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『武者震之助用語辞典』with 小檜山

歴史ポータルサイト『武将ジャパン』やnote『小檜山青 Sei KOBIYAMA』で活躍中の武者震之助(小檜山青)さんに関する重要語などを解説するページです。

【武者震之助用語辞典(一応完成分)】
【武者震之助用語辞典(作業遂行中の項目)】
【武者震之助用語辞典(項目立てしただけのもの) 】
【大韓帝国で発行された渋沢栄一肖像画入りの第一銀行券に関する小檜山氏の所論について】(未完成)
【業務妨害等を理由としたIPアドレス開示請求による武者レビューに批判的なコメント者の個人情報暴露の可能性に関する考察】(未完成)
【戦前の女性の権利に関する武者氏の認識の妥当性についての考察】(未完成)


【武者震之助用語辞典その1】
※辞典編集者が一応書き上げたと思っている項目分ですが、追加・修正のご意見があれば、スレッドにてご提案ください。

◎【アリバイ(alibi)】本来は「現場不在証明」(被疑者が犯罪の行われたときに現場以外の場所にいたという証明)のことをいう。
 日本語の辞書にはこの本来の意味しか記載されていない場合がほとんどだが、英語圏の辞書にはこれに加え、「an excuse for something that you have done wrong」(Oxford Advanced Learner's Dictionary)という意味も記載されている。 
 武者氏も言い訳という意味で用いることはある〔用例1〕が、大河ドラマで尺の都合で主人公が関与していない歴史的事実・背景について他の人物の台詞や「紀行」で補足する場合にも、彼女の鋭い感性はそれを許さずアリバイと指摘する〔用例2・3〕。
 また、ドラマ内の歴史的事実の描写が武者氏が望む水準に達していない場合には、不十分な描写のこともアリバイという〔用例4〕〔用例5〕。
 加えて『いだてん』35回ではベルリン五輪記録映画を説明する際に「プロパガンダ」という言葉を用いたことから、「やっぱりクドカンは、プロパガンダなんか決別している! だからこそのセリフ!」といだてんファンが言うだろうと独りで想像して「アリバイでしょう」と切り捨てた。
 「いだてん総評前編」では、『西郷どん』の時代考証担当者がドラマに出演し、かつその姓を付した遊郭が劇中に登場したことに関し、「普通の視聴者はざっくり「歴史の先生だ。あのテレビで見る人ね〜」となって(ドラマ内の問題点を)気にしないもんね」と視聴者心理を勝手に推測し、「そういう遊びとアリバイしている暇あれば、西洋史の研究者を呼んできたらどうですか?フランス革命がらみが高校世界史レベルのミスをしていて、頭痛がしてきました」〔※〕と述べている。
 視聴者心理が武者氏の推測どおりだったとしても、それは「燻製ニシンの虚偽」と呼ぶべきものであるが、低レベルの読者の理解に資するため、あえて「アリバイし」という易しい動詞を創出する武者氏の配慮は素晴らしい。
 しかし、読者への気配りに疲れたのか、時として〔用例6〕のようにドラマにはなかった台詞を交えてまでも「アリバイ」を連呼する武者氏には、自身のからだを労ってほしいものである。
〔用例1〕「(新次郎が「あさほど心の中が、女らしいおなご、わては知らん」と言ったことに関し)史実を踏まえますと、新次郎は妾を囲う可能性が高いです。
  そうなったとき、「でもこの二人は心と心が通じ合っていますよ」と言い逃れする、アリバイ作りのようにも思えます」(あさ第6週)
〔用例2〕「小田村伊之助がなんだかごちゃごちゃ喋って、アリバイ的な時代背景説明終了」(花燃ゆ11)
〔用例3〕「この久光も、相変わらず「エキセントリック馬鹿」でしかないのが、心の底から痛ましい。・・(中略)・・イギリス人が「日本で最も才略に富んだ政治家」と評価した久光の頭脳は、本編語(ママ)の「紀行」でアリバイとして語られるだけでした」(西郷29)
〔用例4〕「万次郎も、いざ勉強を始めると頭脳明晰で優秀ではありましたが、同時に人種差別は身に染みて感じてきたはずで。「アメリカはフリーダム、パラダイス!」という、描き方はいかにもゆるふわでしょう。ここでアリバイがましく、万次郎のおかげで蒸気船もできました、と付け加えます」(西郷6)
〔用例5〕「今週はやっとおもしろくなった。落ち着いた。そんな感想もありそうですが、・・(中略)・・実在した女性がでしゃばって目立ったり。回想シーンまみれにしたり。いちゃいちゃする場面の比率は減りました。そのぶんアリバイじみた描写が増えて相対的にマシに見える。それだけです。」(どうする家康31)
〔用例6〕「アリバイ、アリバイ、またアリバイ。五分に一度くらい聞こえてくる、「スポーツを愛するものは心清らか!」「オリンピックと政治は無関係!」「日本人は平和を愛します!」 みたいなセリフ。これは何でしょうか」(いだてん35)
   ※本辞典編集者注・武者氏は、『西郷どん』の登場人物がフランス革命を意識しつつ明治維新に向かうと感じさせる描写があったことについて批判的です。次例参照。
   ●例「しかも『ラ・マルセイユーズ』(ママ・マルセイユ由来の歌なので間違いとは言い切れないが、検索してもこのような表記は見当たらない)を奏でるあたりが、バカ歴史観お疲れ様としかいいようがないです。明治維新はフランス革命と全然違いますし、明治政府は農民一揆ごときが政治をひっくり返してけしからんという考え方です。デモクラシーの芽をむしろ摘んできた」(西郷47)
◎【五十嵐利休】月間最高960万のPVを誇るサイト『武将ジャパン』の編集長。PV稼ぎに天才的な才能を発揮し、内容の薄い記事やレビューであっても、無意味な改行やイラストを使い回してページ分割を図り、輝かしい実績をあげている(※)。
 一方、サイトに都合の悪いコメントが投稿されると即削除、更には書き込み規制を加えたり、敢えて削除せず業務妨害だと恫喝・息のかかったコメンターを動員して批判させたりするなどして、執筆陣(特に武者氏)のメンタル保護にも細心の注意を払う。
 年令については、TV出演時の映像から四十代とみられるが明確ではない。しかし、以下のような記述が確認されている。
 武者氏は「例えば【ヒッピー】という言葉、説明がないのはちょっと不親切だと思います。団塊ジュニア世代の編集さんにとっても、ほとんど馴染みがない言葉とのことなので」(まんぷく133)と述べている。
 また『半分、青い。』37話の武者氏のレビューの後に【編集からの補足】として「律の時代より少し後ですし、本人の性格からどっぷり浸かることもないと思います」としながらも、「当時は「インカレ系サークル」というのが流行ってて、一つの大学に収まらず、複数の大学が集ってイベントなどをやってました」と述べている。
 楡野鈴愛・萩尾律は1971年生まれの設定なので、この「編集」が五十嵐氏であるとすれば、1975年前後の生まれと推測される。
 武者氏との関係については、単なるビジネスライクな関係を超えた夫婦又は愛人などの密接関係説、さらには同一人物説などがあったが、小檜山青氏が自身のnoteで自分が武者氏であると公表したことから、同一人物説は否定された。
 また、小檜山noteにおける『武将ジャパン』への言及ぶりから、2020年夏以降、五十嵐氏と小檜山(武者)氏との関係が悪化しているとの見方もある。もし夫婦だとすれば、離婚の危機に直面しているのかもしれない。
 なお、2023/09/07に「@igarikyu 武将ジャパン」でX(旧Twitter)で検索したところ、五十嵐氏の最新の投稿は2021/01/15のものであった。一方、現在の『武将ジャパン』の運営主体は株式会社冬杏舎であり(https://archive.md/IlDAS)、同社は2022年6月の設立である(https://archive.md/vQr8y)
 既に五十嵐氏と『武将ジャパン』との間は相当隔たっているのかもしれない。
   ※本辞典編集者注・「りきゅう◆月間最高960万PVの武将ジャパン運営小僧」twitter@2020/11/10(魚拓・https://archive.is/YfjRg)
  → 【小檜山青】【武者震之助】の項も参照
◎【厠火事】武者氏が書いた新作落語(いだてん23)。古典文学にも造詣の深い彼女ならではの名作であるが、寄席でこの噺を聴いた者は一人もいない。
◎【教団】(1)『まんぷく』作品中で主人公の夫である立花萬平を崇め、彼の生み出す商品に絶対の信頼をおく登場人物の集団こと。
 武者氏は『まんぷく』内で、新ダネイホンを美味しくないといった塩軍団の3人を世良が「つまみ出せ」〔※〕と言ったことを独裁体制と、小野塚(今井)咲が度々夢枕に立つことを幽霊召喚システムと看破した。
 そして、これらのことから「カルト教団による洗脳過程を描くドラマならば秀逸」(まんぷく62)と評価し、武者氏自身がカルト教団の内情にも詳しいことも示した。
 また「まんぷくラーメン」完成直後に、登場人物がラーメンを口に入れたまま「うまい」と叫ぶ場面を「宗教的法悦」と、それをみた萬平が庭で身体全体で喜ぶさまを「教団幹部による歓喜の舞」と評している(まんぷく112)。
   ※本辞典編集者注・ドラマ内の実際のセリフは「これが気に入らんいうもんは、切り捨ててよし」です。
 (2)『なつぞら』放送開始後は、『なつぞら』を評する際に『まんぷく』に言及する声がSNS上に見られることから、(1)に加え、『まんぷく』ファン層・『半分、青い。』アンチ層も含めて「教団」というようになった。
 〔用例1〕「****が好きというよりは、その前作が嫌いだから固まりたい。あの作品を貶すために****が聖典でなければならないーーそういう価値観をバラ撒く……しみじみと教団だなぁ」(なつぞら4)
 〔用例2〕「****教団員のみなさまにおかれましては、再放送お蔵入り、ソフト販売停止も考えられそうなので、録画は消さないことをオススメするしかありません」(なつぞら97)
 〔用例3〕「【****教団員】 きみたちは、忖度と社会ステータスの確保がお得意だろ。個性が強いクリエイター気取りは、無駄だから嫌いなんだ無駄無駄……」(なつぞら107)
 (3)(1)と同様に『いだてん』においても主人公の一人である金栗四三の周辺に集う人々のことを「教団」と呼んだことがある。
 〔用例〕「「心配なか! あんたのお父ちゃんはいだてんだけん!」そんなスヤのセリフも、何を言っているんだ感がすごい。いだてん教団は今日もニコニコ絶好調だ」(いだてん38)
 (4)武者氏は自分に批判的なコメントを削除し、ドラマと無関係な動画へのリンクを貼って論点を外して自己主張するので、レビューとコメント欄を斜めに読むかぎり、武者氏を教祖とする宗教集団が成立しているようにみえる。
 武者氏への信心に欠ける異教徒の中には「自分の嫌いなもの、気に入らないものは全てこの世から存在を抹消されるべきと固く信じてるのが偏見にまみれた差別主義者そのものだなあ」(part10・443)とみる者もいる。
 これらを総合して、(part10・442)は「****を**教だと散々嘲笑った後でのなつぞら公認のなつカルト宗教化だから腹の底から笑わせてもらってるよ」と評している。
 わずか数年のライター活動で「武者教団」を成立させたことには、(1)に記したカルト教団への深い洞察が貢献しているものと思われる。
◎【クックパッド】武者氏が勧める最強のレシピ集(まんぷく107、まんぷく120)
◎【軍師】悪口が多いなど他の登場人物の心を引っ掻きまわす武者氏好みの人間を、彼女は「軍師」と呼ぶ。もっとも、「軍師とは何か」と正面から問われると、武者氏自身にも定義は分からないようである(〔用例〕参照)。
 特に皮肉な発言が多い場合「黒軍師」などと呼ばれることもある。
 まれに「軍師」がドラマ展開や設定状況を大きく撹乱した場合でも「それが軍師の限界」と言い張ることで、武者氏はその人物を嫌いにはならず、なおも称賛しつづけることができるマジックワード。
 〔用例〕「でも、彼女(帰蝶)をマクベス夫人だの、無双だの、悪だの、軍師だの、そういう意見には賛同できません。軍師は定義がよくわからない。無双はその元ネタはもう古い。いつまで使っているのやら」(麒麟13)
   ※本辞典編集者注・〔用例〕の後段は「軍師は定義がよくわからない。まぁ、言いたいことはわかるんですけど。なまじ戦国時代だと、使うことにちょっとためらいがある」とサイレント修正されました(part17・614・616参照)。
◎【小檜山青】小檜山note(2021/01/26)に「(『映画秘宝』に)原稿を書いたことがあります。かなり昔のことで、たった数回でもあり・・」とあるように、幅広く活躍しているベテランライター。サイトの執筆陣(魚拓あり)では、次のように紹介されている。
  【鋭利な切り口と、心温まる人の情。相反する要素を巧みに取り入れた記事が特徴で、武将ジャパンでは戦国や幕末を中心に執筆している。日本史だけでなく世界史にも造詣が深い】
 実際に小檜山氏が愛好する作品のレビューでは、多数の曖昧用語を駆使して絶賛し、作品の欠点には一切言及しないなど、彼女の「心温まる情」に接することができる。
 逆に小檜山氏に嫌われた作品は、その作品とは無関係な事柄まで持ち出してあらゆる観点から罵倒される。その舌鋒には「鋭利な切り口」というよりも全てをなぎ倒す鉈とでもいうべき迫力がある。
 祖先は庄内藩の屯田兵であり(note(2020/11/21))、シベリア抑留されたロシア語に堪能な先祖(士官)もいるという(note(2021/01/24)・note(22021/04/18))。
 学歴は不明だが、note(2021/08/29)によると、医学部の設置されている大学に通っていたことが分かる。
 武者震之助名義の記事に次のような記述があり、おそらく小檜山氏は地方から東京圏の私立大学文系に進学した可能性が高く、医学部のある大学となれば慶應義塾大学か日本大学、『青天』を批判する際に福沢諭吉の言葉を頻繁に引用していることから前者と思われる。
