5-221 近づく予感―2

一口大の芋コロッケを箸でつかみ、そのまま口に入れる。
その瞬間にさつまいもの甘さと、あんに混ざった胡麻の香ばしさが口いっぱいに広がっていく。
至福のひととき。大好物を食したときの感動はすさまじい。朝飯抜きならなおさらである。
「どうかな? おいしい?」
右隣に座っている千草が、俺の顔を不安そうに覗き込んでくる。
「うん、うまいよ」
俺は率直に感想を伝えた。それを聞いた千草は「よかったぁ〜」と胸を撫で下ろした。
いつものことながら、千草の作ってくれる料理はおいしいと思う。
「今日も愛妻弁当?」
そんな様子を見て言ったのは、目の前に座っているクラスメイト――深浦 渚(ふかうら なぎさ)である。
玉子焼きをぱくりと食べながら、じっとこちらを見ながら答えを待っている。
「何だ、愛妻弁当って?」
「平原さんが作ってくれたものってことよ」
「ん、まぁそうだな」
愛妻弁当というフレーズはともかくとして、確かにこれは千草が作ってくれたものである。
千草は毎日、自分の弁当を作るついでに俺の弁当もわざわざ作って持ってきてくれているのだ。
昼飯代が浮く上においしいので、感謝の気持ちで一杯である。
「一生懸命作ったんだよ〜♪」
嬉々として、俺と渚にアピールする千草。俺はそれに答えるようにして千草の頭を撫でてやった。

なでなで。

「いつもありがとな、千草」
そう言ってやると、千草は「えへへ♪」と微笑んだ。相変わらずいい笑顔だ。
「アンタ達、いい加減付き合っちゃえば?」
正面を見ると、少しうんざりしたような表情をしている渚の姿。梅干を箸でつかみんだまま固まっている。
「いきなり何を言い出すんだよ?」
「何ていうか、アンタ達をずっと見ているとそういう気持ちになるのよ」
「…は?」
何を言っているのかよくわからない。千草も「付き合っ…?」と呟いたっきり動かなくなった。
頭に疑問符を浮かべていると、渚は「わからないならもういいわ」と言うようにため息をつく。すると、
「別にいいんじゃねぇか? わざわざ付き合わなくてもよ」
俺の左側でずっと黙っていた悪友――渡部 修也(わたべ しゅうや)が口を挟んできた。
食べかけの焼きそばパンでこちらを適当に指しながら、話を続ける。
「どうせこいつらが付き合ったって、今とそんなに変わりゃしねぇんだから。そう思わねぇか、深浦」
そう言われて、渚は俺と千草の顔を交互に見比べた後、
「…ま、確かにそうね。渡部君にしては珍しくまともなことを言うじゃない」
「ほっとけ」
修也の意見に納得したのか、再び箸を進め始める渚。
話がちんぷんかんぷんだが、こいつら二人の様子を見ていたらなんだが負けているような気がし始めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。一体どういうことなんだ?」
「別に大したことじゃないわよ」
「ま、そーゆーこった」

俺の質問を軽くスルーして、修也と渚は食事に徹する。
裏で手を組んでいるようなコンビネーションに思わずたじろいでしまう。
(こいつらって、こんなに意見が合うような二人だったっけ?)
とにかくこの二人は味方になりそうにないので、右側を見てみることにした。
「おい千草、お前も黙ってないで何か…」
「………」
「千草ー?」
「………」
千草は俺の声にも気を止めず、ひたすらまっすぐを見ながらぽぇ〜っとしていた。
「どうやら、また平原さんの妄想タイムが始まったようね」
渚も千草の様子に気が付いたようだ。修也も気付いてはいるようだが、パンをかじったまま見ているだけ。
千草の妄想タイムは学校でもよくあることなので、二人にとっても取り立てて驚くようなことではないのだ。
「それでどうするの?」
「しばらく放っておけば元に戻るだろう。昼休みの時間もまだ余裕があるし」
「ま、そうね」
渚もそれに同意して、しばらく黙って千草を見守ることにした。

………。

それから数分が経過した後、千草ははっと我に返った。
「え…あ、あれ?」
「お目覚めですか、千草さん?」
「ふぇ? あ…」
口の中の物を飲み込んで声をかけると、千草はこっちを見て瞬く間に顔を赤くしていった。
「千草?」
「ちょ、ちょちょちょちょとし君ダメだよ! そんな…」
「は?」
千草は手足をばたつかせて、大声で俺に叫び続けた。
「い、いいいくら付き合っているからってそんな…、そんな…、そんなエッチなことしちゃ!」
「は、はぁ!?」
千草に意味不明な内容を叫ばれ、思わず驚いた。
(つ、付き合ってないだろ!? というかエッチなことって何だよ!?)
俺が混乱していると、千草の言葉に反応したクラスメイトがどっと周りに押し寄せてきた。
「何何何? 春日君と平原さんってとうとう付き合い始めたの?」
「おいおい俊之! 何で報告しないんだよ!?」
「エッチなことって…、あの二人もうそこまで進んでるの?」
「やだ〜。春日君達って案外…」

「お、お、お、お前ら一回落ち着けーーーーー!!」

その後、昼休みの残り時間すべてをクラスメイトの誤解を解く時間に費やすこととなった。
その間ずっと、渚はあきれたようにこちらを見続け、修也は必死に笑いをこらえ続けていた。
そして肝心の千草はというと、妄想の世界から目が覚めたものの、ずっと顔を真っ赤にして俯き続けていた。

