
「構わん。まずは一つのケースとして、君のそれを知っておく意味はあるだろう」
「……それって俺以外にも聞いて回るって事か?」
「………………」
 何故黙る。
「……必要があれば、そうするかもしれないが……そんな事はどうでもいいだろう。
 私は今君に聞いているのだ。君が答えたくないのでなければ、教えて欲しい」
 ……何か、変に必死な気がするな。
 それくらい好かれてる、茶屋野が好きな奴に、俺は少しだけ嫉妬した……って、
 なんで俺が嫉妬するんだ? 別に俺は……。
「……まあ、別に答えたくないわけでもないし、いいっちゃいいよ。ちょっと恥ずかしいが」
「感謝する」
 ……感謝されてしまった。
 しかし、いざ考えてみると、俺も甘えられた経験なんてないし……どうしたもんか。
「そうだな……事あるごとにくっついてきたり、とか?」
「ふむ、こうか」
 彼女は俺の腕を取り、身体を寄せてきた。
 意外にも……と言ったらまた怒るんだろうが、見た目よりずっと柔らかい感触が、
俺の腕に当たった。
「うん、そうそう、そんな感ってまておい!?」
「なんだ? 違うのか?」
「ちちちちち違わないが、ととととととりあえず離れろっ!?」
「……君は甘えん坊な女子が好き」
「へ? あ、うん」
「そして、甘えん坊とはこうしてくっつくものなのだろう?」
「いや、そ、そうだと俺は思うが……」
「じゃあ問題ないだろう」

「ちょっと待てって! それとこれとは話が」
「同じだ」
 ……なんだろう、この有無を言わさぬ迫力は。
「わ、わかった! わかったけど、ちょっとだけ力緩めろって!」
「? どうしてだ?」
「……胸当たってるんだって!」
「………………」
 ……あ、真っ赤になった。まさか気づいてなかったのか?
「こ……これは、当てているのだから問題ない」
「なんでやねん!」
「それとも……君は、嫌なのか? こうやって……その、胸を、当てられるのは?」
 珍しい、ホントに珍しい彼女が言いよどむ姿に、俺は何故かドキッとした。
「嫌なわけないだろう! ……ってそうじゃなくてっ!?」
「では問題ないな。続きだ」
 顔真っ赤にしてそんな事言われてもなぁ……。
「……お前のほうは、嫌じゃないのか?」
「問題ない。そう言ったはずだが」
 だから顔真っ赤にして言うなよ……。
「実際にやってみなければ、何事もわからない。そうだろう?」
 ……ああ、そうだよな、そうだったな。
 俺は練習台なんだから、黙って彼女の練習に付き合ってればそれでいいんだった。
「……はぁ」
 俺はため息を一つ吐くと、茶屋野に言った。
「俺だって、健全な男子なんだぜ? あんまり無茶してると、狼にならないとも限らな」
「大丈夫だ。上月、君は優しいからな」
 ………………。それってどうなんですか、男に対する評価として。
「……はぁぁぁ」
 先より深いため息を一つ吐いて、俺は覚悟を決めた。
 そこまで信用されてるなら……我慢して、付き合わなきゃ仕方が無いよな、男として。
「さあ、続きだ。他にはどんな事がある?」
 俺は努めて腕に感じる柔らかい感触から意識を逸らしながら、考えた。
 考える事に集中する事で、何とか、こう、意識を………………………………あ、もうだめ。
「……そうだな、抱きしめてもらいたがったり……」
 信用に応えられなかった俺を許してくれ、茶屋野。
 だけどもう駄目です。もう限界です。
「あとは……キス、してもらいたがったり、とか?」
「……抱きしめる……それに、口付け、か?」
 そう言えばどうなるかという事をわかっていながら、俺はそう言っていた。
茶屋野の信用に付け込む後ろめたさが一瞬胸に刺さったが、すぐに欲望に流されて
どこかへ行ってしまったようだ。

「そう、だな」
「わかった。……こちらから、求めればいいのだな?」
「そう……だな」
「……上月……抱いてくれ」
 ………………。
「待て待て待て。違うから違うからそういう意味じゃないから落ち着け落ち着け俺」
「? どうした?」
「エドはるみの如く暴走しそうになっているのでしばらくお待ちくださいっていうか
 お前わかってやってたりしないか実際?」
「何をだ?」
 ……どうやら素でわかっていないようだ。
「……そういう時はだな……ギューってして、とか、そういう感じで。
 抱いてくれだと意味が違ってくるから」
「なるほど。勉強になる」
 こちらは心肺機能が鍛えられそうです。
「じゃあ……ギューって、して?」
 普段のそれとは程遠い口調で、彼女はそう言った。
 俺の腕を抱きしめるようにしたまま横に立ち、上目遣いで俺を見上げながら。
 俺の言葉をそのままなぞった結果なのだろうが……俺は、またしても見えた普段と
違う彼女の姿に、またしても胸を高鳴らせていた。
 ……本当に心肺機能が鍛えられそうだな、こりゃ。
「……わかった。じゃあ、ちょっと離れて……手、広げて」
 俺は、言われた通りの体勢で待つ彼女の身体に両手を回し、軽く力を込めた。
「ぎゅー」
 ……何か口で言ったら馬鹿みたいだな。
「……温かいな、上月の身体は」
 知らぬ間に、彼女の両手も俺の背に回り、もっと近づけとばかりに力を込めてくる。
「……茶屋野も、な」
「気持ちいい……ホッとするな」
 俺の腕の中に、茶屋野がいる。
 さっき腕に感じた柔らかさを、身体全体に感じる。けれど、それはさっきそうだったように
欲望を招く事はなく、むしろ……安心感というか、酷くホッとする感じを、俺に与えてくれていた。
 小さく、彼女の鼓動が俺に響いた。俺の鼓動も、きっと彼女に届いているのだろう。
 それが、何故か酷く嬉しかった。
 視線を下ろすと、俺を見上げた彼女と、目が、あった。
「上月」
 その顔が、どこか嬉しそうに見えた……そんな気がした。
 彼女の瞳の中の俺が嬉しそうな顔をしていた事は、間違いないのだけれど。