 【『なつぞら』の夕見子は北大卒でした。当時の道産子にとっては、東大よりも北大が頂点です。地元の国公立大学こそ頂点であり、都市部の私大に行くことは「負け組」認識されてしまう。偏差値は関係ありません。
  地元の名門高校と国公立大学を出て、男ならば地元企業に就職、女ならその妻になる。これが勝ち組ルートや! 】(スカーレット53)
 彼女の『武将ジャパン』への参加時期は不明。執筆陣の一人である恵美嘉樹氏のブログ(2013/05/09:魚拓あり)には2013年7月に『武将ジャパン』というサイトを発足させたとある。しかし、そこには本郷・馬渕等のビッグネームをはじめ小檜山氏の名前もない。
 また、会津贔屓の彼女なのに『八重の桜』放映中の執筆記事がなく、別名義「武者震之助」による『軍師官兵衛』レビューが2014年1月より開始されていることから、2013年後半の参加であろう。
 会津贔屓ということについては、新選組パレードに隊士役で参加したことあったし、大昔、理想の生き方として「土方歳三です!」と即答したこともある(twitter2021/06/25・魚拓: https://archive.is/islwM)など、会津藩預りだった新選組へもその愛は拡がる。
 一方、note(2020/11/25)では【発達障害・・(中略)・・自分が当事者だと言いたくはなかった】【ASD当事者ライターとして仕事がないとセルフ兵糧攻めになるさだめがある昨今よ……ゆえに、手帳ももらったことだし、そろそろ明かします】と述べている。
 ASDとはいえ、彼女の才能は『武将ジャパン』の枠に止まるものではなく、『三國志14』同梱のアートブックで全武将の紹介文を担当したほか(note(2020/10/07))、2020年夏以降、noteでの活動も活発化させた。
 特に2020/08/26のnoteでは「『武将ジャパン』に提出ならびに提案したものの、掲載が不適切とされた記事を中心に掲載してゆきます」と『武将ジャパン』との微妙な関係を匂わせている。
 このことは、同性愛差別批判者としてそれなりに著名な金田淳子が、2021/09/09に
 【ある記事について、自分が赤入れ指示したのと違う文章が、公式に出されていることに、先ほど気づいてしまった。こんなこと相談もなく起こるわけないと編集部を信頼していたので、詳しいチェックをしていなかったけど…(※現在、どういう意図なのか、誰がやったのか問い合わせ中)】
  とtweetした際に、小檜山氏が
 【Replying to @kaneda_junko
  突然失礼します。実績ある金田先生と比較するのもおこがましいと思いつつ、相談なしで変えられる&掲載を相談なしに非公開にされることが当たり前の三流ライターなので、そのへん無頓着立ったな〜…と痛感しております。】
  とReplyしていることからも窺い知れる。
 なお、その後金田氏が「ちなみに私の勘違いなら恐縮ですが、以前に一緒に兵馬俑展を見に行ったお方ですよね?」と再度Replyした際に、
小檜山氏が「いやいやその節は…ちなみに私は猫大好きです。唐突にすみません!」と返信していることから、両者に面識があることが分かる。
 以上のtwitter上でのやり取りについては、魚拓(https://archive.is/qSypU)と(https://archive.is/C7DUg)参照。
 さて『武将ジャパン』との関係が悪化し始めた小檜山氏は、『スマホで朝ドラ』に掲載していた朝ドラレビューや『ゴールデンカムイ』関連レビューを、自身のnoteで月額100円の有料記事として配信し始めた(2021年前期朝ドラの『おかえりモネ』からは月額300円に値上げ)。
 さらに2021年1月から同じく有料note記事として始めた北川悦吏子脚本ドラマレビューの紹介文に次のような記述があり、武者スレで囁かれていた武者震之助・小檜山青同一人物説は確定的となった。
 【『ウチの娘は彼氏ができない』のレビューです。レビュアー・武者震之助名義で、『半分,青い。』レビューにおいて北川悦吏子氏より好評をいただいております!ゆえに、公式解釈に近いんじゃないかな、と思います】
 一度インタビューしただけで脚本家の本質を見破り、新ドラマについて公式解釈に近いレビューが書けるのは、正しく才能の賜物である(小檜山氏と北川氏との関係は【武者震之助】の項も参照)。
 小檜山氏は批判的コメントによって心が掻き乱されることを避けるためか、noteのコメント欄を閉鎖し、一心不乱に執筆活動に取り組み、良質の記事を量産し続けている。
 しかし残念なことに、朝ドラ・『ウチの娘』・『ゴールデンカムイ』の各レビューについた「スキ」の数から判断する限り、3つながらに有料講読者数は今一つのようである。
 この点につき、彼女自身も【ものかきできるかどうかの瀬戸際というか、一応歴史考察してます。マガジンお布施よろしくお願いします!】(小檜山twitter(2021/03/11)(https://archive.is/XkeLz))と語っている。
 また【まあライターできるかわからんし、ハロワ久々に行ってくるわ!noteまるで読まれてないし、結局私って媒体の知名度頼りでしかないクズでカスだなと】(小檜山twitter(2021/03/11)(https://archive.is/4XmnS))とも述べている。
 しかしnote(2020/12/06)に次のような記述があり、現在の彼女の生計手段について推測することが可能である。
 【ASDは胃腸が悪い。そういう指摘があると気づき、腑に落ちることしかありません。・・(中略)・・でも、腸内環境は改善できますよね。ヤクルトです!
  どこで買ってもいいのですが、ASDならそこはヤクルトセンターに頼んで、宅配してもらうことをおすすめします。決まった本数が定期的に届くから、「ぎゃー!書い(ママ)忘れた!」とならなくてよい。・・(中略)・・そんなわけで、ヤクルトに電話しましょう】
 特定の腸内細菌がASDを軽快させるという研究もあるが、未だ標準医療という段階にはなく、ましてヤクルトがその細菌を増加させるということでもない。
 しかもコンビニ等で容易に入手できるのに、彼女は執拗に宅配に拘っている。このことから小檜山氏はヤクルト・レディとしてそれなりの収入を得ていると推測しても、的外れともいえまい。
 荒天の日も重い荷物を積んだ自転車を走らせて奮闘、特に月曜日は前日放送の大河レビューをアップし、朝ドラを視聴した後にヤクルト・レディとして勤務、帰宅後に朝ドラレビューを書き上げる。
 彼女がこのような生活を過ごしているとすれば、小檜山(武者)レビューを読む際には、正座して背筋を正し、一言一句たりとも蔑ろにしない真摯な姿勢が読者には求められているといえよう。
  → 【武者震之助】の項も参照
◎【サーバーメンテ等】武者レビューに寄せられた武者氏に批判的な読者のコメントを削除すること(いだてん25のコメント欄の「BUSHOO!JAPAN 2019/07/03 19:27」を参照)
◎【時代劇の原点】優れたドラマレビュアーである武者氏は、端的に「もっと殺し合って欲しい――時代劇の原点はそこだと思うのです!」「世界のニーズのためにも、もっと忍者が殺し合って欲しい」(いだてん45)と述べている。
 大河ドラマや連続テレビ小説(朝ドラ)を「世界のニーズ」を踏まえて議論できる、偏狭さなど微塵も感じさせないグローバルな視点を持つ武者氏ならではの名言である。
◎【10年ルール】10年以上前に制作されたドラマについては議論しないということ。
既に放映から相当の時間を経過した作品を持ち出してきても、頭の悪い読者は記憶していない、BS・CS等での再放送も視聴できない者もいる、DVDを購入・レンタルを躊躇う貧困層もいると、レビュー読者の多様性に配慮した武者震之助氏らしい執筆方針。
 この方針が最も定式化されたのは『麒麟』(2020年)第19回レビューであるが、そこでは武者氏は次のように語っている。
──【引用開始】──
  どの国のドラマを見るにせよ、一点だけ念頭においた方がよい要素があると思います。
 【最終回放映が10年以内のものとする】
  80年代に書かれたテレビドラマの歴史なんて、私は振り返る気にもならない。比べるにしても、ここ10年以内と区切ることが最低限の範囲だと思います。なぜなら、時が変われば、人も世も変わる。ドラマもそう。
──【引用終了】──
 ただし期限を明示しないものであれば、これ以前に次のような記述もあり、武者氏の内面で徐々に形成されてきた奥深いものであることが分かる。
──【『西郷』(2018年)総評後編より引用開始】──
  さてここで、個人的な好みの問題でもありますが、山川浩と『八重の桜』をしつこいほどに出してくる理由を簡単にまとめましょう。
  ◆20年以上も放映年代が離れていると、学説や価値観で限界があるため、参照するものとしてはふさわしくない
  戦国大河最高傑作ともされる『独眼竜政宗』を持ち出さないのもこのためです。あの作品そのものはヒット作であることは疑いようもありませんが、現在では完全に否定された古い説を使用しており、東北戦国史を描いた作品としては非常に問題があります。
──【引用終了】──
──【「MAGI(マギ)感想あらすじエピソード4太陽の沈まぬ国【リスボン篇】」(2019/01/27)2ページ目より引用開始】──
  本作レビューの方針について、ちょっと書かせていただきます。比較する大河につきましては2000年代年以降を対象とさせていただきます。ギリギリで『天地人』までですね。それ以上の隔たりがあると、学説や世相に変動があって、比較対象としては不適切なのです。
  それ以前の大河を挙げて、「過去には、こんな大河があったもんねー!」という意見は、ノスタルジックに浸るだけで、今と将来の話には繋がりにくい。直近10年ぐらいが現実的だと考えています。
  もしもすべての大河作品を見なければ何も語れない――そんなご意見があるとすれば、それこそ大河ドラマを窮地に陥れるものだと思います。20年、30年、あるいはもっと古い作品と比べることに、さしたる意義は見いだせません。現実的に、今、そしてこの先、どうやって作っていくか。それが大切なことでしょう。】(https://archive.md/W4qlt(魚拓は2022/06/05の再アップ版による)
──【引用終了】──
──【『スカーレット』(2019年)第115回より引用開始】──
  殷鑑遠からず――。
  【超訳】こうなったらあかん! そう参照すべきもんな。古いアーカイブ探らんでもええんやで。昨年とか一昨年あたりを見よか。こうなってはあかんと思うためにも、比較は有効や。
──【引用終了】──
 ここで武者レビュー読者のような素人ならともかく、日本最高峰クラスのドラマレビュアーが過去10年分の作品だけしか観ずに崇高なレビューを書けるのかという疑問も生じよう。しかし、武者氏にとってはこのような疑問は杞憂である。
──【『なつぞら』(2019年)第40回より引用開始】──
  SNSで、私が全ての大河ドラマなり朝ドラを見ていない、投稿者よりも少ない分際で批評をやりやがって――という意見を見かけました。・・・(中略)・・・私は実は、そこまでテレビドラマを見ているわけでもありません。
  むしろ昔はテレビを見ないほうであり、学校や職場では話題についていけませんでした。それでは批判ができないのか?違うでしょ。
  シナリオのセオリーなり、創作技術については、一応これでも勉強はしています。ドラマをじっくり見ていれば、脚本家さんの癖なりスタンスは見えてくるものです。
──【引用終了】──
 しかし、この言葉を文字どおりに受け止めてはいけない。武者氏は過去のドラマにも精通している。それゆえに時々、武者氏自身が相当古い大河ドラマを引き合いに出して放映中の作品を叩くことがある。
 一見して自ら定めた10年ルールを自ら破っているように思えるが、この項の冒頭で述べたように、このルールの本質が愚かで貧しい読者への配慮であるということを知れば、「また武者氏が10年ルールを破った!」などと批判するのはお門違いである。
 もっとも、武者氏からの電波を受信したくろばにあ氏の報告(part18・870)によれば、武者氏の本音は次のとおりである(ただし、くろばにあ氏が『武将ジャパン』に受信料を支払っているかは定かではない)。
──【引用開始】──
  「10年ルール」自然消滅?そんなの絶対にあり得ないし許さないわっっ! 
  そもそも「10年ルール」って、常日頃から現代社会に問題提起し続けているアテクシに対して、記事執筆の不必要な手間を省くために「武将ジャパン」がわざわざ承認してくれた、汚い言葉になっちゃうけど、『免罪符』なんですものっっっ!! そもそも、アテクシが記事を執筆するペースが落ちたり、記事を執筆できなくなって収入が途絶え、この愚かな世間に対する「啓蒙活動」(要するに、馬鹿を矯正し、それが無理なら抹殺する活動よっ!)ができなくなったら、皆困るでしょうがっっっ!!!!アテクシは正義のためにやってるんだから、活動資金を得るために「10年ルール」破りをやっても、それは許されるのよ 非難する低脳はすっこんでいてちょうだいっっっっ!!!!!
──【引用終了】──
 そもそも自らが執筆するレビューを「愚民啓発の運動」と位置付ける武者氏の発言も、上から目線の差別的なものと言えなくもない。
 とはいえ、彼女の罵詈雑言を被虐的快楽と感じている5ちゃんねる武者スレ民は、いつも武者震之助の『ドラマレビュー』をありがたく拝読している。
◎【信徒】武者氏以外には視聴した者がいない2018年度下半期の連続テレビ小説(朝ドラ)『****』のファンのこと。このファンの集団のことを「教団」という。
 武者氏によれば、「****信徒」は2018年度上半期の朝ドラ『半分、青い。』のアンチであり、また2019年度上半期の『なつぞら』を誹謗中傷している。
