6-878 ぬいぐるみ

子どもの頃、クレーンキャッチャーで手にしたぬいぐるみ
男の子には不似合いな、可愛らしい女の子のぬいぐるみ
それでも取れたことが嬉しくて、大事にしたぬいぐるみ

しかし男の子は段々と大きくなり、いつからか押入れの奥に入れっ放しになっていました
昔のようにまた遊んでもらいたいと、ぬいぐるみは思いました
すると目の前に神様が降りてきて言うのです

「今でも彼を憎まず、ただ思い続けるお前の望みを叶えてやろう」
彼女の望みとは、人間になって彼と再び会うことでした
「ただし、三回彼に甘えたらお前はぬいぐるみに戻る」

気がつくと、彼女は部屋の中にいました
自分の体を見てびっくり。人間のようです。それに、自由自在に動かせます
可愛らしいドレスから何から何まで、生まれ変わったような心地でした

部屋に戻って来た彼は、部屋の隅にちょこんと座っている彼女を見つけます
「誰?」
無理もありません。もう何年もお互いに、その姿を見ていないのですから

でも、彼女には分かりました。容姿の所々に残る、懐かしい特徴を
「私、ぬいぐるみです」
彼女は感動で胸がいっぱいでした。男の子だった彼が、こんなに大きくなっているなんて

「ぬいぐるみ?」
彼女もまた、小さくてふわふわした姿から、大人の女性に変わっていました
思わずぼうっとなって、胸がどきどきしてしまいます

「何となく見覚えはあるけど、ごめん……長い間、忘れていたみたいだ」
彼女は自分から立ち上がると、首を横に振りました
「もう一度会えて嬉しいです」

「な、何か飲む?」
「…いいえ。もし良ければ、私にさせて下さい」
ふと思い出したのです。三回甘えてしまったら、自分は元に戻ってしまうと

彼女は彼が傍にいて、視線の中にいることが幸せでした
使い方を教えてもらって、ティーパックで紅茶を作ります
そんな姿が、彼にはメイドさんのようにも見えました

椅子に腰掛けて、二人で紅茶を啜ります
初めての味が甘くて、そして少し苦くて、彼女に不思議な感覚をもたらします
「美味しいよ」

彼の笑顔に、思わず彼女も笑みが零れます。褒められて、とても嬉しかったのです
「ありがとうございます」
そう言うと彼は、照れたような表情で笑うのでした

彼女もまた、少し照れ臭そうに俯いて、紅茶の表面に映った自分の顔を見ました
何だか熱くなりました。二人は無言のまま、目を合わせられません
静かに聞こえる時計の音よりも、中から感じる心臓の鼓動の方が、ちょっとだけ早いようでした

そう、彼女が人間になりたいと強く思うには、それなりの理由がありました
再び会えるだけでも勿論、凄く凄く幸せだったのですが、本当はその気持ちを伝えたかったのです
例え夢の中でも良いから、思い人に”好き”だということを

「紅茶、さげますね」
その一言を言うのが、目の前ではこんなに難しいのだと、彼女は知りました
隣で手を貸してくれる彼に、本当はもっと寄り添いたいと、そう思うのに出来ないのです

彼は押入れを探ると、アルバムを引き出して来ました
彼女と並んで座ると、ぱらぱらとそれを捲り始めます
そして、あるページで手が止まります

「いた」
そこには、まだ小さな頃の彼が、真新しいぬいぐるみの頃の彼女を抱えて、写っていました
満面の笑みで、如何にも幸せそうな表情です

彼は写真と彼女を見比べて、そして笑いました
「しっかりと思い出した。君はここにいるぬいぐるみだ」
「はい、私です」

思い出を振り返りながら、しばらく二人はアルバムを見ていました
懐かしさで時々、胸が苦しくなるのを抑えながら
そして、思い出せば思い出すほど、気持ちは強くなっていきます

隣同士で、顔が触れ合うような距離で、二人はアルバムを覗き込みます
そして顔を上げると、ふと視線が合うのです
二人は無言のまま、今度はじっと見つめ合います

自然と右手が動いて、彼の手に触れます
自分から甘えてはいけないと、そう思っても気持ちが収まりません
「私…あの…」

切なげな表情に彼は、その手を両手でそっと包み込みます
「忘れていて、ごめん」
彼女はずっと、暗い押入れの中にいました。憎んでいなくとも心の内ではどこか、思い出してのその言葉が聞きたかったのかもしれません

「……寂しかった」
その言葉から少しして、彼女は彼の胸に包まれていました
目から滴がぽたり、ぽたりと彼の洋服に落ちて、染みを作っていきます

彼女はしばらく、そこから離れようとしませんでした。その感触があまりにも懐かしく、そして心地良かったからです
彼もまた、抱き締めることを止めません。不思議と思い出されるのはぬいぐるみの、あの感触でした
温かい体に触れていると、何だか忘れかけていた場所に、戻れるような気がしました

再びやっと二人が顔を見合わせると、彼女は泣き腫らしていました
美しい女性の姿ですが、彼はもう不純な思いでは彼女を見ていません
もう一度、軽く抱き締めます。すると彼女の心も癒えたのか、ゆっくりと笑顔が戻っていきました

二人はそれから、写真を撮りました。家の中で、何枚も撮りました
幸せでした。本当の恋人同士のように、話し合う時間、笑い合う時間、楽しみ合う時間でした
一度甘えてしまいましたが、彼女は代わりに、かけがえの無いものを手に入れたように思いました

それでも、そんな時間はやがて終わりを迎えます
彼女にはある決意が芽生えていました。自分の目的を果たすことです
携帯で撮った写真を見直している彼に、彼女は声をかけます

