6-677 曾祖母の日記

23回忌を目前に、曾祖母の日記が見つかった。

曾祖母は神社の生まれでありながら、寺の次男坊だった曾祖父と駆け落ちして北海道の開拓民になった人だ。
生まれのためか、霊感が非常に強かったらしく、所謂『手当て』が出来る人であったようだ。
神経痛や腰痛から、夜泣き寝小便まで治すゴッドハンドとして、亡くなるまで多くの人に尊敬されていたらしい。

教養高く、凛として一本気、礼儀や道徳に煩く
『まるで定規が着物着て歩いているようだった』
と評される曾祖母と、職人気質で曾祖母が隣を歩く事も許さない程の亭主関白であったという曾祖父は、きっと似合いの夫婦だったのだろう。

そんな曾祖母の、新婚時代の日記が見つかった。


新婚当時、曾祖母は16、7である。
曾祖母は本当に教養高い人であったらしく、日記は物置の奥で曾祖母が手書きした作法の指南書の間に挟まっていた。

中身は、曾祖父から言い渡された夫婦間の決め事や、三度の献立、最後の一行でその日の総評など。
日記と言うよりは、何かの記録書のような素っ気ない物だった。
非常に達筆な上、古い書体・文体で、知り合いの院生の協力で何とか解読出来たのだ。

そんな素っ気ない、一日五行で収まる日記の中、丸々見開き分を使っている日があった。


その日。
昔気質の亭主関白な曾祖父が、どういった風の吹き回しか、曾祖母を膝枕して耳掃除をしたらしい。
経緯については書かれていなかった。
その出来事に対する感動だけが、わざわざ前日までと頁を別にして、見開き一杯に書かれていた。

『私は両親から厳しく躾られ、兄姉も居らず、今日初めて甘えるという事を知った心持ちだ。
主人の性格を考えるに、もう二度とこういった事は無いだろうし、私も希望を口にする事は無いだろう。
それでも、これが毎日だったらどれほど幸せか。
何かの祝いの日にでもまたしてくれないだろうか。
私の子供達には、きっとこの幸せを与えよう。』

そんな事が、言葉を尽くして書かれていた。


曾祖母は僕が物心つく前に亡くなってしまった。

とても厳しい人で、遺影の中でさえ口をへの字にしている様な人だ。
それでも、自分の子や孫、曾孫である僕や兄には非常に愛情深かった。
泣いた時には、一晩中でも抱きしめ、そのゴッドハンドで頭を撫で続けてくれたらしい。

間もなく曾祖母の23回忌が来る。
何時もの様に、曾祖母の好物だった麦飯とゴボウの味噌汁、それから白玉善哉を仏壇に供えようと思う。

曾祖母は本当に凄い人で、眉唾な話を含め沢山逸話がある。
だけども、それは流石にスレ違いな話になってくるので、別の機会にでも。
2009年10月28日(水) 20:59:12 Modified by amae_girl




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