 なおネット上でよく見られる「信者」ではなく、あえて「信徒」の語を用いるところにライターとしてのこだわりが感じられる。
  → 【****】の項も参照
◎【ストロングゼロ】武者氏が常用している飲料。アルコール度数9%。朝ドラ及び大河ドラマのレビューを放送後いち早くアップするための活力源。
 もっとも常飲しているからといって好んでいるわけではない。武者氏は『西郷どん』を否定的に評価して「本作はアルミ缶に入ったストロングゼロ。甘ったるい芳香剤めいた香りを誤魔化すために、アルコール分を無駄に高くした――ともかく酔えたらいい、そんな本音を慰めるだけのシロモノ。飲んでも幸せになんかなれないんです」(西郷どん24)と述べている。
 また「きっと飲んでいるのはワンカップとか、紙パックの焼酎でしょ。今ならストロングゼロあたりだろうけど」(半分、青い。83)と低価格帯飲料であることを強調している(なお〔用例〕も参照)。
 そんな武者氏がこれを常飲するのは、駄作ドラマを視聴してレビューを書くためにはかなり酔っ払う必要があるからである。
 このことは、武者氏が「ストロングゼロ500mlを飲み干してから見れば、大げさな田畑の身振り手振りや暑苦しさに笑い転げられるのかもしれない。冷蔵庫に冷やしてあるんです」(いだてん27)と語っていることからも推認できる。
 また「【顔芸→シャウト→顔芸→シャウト→ギャグ→わざとらしいBGM】ストロングゼロのおつまみとしては、最高のクオリティ」(いだてん28)と書いているように、実際に武者氏はこれを呑みながら大河ドラマを視聴しているようである。
 自分の肝臓等健康を損なう危険を承知の上で酒をあおり、レビューを届けてくれる武者氏に読者は感謝すべきだが、肝心のレビュー内容が酩酊状態になっていることが多いというデメリットもある。
 〔用例〕「金にならんもんはいらん。好きなことを仕事にできるわけあるかい! 酒や、酒で忘れればええ!――というジョーはストロングゼロや。缶のままで飲めばええ。杯?洗うの面倒やし」(スカーレット55)
  → 【ストロングゼロ回】の項も参照
◎【ストロングゼロ回】
 アルコール度数9%のストロングゼロを常飲している武者氏は、ドラマ内で登場人物が飲酒している場合、時代考証を無視してもその酒をストロングゼロだと認識する傾向にある。
 中でも『西郷どん』24回レビューではこの傾向が遺憾なく発揮されたので、この回を俗に「ストロングゼロ回」という。
 沖永良部に流された西郷は川口雪篷に出会うのだか、川口が「意味深なひょうたん」(レビューのまま)で飲酒し、薩摩からの手紙を受け取った様子から「酒飲んでいるただのおっさんです。今ならストロングゼロを愛飲してそうだ」と推測。
 さらに武者氏はこの推測から「川口ストロングゼロ。酔っ払ったおっさんの戯言みたいな調子で、久光だの大久保のことをうだうだ言うけど、ありえない」「川口ストロングゼロが助けるとか、どうせそんなんでしょ」と固有名詞のごとく表現。
 実際に川口が西郷を助けようとする場面では「40分にストロングゼロが牢屋を壊しはじめました」と飲料名が人物そのものを指称するようになる。
 またレビューの末尾では、当時SNS上で話題だった「ストロングゼロ文学」を意識して「西郷隆盛なんて、幕末史でも屈指の精神の闇が深い人物なのに。何を考えているのか。まったくたいしたストロングゼロ大河ですよ」とまとめた。
 なお、24回に続いて『西郷どん』25回でも冒頭で「ストロングゼロを愛飲していそうな男・川口雪篷に、口移しで水を飲ませられた翌週」と述べた後、
 「オープニングの後に、またストロングゼロが登場します」「十年流されっぱなしのストロングゼロが薩摩で何するの?」「ストロングゼロが民を守るとか言い出すのも、力無く笑うだけっす」と人物を飲料名で呼ぶことを繰り返した。
 これらにより、武者ファンの間では『西郷どん』24回は「ストロングゼロ回」と呼ばれるようになった。
  → 【ストロングゼロ】の項も参照
【セレブライフ】嫌いな登場人物が努力によって社会的又は経済的な地位の向上を図り、あるいはそのような生活環境を得た場合に、その地位又は生活のことを指していう。
 社会的経済的地位や生活だけでなく、その人物が家族愛や友情にも恵まれた場合、特に「ほっこりきゅんきゅんセレブライフ」ともいう。
  → 【ほっこりきゅんきゅん】の項の〔用例2〕も参照
◎【タップ連打ゲー】 → 【ボタン連打】の項を参照
◎【ダブルスタンダード】武者氏のレビュー執筆姿勢のこと。以前にドラマを批判又は称賛した時の基準を失念し、それとは矛盾する基準で別の放送回や別のドラマを称賛又は批判する変わり身の素晴らしさは文筆業を志す者の必修項目である。
 まれに一つのレビュー内でもダブルスタンダードをみせるなど、読者を楽しませることにも細心の注意を払う武者氏のサービス精神の発現形態でもある。
 まれに武者氏の人格・能力に問題があるがゆえにダブルスタンダードが生じていると考えている者がいる。しかし、武者氏はコメント欄に寄せられた自身への批判に関して「冷静に反論するよりも、しょうもないダブルスタンダード、揚げ足取り、誤字脱字変換ミスの指摘ばっかりなんです。なんだか意見交換っていうよりも、いじめみたいな調子で」(いだてん47)と述べており、信念に基づいたダブルスタンダードであることは明白で、この点について武者氏を批判することはお門違いである。
◎【超絶技巧】F.リストに『超絶技巧練習曲』というピアノ曲があるように、一般にはとびぬけて高度な技術による楽器演奏をいい、転じて高度な技術を披露している投稿動画などのことも指す。
 武者レビューでドラマの内容・展開が複数の要素を考慮していることを指して「超絶技巧」というのは、これに由来するものと思われる。
 しかしその語感とは裏腹に、複数の学説(用例1)や史料(用例2)を組み合わせたストーリーであれば、歴史とドラマの双方にやや詳しい者ならすぐに思いつきそうなことにも、この語が用いられる。
 おそらく武者氏は本来の意味も熟知しているが、低レベルの視聴者もドラマの着目点を注視できるように、あえてこの語を多用しているものと思われる。
 しかしこの濫用のため、〔用例4〕のように本当に俳優の巧みな技術に感嘆すべきことについても、かえって「大したことではない」と思わせるレビューになってしまうというデメリットもある。
 なお〔用例5〕中の「問題がないように」というのはフェミニズムの観点から問題がないということで、武者氏が今後もフェミニズムの視点を取り入れたドラマ展開にも「超絶技巧」の語を用いていくのかが注目されている。
 〔用例1〕「(稲(小松姫)が我が子ではなく、こうの子である信吉を嫡男にすすめたことに関し)こういう正室と側室が違えに認め、支え合う描き方が見たかったんですよ。
  ・・(中略)・・考証担当の先生によると、信吉の母は稲、こう、侍女の三説があるそうです。本作はすべて取り込んだということになるそうです。超絶技巧です」(真田丸41)
   ※本辞典編集者注・用例中の「違えに認め」は「互いに認め」の誤字だと思われます。
 〔用例2〕「(幸村が大坂入城に際して老人に扮したことに関し)山伏のような格好をして誰だかわからないようにしていたという軍記ものの記述と、幸村から小山田茂誠にあてた書状にある「歯も抜けて、髭にも黒いものはあまりないほどです」と書いた記述を組み合わせたものだそうです。本当に超絶技巧を使ってきますね」(真田丸41)
 〔用例3〕「北海道開拓者の苦労と歴史と産業、アニメを組み合わせる時点で、超絶技巧が必要かつめんどくさい」(なつぞら120)
 〔用例4〕「(豊富遊声が雪次郎の口を塞いで一人二役でアフレコをしたことについて)山寺宏一さんの超絶技巧ありきの、すさまじい展開でした」(なつぞら89)
 〔用例5〕「脇役の恋愛をコンパクトにおもしろく、かつ問題がないようにまとめあげる。これぞ超絶技巧です」(なつぞら60)
◎【知略】一般には「知恵をはたらかせた、はかりごと」という意味であるが、しばしば歴史シミュレーションゲームの登場人物のパラメータ値として用いられることから、武者氏は「知恵・知能・知性」それ自体の意味で使用する。
 世間の常識に縛られた偏狭な出版社に「『知略が高い』〔用例2・3参照〕なんて表現を交えて原稿を提出したら、赤ペンで『←?』を入れられたり、『知略に長ける』や『知略を用いる』に訂正される」という指摘(part15・311)もあるが、常に旧来の陋習を打破しつづけている武者氏こそ真のクリエイターと呼ばれるにふさわしい。
 〔用例1〕「山田家の畑に人々が集まっております。総大将・泰樹!カッコいい!自らが声をかけたのでしょう。・・(中略)・・ カッコ良すぎて辛い><;直視できない! 知略99。それに高い道徳心、義侠心を加えました」(なつぞら12)
 〔用例2〕「きみちゃんはほんま知略が高いで!」(スカーレット69)
 〔用例3〕「この夫妻は、なまじ双方の知略が高いだけに、諸葛孔明vs司馬仲達めいた雰囲気が出て参りました」(スカーレット87)
 〔用例4〕「八郎は無意識でそれをやってしまうほど、高い知略の持ち主にも思えるのです」(スカーレット94)
 〔用例5〕「二年連続で知略をどれだけ下げられるかチャレンジされたあとで、これですからね。不眠になるし、時間も手間も、調べ物も、はっきり言って比較にもならないほどですよ」(麒麟4)
◎【どうでもエエ】この言葉の語感のとおり、基本的には武者氏の関心・興味のないことを指していうが、彼女の無関心・無興味の範囲は多岐にわたる。主な具体的用法は次のとおり。
 (1)些細なドラマ描写でも「エロだ!」と罵倒する武者氏は、実は恋愛に関してはとてもシャイな女性で、恋愛絡みのシーンについては思わずこの言葉を発してしまう。
 〔用例1〕「大久保と二人きりで話すことになる糸。その態度から、ここで大久保は悟ります。糸が好きな相手とは、西郷であると。どうでもエエ」(西郷5)
 〔類似表現〕「西郷は父母になれそめの話を聞きます・・(中略)・・ユーモアで笑って欲しいのでしょうが、ゴメンナサイ、正直、どうでもええわ。特に、他人の父母の馴れ初めとか、本当に心の底からどうでもええ」(西郷5)
 (2)歴史の大局的流れとは無関係にドラマ構成上の都合で設けられたシーンで武者氏好みではないものを指す。 
 〔用例1〕「その夜、地震が発生しました。大きな揺れです。・・(中略)・・「桜島が噴火したぁ」とか言ってる有村俊斎は、心からどうでもエエ。大山格之助と揃って、今日のこの2人、ダメすぎでしたね」(西郷12)。
 〔用例2〕「座敷牢のビフォーアフターとかどうでもエエわ」(西郷25の小見出し・小見出しの内容は次の類似表現を参照)
 〔類似表現〕「西郷どんの入る牢屋は劇的に改善されました。それを黒葛原という男が怒ります……って、今週、薩英戦争ですよね?どこまでもバランスがむちゃくちゃなドラマ。
  そろそろ生麦事件とか、当時の薩摩藩について描かないと、ワケがわからなくなってしまいますよ。西郷どんのリゾートエンジョイライフなんて、心の底からどうでもいいんです」(西郷25)
 (3)((2)を展開させ)歴史の大局的流れに関するものであっても、武者氏好みではないものを指していう。
 〔用例〕「さらには明治政府首脳のどうでもエエ会話が続きます。・・(中略)・・だってこいつら、部活か文化祭レベルじゃないですか。ダラダラを(ママ)食事しておいて、ドコが熾烈な権力争いなんだよ」(西郷40)
 (4)((2)及び(3)をさらに展開させ)ドラマ内のことに限らず、武者氏がスルーすべきと思っていることについて一般社会の関心が強い場合、人々の心情を憶測して罵倒する際に用いる。
 〔用例〕「(いだてん出演者の覚醒剤事犯の報道に関し)正義なんてどうでもエエ、サンドバッグを見つけてはしゃいでいるんでしょう。抵抗できない相手を殴って楽しんでいる、ただのくだらないストレス解消ではありませんか」(いだてん13)
 (5)((2)乃至(4)を反転させ)武者氏の興味のないことには見向きもせずに何かに邁進する登場人物を称賛していう。
 〔用例〕「『カーネーション』では・・(中略)・・ミシンを踏んでさえいればあとはどうでもエエ。そういう糸子。・・(中略)・・そういうヒロインがいてもいい!そこが朝ドラであったはず」(なつぞら61)
 (6)武者氏が重要だと思うことについて登場人物が対応しているシーンがドラマ内で描かれていない場合、その人物の内心を勝手に推測して非難する言葉。
 〔用例1〕「自分たちさえよければエエのんか?世良がこのあと別の金づる見つけて悪いことをするかもしれない、とか、そういう社会的なことはどうでもエエ。ただ、世良にぎゃふんと言わせればエエ」(まんぷく42)
 〔用例2〕「萬平【実子・源の病気すらどうでもエエ】」(まんぷく50)
 (7)グローバルな視点を持つ武者氏は、日本的なものや日本が発信したいものについては関心がなく、侮日的表現として「どうでもエエ」という。
 〔用例〕「対象とする視聴者は世界。日本人が考える【クールジャパン】も【おもてなし】も、最初からどうでもよい。むしろ、日本人が発信したい日本の歴史なんて正直どうでもエエわ!という意識すら感じるのですね」(MAGI(マギ)感想あらすじ総評)
◎【ドラカーリス】(1)一切を抹殺したいものに対して向ける言葉。抹殺対象はドラマそのもの、ドラマ制作者、ドラマに好意的な記事と媒体、更には****信徒、果ては武者レビュー読者の一部など多岐に渡る。
 米国のTVドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』の主要登場人物デナーリス・ターガリエン(女性)が配下のドラゴンに命じて火を吐かせ、敵対者を倒すときの台詞に由来すると考えられる。
 当該ドラマのファンの間では一般に「ドラカリス」(Dracarys)と表記されるが、武者氏は「ドラカーリス」と間に長音を挟む。これは抹殺対象への猛烈な憤怒を示すものと言われている〔要出典〕。