   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

「本当にごめんね…」
自動販売機からとことこと戻ってきた千草は再度俺に謝った。
「いや、もういいけどさ…」
公園のベンチに座りながら、千草から暖かいココアの缶を受け取る。昼休みのお詫びらしい。
「それにしてもなんていう妄想をしているんだ、お前は」
「だ、だって〜…」
千草は口ごもりながら、俺の隣にちょこんと腰を掛ける。
「渚ちゃんがいきなり『付き合っちゃえば?』とか言うから…」
「だからってそんな妄想をするなよな」
「あ、あう〜…」
昼休みに千草がしていた妄想は『もしも自分がとし君と付き合うことになったら』ということらしい。
そこから想像を膨らますうちにエスカレートしてしまい、俺の顔を見て叫んでしまう内容になったようだ。
ちなみにその『エスカレートした内容』はどんなに尋ねても、ぶんぶんと首を振って教えてくれなかったが、
千草の様子から察するに、妄想の対象である俺にとっても恥ずかしい内容であったことは間違いないだろう。
(ったく、人には言えないような妄想をするなよな…)
そう思いながら隣を見てみると、俯いてしょげたままの千草が目に入ってきた。
反省しているのはよろしいことだが、こういう千草はあまり見たくないというのが本音だ。
「はぁ、しょうがないな」
俺は軽くため息をつき、そしておもむろに千草の頬を引っ張った。

ぐにー。

「い、いひゃいいひゃい〜!」
不意を付かれてビックリしたようだが、千草はすぐにバタバタと抵抗を始める。
俺もそれに負けじと引っ張る力を強めていく。
「痛いか? ん? 痛いのか?」
「い、いひゃいっふぇば〜!」
本当に痛いようなので頬を放してやると、伸びていた頬が一瞬にして元の形に戻った。
「うぅ〜、いきなり何するの〜?」
「ん? なんとなく」
「う、うぅ〜」
両手で頬をさすりながら、涙目で抗議の目を向ける千草。
そんな千草の様子を見て思わず笑ってしまった。ようやく本来の調子に戻ったようだ。
(やっぱり千草はこうじゃなくちゃな)
隣で「何がおかしいの〜?」と怒っている千草をなだめながら、ベンチから立ち上がる。
「さて、と。そろそろ帰るか?」
軽く微笑んで千草に手を差し伸べると、千草の表情が一気に明るくなった。
「う、うん♪」
千草は勢いよく立ち上がって俺の手をつかみ、俺たちは手を繋いだまま公園を後にした。
冷たい風が吹いていたせいか、千草の手がいつもよりも暖かく感じられた。

   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

「はぁ、今日も進展無し、か」
公園を後にする二人の姿を確認した後、それを陰で見ていた渚は大きなため息をついた。
「…みてぇだな」
草むらから這い出た修也は軽く伸びをする。実はこの二人、下校直後から俊之と千草の後をつけていたのだ。
「にしても毎日毎日二人の後をつけるたぁ、いいご趣味をお持ちのようで」
「だ、だってそれは!」
「それは?」
「その、気になるじゃない…」
強い口調で入ったものの、どんどんと声を小さくさせていく渚。
「二人ともいい友達だから、やっぱり付き合ってほしいなって思うのよ…」
「ふーん」
そんな渚に対して、修也はあっけらかんとした感じでストレッチを続ける。
「ま、俺はあんま気になんねぇけどな」
「何で?」
「言ったろ? 別にあいつらが付き合おうがそうでなかろうが、そんなに変わりゃしねぇって」
昼休みに言ったことを再び言いながら、修也は肩を回す。
「それによ、あいつらはあいつら自身でいい距離感を自然に感じて保ってんだから、心配する必要もねぇっての」
「それは…、そうだけど…」
修也の説明にも腑に落ちないのか、渚はぶつぶつと口の中で呟いている。
「ったく、おせっかいが」
「う、うるさいわね! わかってるわよ、そんなこと!」
そんな渚を尻目に見ながらよっこいせと修也は鞄を肩にかける。これ以上何を言っても無駄だと判断したのだろう。
「んじゃあ、帰んぞ」
「えっ…、え…?」
修也の「帰る」という言葉に渚はやけに敏感に反応した。それに気付いた修也は渚に振り返る。
「ん? どうした?」
「あ…、えっと…」
「………」
もじもじと体を動かす渚を見て、修也は何を求めているのかがすぐにわかった。
(ったく…、自分のことになるとどうしてこんなふうになるのかねぇ?)
修也はそう思いながら、頭をぽりぽりと掻いた。
「んじゃあ、軽くデートでもすっか?」
「え…? いいの?」
「いいのってお前、そうでもしなくちゃ気がすまねぇんだろ?」
「そ、それは…」
先ほどとはまるで対極的な渚の様子に修也はじれったくなって、公園の出口へ足を進めた。
「ったく…、ほれ、いくぞ渚」
「う、うん! 修也君!」

本人達を除いて、渡部修也と深浦渚が付き合っていることを知る人は恐らくいないだろう。



糖化終了
次回はもう少し甘くします
2009年04月30日(木) 00:22:37 Modified by amae_girl




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