 俺の腕の中に、茶屋野がいる。
 さっき腕に感じた柔らかさを、身体全体に感じる。けれど、それはさっきそうだったように
欲望を招く事はなく、むしろ……安心感というか、酷くホッとする感じを、俺に与えてくれていた。
 小さく、彼女の鼓動が俺に響いた。俺の鼓動も、きっと彼女に届いているのだろう。
 それが、何故か酷く嬉しかった。
 視線を下ろすと、俺を見上げた彼女と、目が、あった。
「上月」
 その顔が、どこか嬉しそうに見えた……そんな気がした。
 彼女の瞳の中の俺が嬉しそうな顔をしていた事は、間違いないのだけれど。
「次は……口付けだな」
「……ああ、キス、だな」
「上月……」
 彼女が、俺の腕の中で瞳を閉じる。少しだけ顔を上に向けて、俺を……待っている。
「……茶屋野」
 少しだけ、さっきの抱擁で欲望が落ち着いたからだろうか。押し流されたはずの
後ろめたさが、僅かだけれど戻ってくる。
 いいんだろうか。このまま、彼女の唇を奪っても。
 ファーストキスだったら……本当に好きな奴と、した方が……。
「上月……はやく、して……キス」
 ……茶屋野の言葉で呼び起こされた欲望が、再びそんな後ろめたさを、躊躇いを押し流す。
「……いくよ」
「ん」
 俺も、瞳を閉じた。
 段々、顔を近づけていく。少しずつ、茶屋野の吐息を感じて――
「……んっ」
「………………っ」
 二人の唇が、重なった。
「………………」
「………………」
 直接、彼女の温もりを、唇の温かさを感じる。
 それが、嬉しくて……だけど、嬉しさだけではなくて。
 これは……気持ちいい、という事なんだろうか、これが?
「………………」
「………………」
 長い、長いキス。
 ずっと、ずっと、その嬉しさを……気持ちよさを感じていたくて、彼女の唇を、
自分の唇で感じていたくて……俺は離れられなかった。
 彼女は……茶屋野は、どうなんだろう。どう思ってるんだろう。
「………………」
「………………」
 その長い、長いキスにも、終わりがやってきた。

  キーンコーンカーンコーン
 昼休みの終わりを告げる、チャイムの音。
 それを合図に、名残惜しげに俺達は離れた。……まあ、少なくとも、俺は名残惜しかった。
「……昼休み、終わっちゃったな」
「………………」
「茶屋野?」
「……あ……な、なんだ、上月」
「どうしたんだ、ボーっとして」
「……いや、その……だな……な、なんでもない!」
「キスが、気持ちよすぎたり、とか?」
「………………うん」
 照れくさくて、冗談めかして訊いた俺の言葉に、彼女は意外にも頷いた。
「初めて、だった………………こんなにも、良いものなのだな、口付け……キスというものは」
 その顔に浮かんでいるのは、いつもの無表情ではなく、恥ずかしそうな、嬉しそうな、
そんな微妙な表情。……今度は、俺がそんな彼女の顔に見惚れて、ボーっとする番だった。
「もっと……したい。駄目か、上月? 上月は……気持ちよくなかったか?」
「………………」
 俺が答える事ができないでいると――彼女のはにかむような笑顔に見惚れていたからだ――
照れて、真っ赤になった顔で、彼女は俺の腕を取った。
「こういう風に……せがむもの、だと思うのだが……違うか?」
「え……あ、は……え?」
「甘えん坊な女子というのは、こういう風な感じではないのか?」
「……え、あ、うん……そんな感じ、かな?」
「ならば問題ないな。この調子でもっとしよう……その、キ、キスを」
「……う、うん」
「授業はサボタージュだ。今日は君にこのまま甘え続けるぞ。構わないか、上月?」
 構わないどころか、大歓迎ではあるんだけど、何というか、その……初めて知ったな。
 茶屋野って、こういう風な顔で、笑うんだな……。
「俺は……別に、構わないよ」
「良かった!」
 ああ、そうか。俺は、茶屋野の事が好きなんだ。
「では……まずは、ギューってして?」
「おっけーおっけー」
 俺は、請われるがままに、茶屋野の身体を抱きしめた。
 顔をほころばせながら、ギューっと抱きしめた。
 今まさに、好きだと気づいた人の身体を抱きしめられる事を、そんな彼女と唇を
交わせる事を、幸せだと感じながら―――――― 



 結局、その日は日が暮れるまで、俺達は二人で抱きしめあい、キスを交わしあい――
 俺達は、互いの想いに気づくその日に至る、最初の一歩を、踏み出した――

                                             -終わり-
2008年07月20日(日) 12:54:43 Modified by amae_girl




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