 なお、武者氏は「ドラカーリス」の語を用いた際には必ず『ゲーム・オブ・スローンズ・season07episode04』の動画へのリンクを貼る。
 〔用例1:ドラマ〕「もう、この時点で、本作の評価はこれです。「カリーシ、『まんぷく』をどうしますか?」「ドラカーリス!」」(まんぷく総評)
 〔用例2:制作者〕「旧態依然として古い呪縛から逃れられず、問題作を再生産してしまうテレビトレンディ業界人たち。終わりは近づいています。・・(中略)・・ドラカーリス! 」(まんぷく124)
 〔用例3:記事・媒体・信徒〕「「カリーシ、教団提灯記事と媒体に、何か言うことはありますか?」「ありの〜ままの〜炎見せるの〜よ〜♪ドラカーリス」※媒体と信徒ごと燃えてこそ!」(なつぞら7)
 〔用例4:一部の読者〕「今回のシーンを見て、マコの動機をこう思った方。前に出て、そこに並んでいただけますか。「モテない女の嫉妬ですね!」「ドラカーリス」」(なつぞら56)
   ※本辞典編集者注・用例中の「カリーシ」とは、デナーリスが嫁いだドラスク族の王妃ないし女王の称号、つまりデナーリスへの呼びかけです。
 (2)〔(1)より転じて〕視聴者を圧倒するような情報量・派手な演技のこと。もっとも圧倒されているのは武者氏だけで他の視聴者は白けている場合もある。
 〔用例〕「またNHK東京、ドラカーリスしてませんかね。マコプロのセリフが圧巻でした。 大げさな感情表現。今までと同じ作品としての表現。その変革を求めなければダメ」(なつぞら141)
   ※本辞典編集者注・用例中の「その変革を求めなければダメ」は魚拓では「そこを求めなければダメ」になっています。武者氏お得意のサイレント修正と思われます。この点についてpart12スレのレス番033・037(共に毎度連投氏)を参照
◎【ドラカリスイッチ】武者氏自身がこの語を使用した例はないが、5ちゃんねる武者スレにおいて、武者氏が嫌いなドラマを徹底的に罵倒し始めることを指して用いられるようになった。
 「ドラカーリス」(破壊的意味)と「ピタゴラスイッチ」(創造的意味)との合成語。
  → 【ドラカーリス】の項も参照
◎【ニュアンス】ドラマを観ながら武者氏が思い描いた信念のこと。正確なレビューを心掛けている武者氏だが、まれに自身の信念と彼女以外の視聴者との乖離が著しく、コメント欄に突っ込みが入ることがある。
 そのような場合、武者氏は「自分はニュアンスを読み取っている」と主張し、それを読み取れない視聴者に慈愛に満ちた視線を送り、あるいは視聴者にニュアンスを伝えきれない制作者の未熟さを的確に指摘する。
 「ニュアンス」を漏れなく超人的に把握し、読者に丁寧にこの点を説明する武者氏の優しさを『まんぷく』101話レビューで確認しておく。
――【以下引用】――
  ドラマの中で「バカ」とか「ブス」とかハッキリとは言ってない。だから罵倒じゃない。そんなご意見が本サイトに寄せられたそうですが、ならばお聞きしたいことがあります。
  「ルンペン」「一家心中」
  こういう言葉は、ハッキリとした言葉ではない?あ、周囲に聞く前にググりましょうね。
  まぁ、ちょっと難しいかな〜?とは思いつつも申し上げておきたいことがあります。言葉と演出のニュアンスです。
  表現というのは、何もハッキリ言葉に出ることだけがすべてじゃない。あることを言うためにニュアンスを込めた演出をしているのに、それが視聴者に読み取られなければ、制作者としては落第です。
  例えば今日は、忠彦のところにエロそうなモデルが出てきたじゃないですか。
  彼女を見て、「私にはただの美人モデルに見えます! あれをエロい、忠彦をゲス扱いするのは、見る側の心の問題です!」と、言えますか?それはそれで失礼でしょ。だって、演じているのはセクシーさを売りにしている壇蜜さんですよ。
 ・・・(中略)・・・
  「壇蜜さんが出てたけど、エロい気持ちはありましぇ〜〜〜ん!」が通るのは、天上界で萬平教を信奉されている方かもしれませんね。そういう方たちを置いといて、今回の演出ですよ。
――【引用終了】――
◎【表裏比興】武者氏は「表裏比興」の語を極めて多義的に用いている。
 これは深い教養に裏打ちされたものであって、彼女がこの語の意味を理解していないということではない。むしろ一つの言葉を様々な状況に当てはめて表現できることこそ、ライターとしての高い資質の顕れであるといえよう。
 この語の主な意味内容は次のとおり。
 (1) レビュー執筆開始当初はお気に入りのドラマと見せかけた上で、途中から掌を返して罵詈雑言を連発し、そのドラマのファンを失意のどん底に陥れるレビュー執筆上の高等テクニックのこと。『あさが来た』『いだてん』で用いられた。
 なお、裏切られたファンから恨み節が寄せられても、武者氏は「船に穴が開いたら別の船に移動するタイプ」(いだてん20)と述べている。
 〔用例〕「私は見切ったら、きっちり見切ります。基本的に「表裏比興の者」なんじゃああ!『あさが来た』然り。『八重の桜』然り。前半はいい。しかし後半はダメ。そういう悲しい作品があるものですよ」(いだてん18)
 (2)〔(1)より転じて〕登場人物が高等テクニックを用いてドラマの進行を円滑に進めた場合などに、その人物を評して用いられる言葉。
 なお、そのテクニックが高等であるか否かは武者氏の主観によって決定されるので、一般人が「ドラマ展開として普通のこと」と思っても武者レビューを批判してはならない。
 (3)〔(2)の意味を拡張して〕必ずしもドラマの進行を円滑に進めていなくても、高尚で含蓄のありそうな言葉を用いる人物、例えば『なつぞら』の坂場なども「表裏比興」と呼ばれることがある(なつぞら91)。
 (4)登場人物が真相を理解し、それまでの誤った認識を改めるという、至極当然の態度をとる場合にも用いられる。
 〔用例〕「夕見子の恋は本物なのか?恋する自分に酔っていないか?騙されていないか? ・・(中略)・・そこは【表裏比興】ですので、それを悟ったら相手を崖から容赦なく蹴落とす気配もあると……」 (なつぞら94)
 (5)円滑進行どころか、周囲の状況が判断できずに引っ掻きまわすだけの場合にも用いられる。
 〔用例1〕「(泰樹が北海道に来たのは)富山で枠におさまらなかったのか、何かトラブルがあったのか、そこが一切不明なのです。【表裏比興】な大暴れをして、いづらくなって逃げて来たルートもありえないわけでもない」(なつぞら91)
 〔用例2〕「待て、あわてるな、これは坂場の罠だ。夕見子と同じく、本人すらその気はないでしょうが、気がつけば周囲を混乱させている。これぞ【表裏比興】ぉぉぉぉ!」(なつぞら96)
 (6)必ずしも周囲を引っ掻きまわさなくても、空気を読まず嘘を交えずに、思ったことをありのままに発言する場合にも用いられる。
 〔用例〕「坂場も(夕見子と)同じ【表裏比興】だから嘘をつかない。美辞麗句で褒めることは時間の無駄。よいものはよい。褒め言葉もいつもシンプルなものであります」(なつぞら98)
◎【ブレーンストリーミング】(1)ドラマ観賞中に思いついたこと・感じたことをそのままにレビューを書きなぐること(いだてん26)。ネットのストリーミング配信に類比できることから名付けられた。武者氏が多用する手法。
 内容の正確性を欠くこともあるが、いち早くレビューをアップでき、PVを稼げるというメリットがある。
 なお、よく似た言葉に「ブレインストーミング」があるが、全く意味を異にするので誤用には要注意。もっとも武者氏は「ブレインストーミング」に近似した意味で「ブレインストリーミング」と言っていることもある(〔用例〕参照)。
 〔用例〕「評定(ブレインストリーミング、会議)は無駄だ!」(麒麟11)
 (2)〔(1)より転じて〕登場人物が自由気ままに言いたいことを言うこと。〔用例〕は『なつぞら』で岸川亜矢美が帯広に再登場した場面。
 〔用例〕「上下はゆるいと言えばそう。 失礼なことは言っているし、顔色や空気を過剰に読むわけでもない。それがいいんじゃないかな。 闊達で、意見も、考え方も、価値観も、活気も、ずーっと流れているのです。 ・・(中略)・・ブレーンストリーミングがそこにある。 知能も、流れも、そこにはあります」(なつぞら141)
◎【編集部】悪の秘密結社のこと
◎【包帯】どんなドラマでも、一旦巻いた後にそれを取れば、西田敏行になる魔法のアイテム
 〔用例〕「包帯取ったら西田敏行さんじゃさんじゃないんだからさ!(『葵 徳川三代』)」(いだてん25)
   ※本辞典編集者注・大河ファンならご存知のとおり「包帯を取って西田敏行」になったのは『八代将軍吉宗』。武者レビューのコメント欄でも突っ込まれていますが、あくまでも修正しないところが『武将ジャパン』です。
◎【放送事故】 → 【****】の項を参照
◎【ボタンタップ】 → 【ボタン連打】の項を参照
◎【ボタン連打】主人公又は主要登場人物が努力や苦労もせずにドラマ内の状況が好転すること。「タップ連打ゲー」「ボタンタップ」ともいう。
 もっとも努力・苦労の有無は武者氏の主観のみによって判断されるので、登場人物はドラマ内での苦労だけでなく武者氏に認められるようにも努めねばならず、二重の苦労を強いられる。
◎【ほっこりきゅんきゅん】(1)武者氏が想定している連続テレビ小説(朝ドラ)の視聴者層が胸をときめかせるようなドラマ展開のこと。一般的には、主人公が恋人・配偶者と協力したり、仲睦まじくする場面を指すことが多い。
 しかし、〔用例4〕のように主要登場人物が虐待を受ける場合にも用いられることもある。少数者の立場に敏感な武者氏は、嗜虐的な視聴者の胸のときめきをも考慮しているのである。
 〔用例1〕「本作の根っこにあるのは、台湾ルーツをブチ抜くようなクソ差別ですわ。 そこを見ないフリをして、「夫婦愛にほっこりきゅんきゅん♪それができない武者はカスで、私はハッピーでやさしいの」なんて言われても知ったこっちゃない」(まんぷく73)
 〔用例2〕「本作視聴者が見たいのは萬平と福子のほっこりきゅんきゅんセレブライフですからね」 (まんぷく97)
 〔用例3〕「女子選手がダラダラトークも、修学旅行の覗き見しているみたいで最高。ほっこりきゅんきゅん」(いだてん29)
 〔用例4〕「いいですか、****信徒のみなさん。 「セクシー拷問でほっこりきゅんきゅんしましたぁ!」 っていうのは仲間内だけにとどめましょう。なにより出演者自身、深く傷ついているんですから……」(なつぞら45)
◎【的はずれな指摘】武者氏の解釈とは別の観点からの解釈をした指摘のうち、武者氏の解釈とは全く反対かつ世間一般の多数を占める意見、或いは武者氏の解釈の急所を突くような意見に武者氏等から与えられる賛辞のこと。
 「的外れな叩き」等と称賛されることもある。
 なお〔用例〕は、『なつぞら』の主人公の入社試験中の腕を振り回し・階段や廊下での動作確認・個性的な服装・キツい言葉遣いに関して世間では批判的な声が多かったことについての武者氏の見解であるが、文字どおり絶賛している。
 一般的に「的はずれ」とは、矢が的に当たらぬ意から肝要な点を外れていることをいうが、武者レビューにおける「的」とは武者氏の感性のことであり、論理的・常識的な観点から肝要か否かという「的」とは異なるので、注意が必要。
 〔用例〕「こういう言動で以って、目立ちたがり屋だの、アピールがウザいぶりっ子だの、そういう的はずれな指摘は困ったものです。まぁ、揚げ足取りですね」(なつぞら97)
◎【まんぷく悪口bot】→ 【****】の項を参照
◎【武者震之助】平成の御代に颯爽と登場した「大河ドラマ」と「連続テレビ小説(朝ドラ)」のレビューを執筆する自称ライター。野球観戦をしながら読書ができるという特技を持つ(いだてん24)。
 電子書籍版の著作(五十嵐利休氏との共著)も出版したほか、朝ドラレビューが某大物脚本家の目にとまり某大手雑誌で対談するなどスターダムに躍り出た。そしてこの脚本家の暴露により武者震之助が女性であることが明白になった(※)。しかし、寛容精神に溢れる彼女は、この暴露を恨むどころか一層その脚本家に心酔している。
 特に小檜山青氏が「武者震之助」は自身の別名義だと明かしてからは、小檜山noteで同脚本家による『ウチの娘は彼氏ができない』のレビューを月額100円で配信し始めるなど、この脚本家を擁護・称賛しようとする記事を量産している。
 武者氏の年齢についてはアラサー説が囁かれていたこともあるが、小檜山青名義でCrowdWorksに登録している情報によれば、1970年代末の御生誕と考えられる(https://archive.md/JMzEN)
 中学生時代には同級生の無理解を乗り越えて作文コンクールで入賞を果たす。会社員時代には類いまれな想像力で思いついた発言をし、同僚たちはその発想の素晴らしさに感動して絶句するほどだった(半分、青い。総評)。
 また意志疎通能力にも優れ、社内の会議ではプレゼンをせずとも全員が彼女の意図を理解したとのこと(まんぷく117)。
 会社を辞めるに際しては執拗な引き留め工作に直面したが、辞表を叩きつけて退職、有能な社員を失った会社はほどなくして倒産したという(まんぷく52)。
 「陽キャ」を嫌い、自らを「陰キャ」と規定する彼女は、自身の見解・レビューへの同調者・称賛者は「100人中98人『しか』いない」と思い込み、自身や彼女の好きな作品への批判者は「100人中2人『も』いる」とネガティブに感じている。
 しかし、5ちゃんねるの武者スレが20以上も続いていることからも分かるように、彼女の理解者や共感者は着実に増加している。
 小檜山青氏と同一人物と判明してからも、なお武者名義で大河レビューを続けていることからも分かるように、「武者震之助」という名前は既にブランド化しているのである。平成の最強ライターから令和の最凶ライターへの街道をばく進中といえよう。
   ※本辞典編集者注・「【新・仕事の周辺】北川悦吏子」産経新聞@2018/11/18(魚拓・http://archive.is/AAEYl)
  → 【小檜山青】の項も参照