「何?」
「私、あなたに言っておかないといけないことがあります」
本当のことを言えば、避けられてしまうかもしれない。けれど、彼女は思いきって口にしました

「私は、あと二回あなたに甘えたら、ぬいぐるみに戻ってしまいます」
彼女の両手は知らず知らず、固く握り締められていました
「そんな…」

甘えなければ良い、と彼女は最初はそう思っていました
「でも、あと二回……悔いが残らないように甘えたい」
彼は否定しました。それが彼女の心を締め付けます。ですが、甘えられない関係なんて、彼女には耐えられそうもないのです

「俺が君に甘えれば良い」
ううん、と彼女は首を振ります。そしてゆっくりと近寄り、抱き締めるのです
「ぬいぐるみの時、あなたはまだ子どもで、よく私に甘えてくれました。でも、私も同じように、あなたに甘えていました。…あなたに受け入れてもらえるのが、私にとって一番幸せです」

「せっかく人の姿になったのに…」
すると、彼女の目から再び零れるものがありました
「目が熱くなって、何かが零れる…これは、何て言うのですか?」

「…涙」
そう言うと彼は、彼女の涙にそっと触れました
「不思議です。悲しいのに、胸が苦しいのに…涙を流していると、楽になる気がします」

「もう、君のことを忘れたりなんかしない。だから、急ぐ必要はないじゃないか」
「私はぬいぐるみです。だから自由にあなたを…好きになれない、そう思っていました」
彼女はゆっくり体を離すと、彼の目を見て、そう告白しました

「でも、私は元に戻っても良い。こうして喋れなくなっても良い。自分の気持ちに、正直になりたい」
二人の間から、時が止まったかのようでした
「…あなたのことが、好きです。ずっとずっと、好きでした」

ぽっと口元が熱くなったことに、彼女は気が付きました
そして彼の唇が、自分のそれと重なり合っていることを理解するのです
温かいそれは、彼女を安心させると共に、その心に強い情熱をもたらしました

キスは段々と二人の理性を崩し始め、激しさを増していきました
「ぷ…は」
口を離すと、舌と舌の間に愛糸が張っていました

彼は貪りつきたい衝動を抑えて、部屋に布団を敷きます
そして彼女を優しく寝かせると、自分もその上から重なるように、顔を近付けます
「俺も…好きだ」

二回目のキスから始まり、二人は愛を求め合うように、体を寄せます
崩れかけていながらも、理性はどこかで保ったままでした。心の無い行為には、したくなかったのです
お互いの服が肌蹴て、呼吸が乱れても、二人はどこか、労わり合うように愛し合いました

「…ぬいぐるみに戻っても、私の気持ちを、覚えていてくれますか?」
途中で一度だけ、彼女は尋ねました
「絶対に忘れない。紅茶も、写真も、キスも、全部」

彼女の心は、満たされました。例えこれから何が変化したとしても、今日のこの事実だけで、充分なくらいに
そして更なる愛へと没頭し、夢中で抱き合います
長い時間を経て再会した二人は、長い時間をかけてゆっくりと、愛を深めていきます

やっと纏う物の無くなった彼女の体も、人と何ら違いはありませんでした
ぬいぐるみと思えばそれまでかもしれませんが、その思いに応えるのに、今しか出来ないことがあります
彼は何度も確認して、そして優しく、彼女と繋がっていきます

体が自然と動いて、お互いに全身は熱く、そしてとても快く感じます
部屋中に漏れ響く声は、切ないようでいて、相思相愛でいられる喜びに溢れていました
やがて二人は、体の中で愛を一つにしました。しかしそれは、間を置いてまた何度も続きました

彼女は行為の中で精一杯甘えました。何回とも知れないキスを重ねました
これ以上ない状態で、体を寄せ合いました。触れ合いました
この体が知っている全ての愛し方を、余さず求めました。彼もそれに付き合い、そして彼からもたくさんの愛を貰いました

二人はそのまま、長い眠りに落ちました
どちらも、とても幸せそうな顔でした。意識がなくても、しっかりと抱き合ったまま眠っていました
それはどこか、子どもがぬいぐるみを抱えて眠っているようにも見えました

「最後にもう一つだけ、甘えさせて下さい」
「何?」
「ぬいぐるみに戻っても、出来るだけ傍に置いて下さい。たまにぎゅっと、抱き締めて下さい」

彼は人間です。そして彼女はぬいぐるみです。そこに愛は、存在し続けられるものではないかもしれません
それでもこの、甘えという我侭を、彼が少しでも受け入れてくれるのなら…それだけで彼女は、存在出来るのです
彼が最後に強く、これ以上ないほど強く抱き締めると、彼女はゆっくりと小さくなって、ぬいぐるみに戻りました

ぬいぐるみは喋ることも、表情を変えることもありません。ただ、彼女の心は確かにその中にあります
三回の甘えで、彼女は幸せになることが出来ました。彼も、自分が受け入れた結果として、後悔はしていません
今もほら、抱き締めると確かに伝わってきます、彼女の温もりが


そうそう。彼はある日、変な夢を見ました
枕元に神様のような人が立って、言うのです
「潔いお前たちには感心するというより、呆れた。こうなったら、年に一度くらいは人間の姿に戻してやろうか」

彼が目が覚ますと、腕に抱いていた彼女のぬいぐるみはそのままでした
単なる変な夢だったのでしょうか? いいえ、神様は最後、確かにこう言いました
七夕の日を楽しみにしておくと良い、と


おしまい
今はいないけど、私の所に出てくるとしたらサンダーバード2号かな
2009年10月28日(水) 21:31:18 Modified by amae_girl




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