   ※本辞典編集者注・武者スレで【武者震之助】の項目に入れるように要望があったものの編集者が未だ対応できていないこと
好きなもの・・・(エセ)フェミ、弱者、海外、「時代の闇」、プロレタリア、陰謀論、差別論、嫌われ者、怒れる女
嫌いなもの・・・自分の嫌いな作品のファン、古いもの、日本的なもの、人気者、ブルジョア、長州藩関係者、自分を批判する人が好きな作品etc

◎【読まんでいい】日頃から武者氏は、低レベルの視聴者・読者にも理解できるように懇切丁寧なレビューを執筆しているが、時として常人には理解できない鋭利すぎる分析力・深遠すぎる教養がレビューを通じて発揮されることがある。
 そのような場合、この先のレビュー内容を理解できなくても気にやむ必要はないと、予め低レベルの読者を労うために「読まんでいい」という小見出しが用いられることがある(いだてん22・30やなつぞら130・134など)。
 ただし、当該レビューを理解できる高レベルの読者がどの程度存在するのか、もしかすると武者氏自身も理解できていないのではないかと疑問視されている。
 なお、この語の元ネタは『真田丸』46回で幸村調略のために家康からの書状を大坂城に持参した叔父の信尹の台詞である(〔用例〕参照)。
 〔用例〕「信尹「読まんでいいタイムがまだあるのか……」」(なつぞら145の小見出し)
 〔類似表現1〕「以下、激烈な毒性を含めております。日曜の夜や月曜朝をさわやかな気分で過ごしたい方は、ブラウザを閉じてください」(いだてん24本文)
 〔類似表現2〕「蛇足こと絶許武将日本彦麿(くそれびゅーのくげ)の時間です!いいですね、心清い方はさようならですよ?」(いだてん33本文)
◎【ライター】武者氏の職業。まれに「三流ライター」と自称することもあるが、謙譲の美徳とは無縁な武者氏が自身を三流と思うはずがないので、騙されないよう注意が必要。彼女は超一流である。
 なお、嫌いなドラマでは武者氏自身が燃え上がり、罵詈雑言を連ねたレビューを執筆してコメント欄を炎上させるので、"writer"ではなく"lighter"だとする俗説もある。
◎【流言飛語】多くの人々を参集させることができる言葉のこと。一般には「世の中で言いふらされる確証のないうわさ話。 根拠のない扇動的な宣伝。 デマ」のことをいうが、ドラマ内容を捏造してもPVを稼ぐことに熱心な武者氏にとっては、一般的用法との違いはない。
 〔用例〕「「フッ……斯様なことに備え、呼んでおいたのだ」ドヤァ……!軍師の【檄文】【流言飛語】発動で、ドヤァ……! なしてこんな軍師顔をできるんだ、福地桃子さん。そう驚愕するほどです」(なつぞら111)
◎【冷蔵庫の女】「主人公を成長させるためにドラマ序盤で死亡する役割を担わされる女性登場人物」のこと。
 武者氏もこの語については類いまれな想像力を発揮することもなく、一般的用法とほぼ同義に使っているが、濫用しすぎる嫌いがあり、『いだてん』26回のコメント欄の「匿名 2019/07/10 12:57」は、
 「最近はほんの少し裸が出ればやれ『お色気。女性に迎合してる!』だわ、女性が死ぬと『冷蔵庫の女!』だわ、なんかピントが合わないんだよね」と突っ込んでいる。
 なお、武者氏のことを【冷蔵庫に入れて道頓堀に放り込みたい女】と思うような者は、5ちゃんねる武者スレの住人の中に一人もいない。
 〔用例1〕「(シマが震災で死んだことに関して)「冷蔵庫の女」という言葉があります。アメコミ界隈で指摘され始めました。これはヒロインが殺されて、冷蔵庫に詰められて、それを発見したヒーローが号泣するパターンです。
  別に冷蔵庫に入らなくてもよいのです。死体がなくともよい。可愛い女性が死んで、その死を前に何かを誓うパターンってことですよ。やれやれ」(いだてん25)
 〔用例2〕「(人見絹枝の夭折に関して)紀行でさらりとは流されましたが、彼女の夭折の背景には、状況的に過労があります。・・(中略)・・シマが「冷蔵庫の女」のようだと突っ込みました。二週連続でそうなっているようで(以下略)」(いだてん26)
◎【レビュー】感想文のこと
◎【**さぁ〜ん】 → 【****】の項を参照
◎【*ちゃん】 → 【****】の項を参照
◎【****】2018年度下半期に放送されたと武者氏が主張する連続テレビ小説(朝ドラ)。主人公の「*ちゃん」とその夫「**さぁ〜ん」が即席ラーメンを開発し、「セレブライフ」を過ごせるようになるまでのドラマ。
 一般には同時期の朝ドラは『まんぷく』と認識されており、主人公は福ちゃんこと今井(立花)福子、その夫は萬平さんこと立花萬平であり、即席ラーメンを開発するなど大筋では『****』と一致する。
 しかし、細部では武者氏がレビューする『****』の内容と『まんぷく』は相違することが多く、両者は別のドラマではないかとの疑念が生じている。
 この点について、時代の最先端をいく武者氏は2018年以前に動画配信サービスで『****』を視聴しており、NHK大阪が『****』を剽窃して『まんぷく』を制作したのではないかと言われている〔要出典〕。
 なお『スカーレット』放送開始後は、レビュー内で『****』が用いられることはなくなったが、「昨年の放送事故」という言葉が頻発されるようになった。
 この「放送事故」と『****』との関係は定かではないが、レビューの内容から判断する限り、極めて酷似したドラマを指すものと考えられる。
 上述のとおり、仮にNHK大阪が『****』を剽窃して『まんぷく』を制作したのだとすれば、正しく重大な放送事故であり、『スカーレット』レビューにおいてそれを告発し続ける武者氏の正義感に敬服せざるを得ない。
 もっとも、万が一『まんぷく』と『****』と「放送事故」が同じドラマであったとするならば、『****』と「放送事故」に罵声を浴びせ続ける武者氏は正しく「まんぷく悪口bot」(part15スレレス番51・59で毎度連投氏が発案した表現)である。



【武者震之助用語辞典その2】
※辞典編集者が項目立てをし、執筆又はそのためのネタ集めに着手したものの、まだまだ未完成のもの。皆さんのご協力をお願いします。
なお、ネタを集めただけで文章になっていないものもありますので、項目ごとに2行空けます。



【提灯記事】武者氏の嫌いなドラマにつき、好意的な内容を述べた記事のこと。その記事を掲載した雑誌等を「提灯メディア」「提灯媒体」と呼ぶこともある。
 この場合の「提灯」とは「提灯持ち」の略で、本来は「人の手先となる人。人にへつらってその人をほめてまわることや、そうする人」のこと、をいう。
 しかし、武者氏に提灯記事と認定してもらうためには、必ずしもその執筆者・媒体が制作者の手先のごとくそのドラマを一貫して称賛しつ続けていることを要しない。
 また、記事の中にドラマに対して批判的な部分があっても、総体としてドラマに好意的な内容と武者氏が認識すれば、提灯記事と認定される。
 例えば武者氏は『朝ドラ『まんぷく』で『萬平さん』連呼の安藤サクラにモヤモヤする』(以下「記事A」)に明らかに好意的なリンクを貼って、
「福子は己を消し去り、萬平を守る守護であって、主の意識を持つなど無理。神様は萬平様だけなのです」と述べている(まんぷく112)。
 確かに記事A中には「萬平マターの言葉ばかり。福ちゃん、これって妻なのかなあ……私には"信者"としか思えないんだけど」という武者氏の主張と同様の記載がある。
 一方で武者氏は『なつぞら』7話で『朝ドラ『まんぷく』の夫婦は、ドラえもんとのび太のような関係だった』(以下「記事B」)へのリンクを貼っている。
 そして「記事の中身はただの提灯ですが、ドラマの存在意義を端的に示したこの部分は見逃せません」と記事Bを酷評し、記事Bの次の部分を引用している。
 「毎朝エビだのスクランブルエッグだの謎肉だのの開発過程を見るうちに、やっぱり買ってしまった日清カップヌードルのデフォルト。これを食べつつ、最終回をもう1度リプレイしてみましょうか。」
 この言葉が『まんぷく』の存在意義を示すものであるか、そうだとしても武者氏の非難を浴びるべきものか否かはさておき、別なところに注目したい。
 実は記事A(19/02/13配信)も記事B(19/04/07配信・『まんぷく』終了後)も、共に上村由紀子氏の手による文春オンラインに掲載された記事なのである。
 つまり、上村氏が変節したのでなければ、武者氏は記事から受けた単純な印象によって自己の見解を補強するためにレビューに利用したり、あるいは「提灯記事」と罵倒したりするのである。
 なお念のため、必ずしも記事Bは『まんぷく』賛美一辺倒の内容ではなく、特に上村氏が見解を変えたわけもないことを、記事Bの一部を引用して確認しておく。
――【以下引用】――
 2月に寄稿したコラム「朝ドラ『まんぷく』で『萬平さん』連呼の安藤サクラにモヤモヤする」の中で、「萬平さん」ではなく「わたし」が主語になる福子が見たいと書きました。
 『まんぷく』の主人公は福子であり、萬平ではないはずだと。
 でも、物語のふたりの関係性を『ドラえもん』の世界に置き換えてみると、キャラクター構成に頷ける点もあるのです。つまり『ドラえもん』のタイトルロールもメインキャラも当然ドラえもん。
 ですが、事件を起こすのも、トラブルを持ち込むのも、それらをひみつ道具を使って解決し、成長するのはすべてのび太。ドラえもんはいつも変わらずのび太に寄り添い、最適なひみつ道具を渡して彼の成長を見守る存在。
      • (中略)・・・
 最後まで「わたし」が主語になることもなく。でも、それはそれでいいんです、だって彼女はドラえもんなのですから。ドラえもんが一番嬉しいのはのび太が苦難を乗り越え問題を解決し、笑顔でこう口にする時なんです。
 「ありがとう、ドラえもん!ドラえもんのおかげだよ!」と。
      • (中略)・・・
 そんなドラえ……いえ、福子と萬平の40年以上に渡る半生を描いた『まんぷく』は、「女性のお仕事ドラマ」「家族のお話」という朝ドラのセオリーを華麗にスルーし、徹頭徹尾「夫婦の物語」として展開しました。
――【引用終了】――


【まんぷくレビュー撤退騒動】『まんぷく』20話レビューの末尾に「編集部よりレビュー中断の可能性」の小見出しで次のように述べられていた。
ーー【以下引用その1】ーー
  『まんぷく』はまるで「10グラムの小麦を1リットルの水で溶いたような薄っぺらい食べ物」のようで、何も心に残らず、時間ばかりが奪われ、心底辛い。
  著者の武者に、無駄なエネルギーを使わせたくない。どうせなら他の面白い作品をレビューして欲しい。さすがに『わろてんか』より酷い作品が世に出されるとは思わなかった――。
  というのが率直な気持ちでして、無理に続ける必要性を全く感じられません。
  そんなワケで記事を楽しみにしてくださってる皆様には申し訳ありませんが、来週末までの放送で何の面白味も出てこないようでしたら、別の作品を紹介するコンテンツに生まれ変わりますことをご報告させていただきます。
ーー【引用その1終了】ーー
 引用した文章は武者氏自身の視点と第三者(編集部)の視点が混在しているような内容であり、これは「武者氏=編集」説の有力な根拠となっており、『まんぷく』21話レビュー内で武者氏が述べているところも同様である。
ーー【以下引用その2】ーー
  先日のレビューで『中止かも』ということが書かれました。言っておきますが、これは私から言い出したことじゃありません。むしろ、山田風太郎の不戦日記はじめ、史料を積み上げ、戦中派知人の助言を得つつ、時代考証のミスに突っ込む気満々でした。
  戦国武将に譬えるならば、火縄銃も馬も、充分にあるのです。ただ!その戦力を別口に回せと言われた。・・(中略)・・「敗北宣言ですか?」という、どうでもエエ引用リプが来たようですが、そうじゃないんですよ
ーー【引用その2終了】ーー

なお、注目すべき点がある。在郷商人
2018/10/24 12:50
私も、『まんぷく』を正当に批判するレビューがなくなることが、何か間違ったメッセージになって伝わりかねないことは危惧します。
今後、他の作品のレビューに転換されるなら、
その作品の良い点や優れたところを説明する際、「対照的な悪い例」として『まんぷく』のヤラカシを折に触れて紹介してはどうでしょうか?


【武者親衛隊(仮称)】※次のレスを基に何かまとめられないか検討中です。
日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2019/05/27(月) 02:48:21.40 ID:NZnRYP9Z.net [1/1回]
あらすじ見てみたけど
コメント欄のハンドルネームが独特ですね。
  • 或点不意寄るど!
→アルテンフィヨルドと言えば戦艦ティルピッツ攻撃で有名ですね。
  • ナルビク部隊
→ノルウェー侵攻「 ヴェーゼル演習作戦」の事では?
  • ガブレンツ奮戦
→昭和14年来日したガブレンツ男爵か普墺戦争の時のガブレンツ将軍(墺)の事か?


【文化祭】※もう少し用例を集め、文章もやわらかくいたいと思っています。
 (1)もともと現実の何かに対して、俳優の演技・演出等に難があると思った時に、それを揶揄していう言葉。『わろてんか』で多用された。
 作りこみが甘いコンテンツを評する際には「学芸会レベル」という表現を用いることが一般的だが、武者氏は「文化祭」という。
 世間には学園祭・文化祭の成功のために情熱を傾ける学生も多いが、情熱だけではクオリティは保証されない。冷静にドラマの現実を見極める卓越したレビュアーであれば、制作者・出演者の情熱などには誤魔化されずに的確にコンテンツを評価できる。
 武者氏があえて「文化祭」というのは、彼女のレビュアーとしての自負心の顕れであろう。
 なお〔用例〕は、亡父から絶品だと聞かされた古今亭志ん生の『富久』を確認したかっただけで、本当はさして落語好きでもなかった『いだてん』の五りん(演・神木隆之介)を揶揄しているもの。
 〔用例〕「そんな人物がホイホイ弟子入りできて、しかも二つ目昇進だそうで。落語家に見える方が、むしろ少数派……違います、これが神の如き狙い。真意よ! こういう手作り感こそ、文化祭めいたほっこり感が出るんですね。」(いだてん29)
 (2)ドラマ内において複数の人物が一つのことをやり遂げようとする場面の内、武者氏のお気に召さなかったものに対して与えられる称号。
 武者氏の意図としてはクオリティが低いという揶揄なのであろうが、その評価基準は好き嫌いに終始しているので実際のクオリティとは無関係である。
類似語:修学旅行
 〔用例c〕「さらには明治政府首脳のどうでもエエ会話が続きます。・・(中略)・・だってこいつら、部活か文化祭レベルじゃないですか。ダラダラを食事しておいて、ドコが熾烈な権力争いなんだよ」(西郷40)


【ミッチミチの時代考証】※結構まとめにくい言葉です。
ちょっと台詞やナレーションに名前を出すだけで武者氏的に「ミッチミチの時代考証です!」になる(part11レス番65)




【武者震之助用語辞典その3】
※項目立てはしたもの、全くの手付かずもの。皆さんのご協力をお願いします。

【潮目が変わる】
【ではある・とは構文】
【ファイナルオヤジファンタジー】
【ブケムスメプログラム】














 







【大韓帝国で発行された渋沢栄一肖像画入りの第一銀行券に関する小檜山氏の所論について】

◎「2021年大河ドラマ『青天を衝け』青天どころか曇天、いや嵐か」@2021/02/06( https:// rchive.vn/JquTJ )(20スキ)
 【そんな時期の1902年から1904年にかけて、日本第一銀行券の肖像画が渋沢となり、朝鮮半島でも使用されたのです。
  いくら日本では偉大だろうと、朝鮮からすればそうではないのです。
  ◆「「渋沢紙幣」大韓帝国下で発行 韓国メディアは反発」→ 日経@2019/04/09付け記事へのリンク
  悪意ある人選と思われてもおかしくありません】
 → 小檜山氏は他の記事でも、朝鮮で渋沢を描いた紙幣を発行したことを批判し、関連するリンクや書籍を紹介している。
  一般論として、他国で通貨を発行することを肯定し難いし、まして紙幣に自己の肖像を用いることについては批判的にならざるを得まい。しかし、国家の経済を発展させるためには商品流通等を用意にする通貨が必要となることは言うまでもない。
  この点につき、イザベラ・バードは1894年4月頃の朝鮮における通貨事情について次のように述べている。
──【時岡敬子訳『朝鮮紀行』(講談社学術文庫)93〜94頁から引用開始。仕様の都合での改行あり】──
   通貨に関する問題は、当時朝鮮国内を旅行する者を例外なく悩ませ、旅程を大きく左右した。日本の円や銭はソウルと条約港でしか通用しない。
  銀行や両替商は旅行先のどこにも一軒としてなく、しかも受け取ってもらえる貨幣は、当時公称三二◯◯枚で一ドルに相当する穴あき銭以外になかった。
  この貨幣は数百枚単位でなわに通してあり、数えるのも運ぶのも厄介だったが、なければないでまたそれも厄介なのである。一◯◯円分の穴あき銭を運ぶのには六人の男か朝鮮馬一頭がいる。たった一◯ポンドなのにである!
 (引用者注・当時の日本の通貨価値は現在の3800倍から20000倍とする見解がある。もちろん朝鮮国(大韓帝国)における日本円の価値を同様に考えてよいのかは分からないが。(参考魚拓:https://archive.vn/944ls
──【引用終了】──
  当時の朝鮮に高額貨幣又は紙幣が存在していたのか、あるいは何らかの為替制度が成立していたのか、現筆者には分からないが、存在していたとしても、バードが言うところによれば極めて脆弱なものであったと推認できる。
  そうだとすれば、朝鮮における経済活動を活発化させるために信用力のある高額貨幣若しくは紙幣の発行又は為替制度の整備が急務であったことは言うまでもない。
  当時の大韓帝国政府にその能力がなかったとするならば、渋沢がやむを得ずこれを代行したと考えることもできる。
  実際にWikipediaの【大韓帝国】の項には次のようにある。
──【引用開始】──
   通貨においては、韓国の帝室が納付金を徴して白銅貨の私鋳を黙許したため、白銅貨の濫造・密輸が横行し、その悪貨によって商取引に問題が発生していた。
   1904年10月、目賀田種太郎が財政顧問となり、同年11月、硬貨の鋳造を行っていた典圜局を閉鎖した。1905年7月、韓国は日本と同一の貨幣制度を採用し、鋳造は大阪造幣局が行うようになった。 
──【引用終了】──
  また、渋沢が発行した紙幣に朝鮮全土での強制通用力があったのか否かも気になるところである。
  一口に通貨といっても、特定の国家内で強制通用力がある場合と、国家全体での通用力がないが特定の集団のみでは有効な決済手段として扱われる場合とでは全く意味が異なる。
  

  小檜山氏が『武将ジャパン』で執筆した「史実の渋沢栄一とは?大河『青天を衝け』主人公〜激動の生涯92年まとめ」(@2021/02/15。【魚拓一覧その1(青天を衝け魚拓)】に魚拓あり)
「当時の王から感謝状を贈られる 韓国の紙幣に渋沢栄一が印刷された理由」(https://archive.vn/ZzOqx。魚拓はLiveDoorNews(@2019/04/09)によるが、元ソースはSmart FLASH)



【業務妨害等を理由としたIPアドレス開示請求による武者レビューに批判的なコメント者の個人情報暴露の可能性に関する考察】
 ※この考察は、part14スレレス番772から775にかけて投稿したものに加筆・再構成したものです。
第1節 問題の所在
 武者氏は、自身のレビューのコメント欄に批判的コメントを寄せる者(以下「批判的コメンター」という)に対し、「IPアドレスにより住所・氏名が特定可能であること」を指摘し、
 しばしば「批判者たちはIPアドレスのことを了知していない」と揶揄する〔用例1〜用例4〕。
 しかし、匿名掲示板等において犯罪予告をした者が処罰され、あるいは名誉毀損に当たる書き込みをした者への損害賠償請求が認められるといった事例がこれまでもあったことは広く知られているところであり、
 ネット上で匿名ないしハンドルネームを用いていたとしても、氏名等の個人情報が特定可能であることを知らない者はむしろ少数であろう。
 したがって武者氏の「批判者たちはIPアドレスのことを知らない」との揶揄は、大多数の批判的コメンターに対しては失当であると考えられる。
 問題は、IT技術的な面は措くとして、社会制度の観点からいかなる場合にIPから氏名等の個人情報が特定可能となるのかを理解することが不可欠だということである。
 もとより特定電気通信役務提供者(プロバイダやサーバ管理者等のこと。以下「プロバイダ」という)には、自ら提供するネットサービスの利用者の個人情報を秘匿する義務があることは論を俟たない。
 そこで批判的コメンターが個人情報を公開されることがあり得るのか、
 その可能性を示唆して批判的コメンターを再批判する武者氏及びサイト管理者(以下サイト管理者も含めて「武者氏」という)のレビュー・コメント欄における発言は妥当なのか、について検討することが本考察の主旨である。
【〔用例1〕まんぷく総評( http:// rchive.is/puive )より引用開始】
  はい、以下は蛇足です。信徒さんのプロファイリング結果です。あくまでこれは、一類型。全員がこうだとは思いませんが、攻撃的なコメントを見ていると、特徴がありました。
 ・・・(中略)・・・
  〔訴えるぞ!(小見出し)〕今までなかったトレンド。謎の組織に訴えるという脅迫です。
編集サンから「どうぞ訴えてください(でも、どこに?)」「逆に妨害が続くと感じましたらコチラから訴えますね」というと、途端にレスが途絶えます。
  〔IPアドレスのことを持ち出すと怯える(小見出し)〕インターネットリテラシーに自信がない?仕組みがわかっていない?
――【引用終了】――
【〔用例2〕まんぷく137( http:// rchive.is/pyR4Z )より引用開始】
  前作アンチタグをご丁寧に教えてくださった方もおります。酷評だらけのレビューサイトもそうでしたね。それを見て思うことは、「あぁ、少数精鋭部隊が昼夜問わず頑張っているねえ」
  以上、それだけです。文体の擬装もできない、IPアドレスの仕組みもわかっちゃいない。
――【引用終了】――
【〔用例3〕いだてん25( http:// rchive.is/VA6rw )より引用開始】
  視聴率に替わる評価基準として、インターネット普及に伴うネットの口コミが広がりました。掲示板とSNS投稿もそうです。ただ、これも残念ながら2000年代から2010年代のトレンドであり、もはや時代遅れと言わざるを得ない。
  ただ、ここ最近はそれが時代遅れかつ有害と理解されています。・・(中略)・・IPアドレス、アクセスログ、文体を解析すればそのあたりの判別はできるものですが、そこまで腰を据えて対策を取るには不十分でして。
――【引用終了】 ――
【〔用例4〕いだてん総評前編レモネードの巻(http:// rchive.is/pAnBz)より引用開始】 ◆クソレビュアー、謎の脅迫を受ける
  →あの朝ドラレビューは、ともかく熱意あるアンチが踊ってました。IPアドレスの概念を持ち出すと、なぜか停止する謎の脅迫コメントよ。
――【引用終了】 ――

第2節 事例の検討
 武者氏が直接的にコメント欄で、批判的コメンターに対してIPアドレスによる個人情報把握及びそれが公知のものになる可能性を示唆したことは、まんぷく99話レビュー以外に見当たらない。
 そこでこのやり取りを確認しておく。
──【〔用例5〕まんぷく99話レビュー( https:// rchive.fo/9sArK )コメント欄より引用開始】 ──
 (1)匿名 2019/01/31 02:23
  あなたがまんぷくに対してどういう感情を抱こうが勝手なのですが、ここは自分の都合の良いように改変したセリフを元にレビューを書くっていうスタンスなんですか?そういうスタンスで書いてますって明言したらどうです?
  塩とダネイホンに妥協しなかったって味の話じゃないんですけど。忠彦の台詞「バカ娘」とかいうニュアンス全然なかったんですけど。
  ほんと適当に書きすぎてるのでどこかから訴えられてもおかしくないですよ。
 (2)管理人 2019/01/31 07:00
  >匿名様
  ご意見ありがとうございます。
  どの点がどのように改変なのかご指摘いただけますでしょうか? もしそれが、おっしゃるように通りであれば修正を検討いたします。
  ただし、修正するほどの内容でなければあなたの「訴えられてもおかしくない」というお言葉に対して逆にあなたを業務妨害で訴えさせていただく余地があるか検討させていただきます。  ですので、匿名ではなく正々堂々とお名前を明かしてこちらにご一報いただければ幸いです。
  もちろんご承知かと思いますが、匿名だからって住所や氏名が匿名ではありませんよ。訴訟のケースになれば、あなたの身元は明らかになるものです。
 (3)匿名 2019/02/02 00:57
  一個一個上げてるとキリないので思い付くものを。改変とは違いますが適当に書いてる、と思われるものも入れました。実名はわざわざ晒しません。
  ・ヌードモデルを娘が志願→してません。したのは克子と鈴。
  ・つわりが酷いというタカに対する忠彦の言葉→「飲めないならそう言ったらええやないか」といった言葉だったのでつわりが酷くて飲めないだなんてバカ娘め、という意味ではありません。
  ・男性陣が嫉妬まみれのゲスばかり→誰のこと言ってるんですか?
  ・「ダネイホンと塩でも妥協しなかった」→自分が思い描くものを作るために妥協しなかった、という意味であり、ダネイホンは当初栄養失調の人達に早く届けたいという想いがあり、
  味よりも質だけを考えていたため最初は病院に売りました。後に世良から言われて味を改良したんです。今回は「簡単に作れるおいしいラーメン」というのが目標なので味にこだわるのは当たり前です。
  ・鈴の設定→「私は武士の娘です」が口癖ですが、実際は心配性で、その場の状況によってコロコロと意見を変える性格、ということはドラマを見ていればわかります。創作ドラマにおいてこの設定はおかしい、とはどういうことでしょう?
  ・「ババア」→ドラマにおいて誰も鈴やパーラーの女性客3人を「ババア」呼ばわりしていません。
  ・脚本を届くのがギリギリ→どこからの情報でしょうか?そういう話は聞いたことありません。
  ・手伝うと申し出た福子に萬平が不機嫌に怒鳴る→怒鳴ってませんし不機嫌なわけでもないです。
 (4)管理人 2019/02/02 04:16
 >匿名様
  萬平が電気を盗んだ。
  野呂が缶詰を盗んだ。
  毒性のガマガエルで食用のための実験をした。
  例えば上記のように表現していることが、 実は
  ・電気を盗んでいない
  ・缶詰を盗んでいない
  ・ガマガエルを実験に使っていない
  つまり『客観的事実として間違っている』のであれば対応も考えます。申し訳ありませんが、あなたこそこちらの文章をきちんとお読みください。
  『こちらがドラマを見ていてそういう印象を受ける(そうとしか見えない)』ということを書いているだけです。見ていて、そう思ったこと、感じたことを書いてナゼ悪いのですか?レビューとはそういう場ではないのですか?
  あなたが断言していることも、あなたの主観であって、『こちらとは物事の見方が違いますね』ってことです。これであなたへの対応は最後とさせていただきます。
  通報でもなんでもしてくださって構いません。ただし、執拗に業務妨害されるようでしたら、こちらから訴えることも検討させていただきますのでご注意くださいね。
  「実名はわざわざ晒しません。」とはおっしゃられてますが、基本的に書き込みされている段階で匿名でもなんでもありませんよ。
──【引用終了】──
 このやり取りの後、この匿名氏と思われる人物はコメント投稿をしていないようである。
 しかし、〔用例5〕の(2)で管理人が「匿名でも住所・氏名は特定可能」と述べているにも関わらず、再度(3)でコメントをしており、個人情報の特定を恐れたがためにコメントをしなくなったとは考えにくい。
 (4)以降に匿名氏がコメントをしなくなったのは、(4)の中で武者氏が「これであなたへの対応は最後とさせていただきます」と述べているのだから、むしろ当然のことといえる。
 それにもかかわらず〔用例1〜用例4〕のように、IPから住所等が特定されることを悪質なコメンターが恐れて荒らし行為を控えるようになったと印象操作していることは、武者氏の悪辣さを遺憾なく示すものといえよう。
 もちろん、この匿名氏が再三にわたりサイトや武者レビューとは無関係な、あるいはサイト運営者に削除作業を強いるような反社会的コメントを投稿していた場合、業務妨害等に当たる可能性もある。
 しかし管見の限りでは、匿名氏はさほど投稿しているわけではなく、その内容もサイトの趣旨・武者レビューの内容とかけ離れたものでもない。
 (3)は(2)中の「どの点がどのように改変なのかご指摘いただけますでしょうか?」に応じたものであり、不当な連続投稿というのとは明らかに異なる。
 差別的用語を用いるなど、サイト運営者に削除作業を強いるような反社会的コメントを投稿したわけでもない。このような場合に業務妨害が成立するとは到底考えられない(この点については後に詳述する)。
 むしろ(4)の方が(3)の指摘にきちんと答えようとしていない、指摘に対し別の論点を持ち出してきているなど、武者氏の対応こそ不誠実極まりないものといえよう。
 なお、本考察の主旨からは離れるが、〔用例5〕中の(1)では匿名氏は「どこかから訴えられてもおかしくない」と言っているに過ぎない、つまり匿名氏自身が訴えると語っている訳ではないにも関わらず、
 武者氏は〔用例1〕で「今までなかったトレンド。謎の組織に訴えるという脅迫です。編集サンから「どうぞ訴えてください(でも、どこに?)」と、あたかも匿名氏自身がどこかへ訴えようとしているかのように述べている。
 相手の発言を捏造して再批判する典型的な「藁人形論法」である。

第3節 IPアドレスから個人情報を調査する方法
 さて、武将ジャパンが匿名氏のIPを把握しているにしても、そこから住所・氏名を調査するにはどのような経緯を辿るのかを検討する。
 IPアドレスから個人情報を得ようとする場合、一般的には、特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律[※]第4条の規定によってプロバイダに発信者情報の開示を請求することになる。
  [※]平成13年法律第137号・2002年5月27日施行。以下「プロバイダ責任制限法」又は「法」という。
 プロバイダ責任制限法第4条に規定するところによれば、プロバイダに発信者情報を開示してもらうためには次の要件を満たす必要がある。
――【プロバイダ責任制限法第4条より引用開始】――
 第四条 特定電気通信による情報の流通によって自己の権利を侵害されたとする者は、次の各号のいずれにも該当するときに限り、当該特定電気通信の用に供される特定電気通信設備を用いる特定電気通信役務提供者(以下「開示関係役務提供者」という。)に対し、
  当該開示関係役務提供者が保有する当該権利の侵害に係る発信者情報(氏名、住所その他の侵害情報の発信者の特定に資する情報であって総務省令で定めるものをいう。以下同じ。)の開示を請求することができる。
  一 侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかであるとき。
  二 当該発信者情報が当該開示の請求をする者の損害賠償請求権の行使のために必要である場合その他発信者情報の開示を受けるべき正当な理由があるとき。
2 開示関係役務提供者は、前項の規定による開示の請求を受けたときは、当該開示の請求に係る侵害情報の発信者と連絡することができない場合その他特別の事情がある場合を除き、開示するかどうかについて当該発信者の意見を聴かなければならない。
3 第一項の規定により発信者情報の開示を受けた者は、当該発信者情報をみだりに用いて、不当に当該発信者の名誉又は生活の平穏を害する行為をしてはならない。
4  (省略)
――【引用終了】――
 これについて「ht◯tps://●www.vbems◯t.jp/pers●onal/erasere◯quest/discl●osure_req◯uest/」(○及び●を削除)等を参考にして、プロバイダが発信者の個人情報を開示するための要件を説明する。
(1)特定電気通信による情報の流通
  「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示を請求する権利を定める」(プロバイダ責任制限法第1条)という制度の趣旨から当然の要件である。
(2)自己の権利を侵害されたとする者
  武者氏等が「自己の権利が侵害された」という理由で個人情報開示請求するということ。制度の趣旨から当然の要件である。
  なお、個人情報開示請求者は自然人に限られず、法人、権利能力なき社団なども含まれるとされているので、反社会的コメントの削除に忙殺されるというような状況であれば『武将ジャパン』自体も請求者となりえる。
(3)権利が侵害されたことが明らかであること
  一般に「権利侵害の明白性」と呼ばれる要件(法4条1項1号)で、多くのケースで問題となる。
  なお、不法行為に基づく損害賠償請求等とは異なり、権利侵害の事実に加えて違法性阻却事由(正当業務行為・正当防衛等)が推測されるような事情が存在しないことをも、個人情報開示請求者(武者氏)が主張しなければならないと解釈されている。
(4)正当な理由の存在
  この要件は、開示請求者が発信者情報を取得することの合理的な必要性があることを意味しており、個人情報を開示される発信者側を受ける不利益も考慮した上で開示することが相当であるという意味も含んでいる。
  正当な利益が認められるのは、発信内容の削除要請・損害賠償請求権の行使・謝罪広告などの名誉回復の要請や差止請求権の行使、 刑事告発などの法的手段をとるため発信者を特定する必要性がある場合等である(法4条1項2号)。
  すなわち発信者情報開示請求の制度趣旨をそのまま実現しようとする場合である。
  他方、私的制裁などの目的のために開示を求める場合・賠償金が支払い済である場合など、法的手段をとる必要性がなくなっているケースでは、発信者の個人情報開示は認められないと解釈されている。
(5)プロバイダは発信者の個人情報を開示するかどうかについて、原則として当該発信者の意見を聴かなければならない(法4条2項)。
  すなわち発信者(批判的コメンター)には弁明の機会が与えられ、武者氏にはその弁明を論破するだけの論拠が求められる。
  以上(1)〜(5)の要件を満たす場合に限り、武者氏の開示請求に基づきプロバイダは発信者の個人情報を開示することになる。
  もちろん、個人情報を開示するか否かは一義的にはプロバイダの判断に委ねられるので、武者氏が「(1)〜(5)の要件を満たす」と考えていたとしても、プロバイダが開示請求を拒否する可能性もあり得る。
  その場合には、武者氏はプロバイダを被告として発信者情報を開示するよう提訴することになるが、このときの裁判所の判断も上記(1)〜(5)の枠組みで決定されることになる。
  なお、武者氏がプロバイダから発信者個人情報を得たとしても、
(6)武者氏がプロバイダより発信者個人情報の開示を受けたとしても、その個人情報をみだりに用いて、不当に当該発信者の名誉又は生活の平穏を害する行為をしてはならない(法4条3項)という点には注意が必要である。

第4節 刑事法の面からみたコメントの違法性の検討
 「第3・IPアドレスから個人情報を調査する方法」の(3)で述べたとおり、武者氏が批判的コメンターのIPアドレスにより個人情報開示請求した場合、これが認められるためには「権利侵害の明白性」が必要となる。
 この点につき、刑事罰と民事上の不法行為に基づく損害賠償請求では法律要件を異にすることも多いが、刑法上の構成要件解釈等を民法の解釈に反映させている裁判例[※]も存在するので、まず刑法の観点から検討してみる。
  [※]民事上の名誉毀損の違法性阻却事由について最高裁判決昭和41年6月23日、死者に対する名誉毀損に関する損害賠償請求について東京高裁判決昭和54年3月14日など。
 「第2節 事例の検討」でみたように、武者氏は批判的コメンターに対して「業務妨害」の成立を示唆しているので、まず「業務妨害」について検討する。
 刑法でいう業務妨害の罪とは、(a)威力業務妨害(234条)・(b)偽計業務妨害(233条)・(c)信用毀損(233条)の三種である。
 これらの罪にいう業務とは「広く職業その他継続して従事すべき事務又は事業の総称」(大審院判決大正10年10月24日)をいうから、『武将ジャパン』や武者氏の経済的利益を損なわなかったとしても、業務妨害罪が成立する可能性はある。
 そこでまず(a)威力業務妨害についてみると、刑法234条には「威力を用いて人の業務を妨害した者も、前条の例による」とある。
 ここでいう「威力」とは「犯人の威勢、人数及び四囲の情勢から見て、被害者の自由意思を制圧するに足りる勢力」をいう(最高裁判決昭和28年1月30日)。
 したがって「武者氏への身体的攻撃」や「武将ジャパンサイトのシステムの破壊」を示唆する脅迫的コメント、5ちゃんねる武者スレ住人が大挙して悪口雑言を浴びせかけるなど、武者氏の自由意思を制圧するようなことをしない限り、本罪は成立しない。
 次に(b)偽計業務妨害及び(c)信用毀損は、刑法233条に規定がある。
――【刑法233条より引用開始】――
 虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
――【引用終了】――
 引用文中「人の信用を毀損し」が(c)信用毀損罪に、「その業務を妨害した」が(b)偽計業務妨害罪に該当する。
 そしてこの罪を成立させるためには、「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用い」ることが要件とされている。

第5節 民事法の面からみたコメントの違法性の検討




なお、武者氏が「いだてん総評後編きゅうりの巻」2ページ目(エコーチェンバーのくだり)で「余命三年時事日記」事件について触れてますので、この件に絡めてもう少し述べます。
この事件は、あるサイト運営者(以下「余命氏」という)がサイトを通じて全国の多数の弁護士に対する懲戒請求を呼びかけたところ、サイト閲覧者から弁護士への懲戒請求が殺到しました。 弁護士はこれらの請求は違法なものであり、請求への対応に時間を要し、また精神的苦痛を被ったとして懲戒請求者(=サイト閲覧者)に対して不法行為に基づく損害賠償請求をしたというものです。
ここで注目すべきは、余命氏自身は弁護士への懲戒請求をしていなかったという点です。
しかし、大量の懲戒請求は余命氏の呼びかけに呼応するかたちで始まったもの、原告の一人であるS弁護士は余命氏も責任を免れ得ないと考え、同サイトのプロバイダに余命氏の情報開示を請求しましたが、プロバイダはこれを拒否しました。
そこでS弁護士は大阪地裁(大阪のプロバイダだったようです)に提訴したのですが、今年4月、地裁はプロバイダの開示拒否を正当なものとして(余命氏自身は懲戒請求していない)、S弁護士を敗訴(プロバイダは余命氏の個人情報を開示しなくてよい)させました。
S弁護士は控訴、大阪高裁は11月に地裁の判断を覆し、S弁護士勝訴(プロバイダは余命氏の個人情報を開示せよ)の判決を下しました。
私は、そもそも地裁の判断が間違っていると考えていましたので、高裁判決に異論はないのですが、ともあれ一旦は裁判所は「プロバイダは余命氏の個人情報を開示しなくてよい」と判断したことも事実なのです。
しかも原告は弁護士さんだったんですよ。
このような事例を踏まえれば、上記の武者レビューコメント欄の匿名氏レベルの書き込みについて、プロバイダが住所・氏名の開示に応じるとは思えません。
〔※1〕
〔※2〕



民事訴訟によらずに開示・不開示の判断がプロバイダ等によって速やかに行われることを目指した法律である。
特定電気通信(法2条1号)
不特定の者によって受信されることを目的とする電気通信(電気通信事業法第2条第1号に規程する電気通信をいう。以下この号において同じ。)の送信(公衆によって直接受信されることを目的とする電気通信の送信を除く。)をいう。
特定電気通信設備(法2条2号)
特定電気通信の用に供される電気通信設備(電気通信事業法第2条第2号に規定する電気通信設備をいう。)をいう。
特定電気通信役務提供者(法2条3号)
特定電気通信設備を用いて他人の通信を媒介し、その他特定電気通信設備を他人の通信の用に供する者をいう。
※ここでいう特定電気通信役務提供者とは、営利事業を目的としたプロバイダ等を指すのみならず、「企業、大学、地方公共団体や、電子掲示板を管理する個人等」の、「ウェブホスティング等を行ったり、第三者が自由に書き込みのできる電子掲示板を運用したりしている者」も含まれていることに留意されたい[1]。
発信者(法2条4号)
特定電気通信役務提供者の用いる特定電気通信設備の記録媒体(当該記録媒体に記録された情報が不特定の者に送信されるものに限る。)に情報を記録し、又は当該特定電気通信設備の送信装置(当該送信装置に入力された情報が不特定の者に送信されるものに限る。)に情報を入力した者をいう。
発信者情報開示請求権(法4条関係)
文言としては総務省による解説[1]に記載。インターネット上で匿名発信情報により被害を受けた者が、被害回復のために、特定電気通信役務提供者に対してIPやタイムスタンプ等の発信者情報の開示を請求する権利[1]。

(発信者情報の開示請求等)

4 開示関係役務提供者は、第一項の規定による開示の請求に応じないことにより当該開示の請求をした者に生じた損害については、故意又は重大な過失がある場合でなければ、賠償の責めに任じない。ただし、当該開示関係役務提供者が当該開示の請求に係る侵害情報の発信者である場合は、この限りでない。


裁判を受ける権利(憲法32条)は尊重されなければなりませんが、最高裁は「訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く」と認められるときには、訴えの提起自体が不法行為となり得ると判断しています(第三小法廷判決昭和63年1月26日)。
この判例によってより具体的に説明すれば、…鸛兵圓亮臘イ靴晋⇒又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠き、かつ提訴者がそのことを知りながら又は容易に知り得たのに敢えて提訴したような場合が被告に対する不法行為に当たるとしています。
(ただし、当該判決では原告の提訴はこれらの条件に該当せず、不法行為には当たらないとしています)


【戦前の女性の権利に関する武者氏の認識の妥当性についての考察】

【目次】
第1節 問題の所在
第2節 権利が制約されたのは「女」ではなく「妻」
第3節 明治民法下での妻の行為能力の制限(その1)
 〔1〕 概要
 〔2〕 補説 
第4節 明治民法下での妻の行為能力の制限(その2)
 〔1〕 離婚後の妻の行為能力
 〔2〕 妻への営業の許可
 〔3〕 日常家事に関する妻の代理権
 〔4〕 「契約」の意味
第5節 女性は「無能」だったのか
 〔1〕 序論
 〔2〕 明治民法の行為能力制度の条文構成
 〔3〕 「無能力者」から「制限行為能力者」へ
 〔4〕 これまでのまとめ
第6節 家族法の分野における女性

第7節 明治民法下での妻の権利をめぐる議論 ―― 穂積重遠を中心に ――



第1節 問題の所在
 武者氏は、『スカーレット』40回レビューで、主人公の母マツ(大正前半の生まれと推測される)の生育環境について、次のように述べている。
――【引用開始】――
 選挙権もない。物事の契約もできない。女は無能で何もできないと法律が定めている。ずーっとそう頭を押さえつけられてきて、それに順応してしまった。
――【引用終了】――
 このうち選挙権がなかったことは事実である。ただし、北欧や豪州などの例外はあるものの主要国で国政レベルでの選挙権が女性に認められたのは第一次大戦後のことであり、フランスでは1945年、スイス(連邦レベル)では1971年のことである。
 もっとも自治体レベルでは女性選挙権を認めていた国もあり、日本でも明治初期には、直接税納税者たる戸主である女性に限って地方団体の選挙権を認めていたケースもあったようである(例えば「楠瀬喜多」で検索されたい)。
 ページ管理人は、大正14(1925)年の普通選挙法の成立時には、仮に何らかの制約があったとしても女性参政権を認めるべきであって、これの改正を昭和20(1945)年[※]まで待たねばならなかったのは不当であると考えるが、本考察で問題としたいのは選挙権ではない。
   [※]翌昭和21(1946)年の衆院選から施行 
 昭和22(1947)年の大改正を経るまでの民法(明治31(1898)年施行。以下「明治民法」という)は、武者氏のいうとおり「物事の契約もできない。女は無能で何もできない」と定めていたのか、という点である。
 結論を先取りすれば、明治民法は現行民法に比べ女性の権利を制約するものであったことは事実であるが(故に昭和22年に大改正された)、武者氏が想定しているであろう水準よりはずっと女性の権利を認めており、武者氏の記述は「歴史ポータルサイト」の記述としては著しく不適当なものであるということである。この点について、以下に詳論する。

第2節 権利が制約されたのは「女」ではなく「妻」
 まず明治民法のいわゆる財産法の分野(「総則」「物権」「債権」の前三編)では、「女性」であることのみを理由として、債権債務関係上の権利を制限する規定はない。
 第14条から第18条までに「女性」全般ではなく「妻」の法律行為能力(以下「行為能力」と略す)を制限する規定が設けられているのみである。
 具体的には、夫の許可を得ずに妻が行った一定の法律行為については、夫が取り消すことが可能であった(第3節で詳述)。
 この点について、民法起草者の一人である梅謙次郎の『民法要義巻之一』(明治29年初版。以下『梅要義』という)は次のように述べている(※以下、原文の旧字体・片仮名・旧仮名遣いを新字体・平仮名・新仮名遣いに改め、句読点を施す)。
――【引用開始】――
 婦人は婦人として無能力[※1]なるに非ず。故に処女[※2]及び寡婦[※3]は其能力に於て男と異なることなきを原則とす。唯妻は妻として無能力なり。
――【引用終了】――
   [※1]ここでの「無能力」の語義については第5節で詳述する。
   [※2]ここでは未婚女性の意
   [※3]夫と死別又は離別した女性の意
 なぜ妻は妻として無能力なのかといえば、『梅要義』は「家に二主ありては一家の整理を為すこと能は」ざるが故に妻の行為能力を制限したのだと述べている。
 また、梅とともに民法起草にあたった富井政章の『民法原論』(明治36年初版。以下『富井原論』という)も次のように述べている(以下、原文の旧字体・片仮名・旧仮名遣いを新字体・平仮名・新仮名遣いに改め、句読点を施す)。
――【引用開始】――
 妻は単に婦女たる故を以て無能力者[※]なるに非ず。蓋、婦女と雖も其智能の発育、往々にして男子に譲らざることあればなり。
 妻は妻として即ち婚姻の結果に因り行為能力を制限せられたるものとす。
 是、未婚の婦女及び寡婦は男子と同一の能力を有するを以て之を知るべし。
――【引用終了】――
   [※]ここでの「無能力者」の語義については第5節で詳述する。
 もっとも『梅要義』は上記引用部分に続けて次のように述べている。
――【引用開始。明らかな誤字は引用者が修正】――
 家に必ず戸主あり。然れども世の進運と共に家族制は漸次親族制に進化し来ること争うべからざる所なるが故に、戸主の権は復昔日の如く強大なること能わず。漸く親権、夫権の発達を見るに至れり。親権は主として未成年者に対して行われ、夫権は妻に対して行わる。
――【引用終了】――
 すなわち梅も、夫婦関係においては無条件に夫が戸主の権限を有することを前提としており、それ故に「夫権」なるものを観念していたのである。この意味で「男性優位」的発想であったことは否定できない。
 『富井原論』も次のように述べている。
――【引用開始】――
 一家を統治する上に於ても亦命令の一途に出づるをことを要す。往時は欧州諸国に於ても家長権強大にして一家万般の事務、専ら家長の権内に存りしと雖も、時世の変遷と共に家長権漸く衰え、之に代わりて親権及び夫権の確立を見るに至れり。夫権の作用は、主として妻が一定の法律行為を為すに当り、夫の許可を受くることを必要とするに在り。是を以て観れば、妻の無能力は夫権の効果にして畢竟一家の秩序及び利益を保持する必要に基づくものと謂うべし。
――【引用終了】――
 富井もまた家庭の秩序や利益を維持するためには、妻は夫の権限の内に従属すべきと考えていたことが分かる。
 また、『梅要義』や『富井原論』より約四十年も後の著作であるが、末川博『民法総則』(昭和16年)では次のように述べている。
――【引用開始。原文は旧字体・旧仮名遣い。引用文中の「無能力」の語義については第5節で詳述する】――
 民法上無能力者とせられている者には、未成年者・禁治産者・準禁治産者及び妻がある。
 前三者は精神の発育がまだ十分でないとか尋常普通でないとかいうような生理的原因のために・・(中略)・・これを無能力者として保護するのである。
 妻を無能力者としたのは、一家の平和を保つためには夫唱婦和という風に妻はなるだけ夫の意思に反する行為をしない方がよいというような倫理的理由に出ているのである。
――【引用終了】――
 妻の行為能力の制限内容が具体的にどのようなものであったかは次節でみるが、『梅要義』の「家に二主では一家の整理ができない」ためか、末川の「夫唱婦和という倫理的理由」という趣旨かはともかく、経済活動主体を「イエ」単位とするため妻の行為能力に一定の制限を加えることは、当時の仏・伊・独・瑞・西・白等でもみられたことだという[※]。
   [※]奥山恭子「『妻の無能力条項』と商業登記たる『妻登記』」(横浜法学27巻1号2018年)。以下『奥山論文』という。
 さて、「イエ」という観念から妻の行為能力は制限されていたわけであるが、このことは逆に「イエ」を離れれば、女性の行為能力は男性と同様のものであったことを意味する。
 実際に未婚女性、いわゆる未亡人、離婚後の「元妻」に行為能力の制限がなかったことは、先に引用した『梅要義』や『富井原論』のとおりである。
 なお、離婚後の「元妻」については、第4節〔1〕で追加説明する。
 したがって、武者氏が『****』又は「放送事故」と揶揄する、2018年度後期の朝ドラ『まんぷく』においても、夫に先立たれた武士の娘こと今井鈴、小野塚真一と婚姻するまでの今井咲には、男性と同様の行為能力が認められていたのである。
 また、成人してから立花萬平と婚姻するまでの今井福子についても同様である(成人するまでは未成年者として行為能力の制限を受けていた)。
 その他にも明治民法17条によれば、妻は、次の場合にも夫の許可を得ずに法律行為をすることが可能であった(文章は現代風に改変)。
 (a)夫の生死が不明のとき
 (b)夫が妻を遺棄したとき
 (c)夫が禁治産者又は準禁治産者であるとき
 (d)夫が精神の平衡を失っており医療施設等にて監置中のとき
 (e)夫が一年以上の刑を受け収監中のとき
 (f)夫婦の利益が相反するとき
 以上みてきたとおり、妻の行為能力は制限されていたが、そのこと自体を批判するのならともかく、これを「女性一般の権利の制限」と同一視する武者レビューの記述は明らかに間違いである。
 では、妻の行為能力の制限とは、具体的にどのようなものだったのだろうか。

第3節 明治民法下での妻の行為能力の制限(その1)
〔1〕 概要
 明治民法14条1項では、妻が一定範囲の法律行為をするに当たっては、夫の許可を得ることを必要とし、同条2項では当該許可なくして妻が行った法律行為については、取り消すことができるとされていた。
――【明治民法14条より引用開始。なお「(1項)」及び「(2項)」は引用者が補った】――
(1項)妻カ左ニ掲ケタル行爲ヲ爲スニハ夫ノ許可ヲ受クルコトヲ要ス
      • (中略)・・・
(2項)前項ノ規定ニ反スル行爲ハ之ヲ取消スコトヲ得
――【引用終了】――
 引用文中で中略とした「左ニ掲ケタル行爲」とは、具体的には次のとおりである(文章は現代風に改変)。
 (a)元本を領収し、又はこれを利用すること
 (b)借財をし、又は保証すること
 (c)不動産又は重要な動産の権利の得喪に関する法律行為
 (d)訴訟行為をすること
 (e)贈与契約、和解契約又は仲裁契約をすること
 (f)相続を承認又は拒絶すること
 (g)贈与若しくは遺贈を受諾し、又は拒絶すること
 (h)身体に羈絆を受けるような契約をすること
 上のうち、(a)から(f)までは準禁治産者の行為能力制限規定(明治民法12条1項1号から6号)の準用である。
 妻の法律行為と夫の許可との関係と同様に、準禁治産者の一定の法律行為については保佐人の同意を得ることを要し(12条1項)、保佐人の同意のない準禁治産者の法律行為については、取り消すことができた(12条3項)。
 準禁治産者となり得る要件は「心神耗弱者、聾者、唖者、盲者及び浪費者」(11条)であり、この規定自体が今日からみれば十分差別的ではあるが、妻をこれと同様に置くことは極めて差別的であったといえよう。
 例えば、(a)の「元本領収及びその利用」について、準禁治産者の場合につき、『梅要義』では次のように述べている。
――【引用開始】――
 元本の領収、修繕の如き其性質上管理行為に属するものあり。
 蓋し危険多き行為なるを以て特に之を処分行為と同一視し、保佐人の同意を必要としたるなり。
――【引用終了】――
 しかし、心神耗弱者等の準禁治産者ならともかく、なぜ妻にもこの規定を準用するのか、梅はその理由を説明していない。本来的には男性と同様の行為能力を有するはずの妻にまで、準禁治産者と同様の制限を及ぼす理由は乏しいと思われる。
 ただし、(d)の訴訟行為については、夫の「イエ」にとって世間的に訴えを提起し難い相手との訴訟もあり得ることも考慮する必要はあろう。
 また、(f)の相続の承認については、妻の実家が多額の負債を抱えておりいわば「マイナス財産の相続」があり得ることも考慮すれば、夫の「イエ」の維持にとって完全に無意味であったとも言い切れない。
 注目すべきは(g)である。準禁治産者の行為能力を規定した12条1項7号では「贈与若しくは遺贈を拒絶し、又は負担付きの贈与若しくは遺贈を受諾すること」について保佐人の同意が必要とされていた。
 贈与等を受諾するといっても何らかの「負担付き」であれば、心神耗弱者等準禁治産者の権利を毀損することがあり得るので、妥当な規定である。
 これに対し、妻は「負担付きでなくとも」贈与若しくは遺贈を受諾する際には夫の許可を要するとされていたことが分かる(上記(g)の文章を確認されたい)。
 この点について『梅要義』は次のように説明している。
――【引用開始】――
 他人より贈与、遺贈を受くるが如きは、仮令財産上に於ては利のみありて害なしとするも、品位上又は感情上、之を受くるを不可なりとすることあり。
 此等の判断は総て夫の意見に任するに非ざれば、其権力、遂に行はれざるに至るの虞あれはなり。
――【引用終了】――
 「品位上又は感情上」の理由のみを根拠として、負担なしのものも含めた受贈一般について妻の行為能力を制限するのは不当であろう。
 第2節でみたように、「家に二主あると困る」→「戸主権を強化すべきだ」→「妻に対する『夫権』を重んじるべきだ」というのが梅の論理であるが、「イエ」の品位なるものを過度に尊重した結果といえるようだ。
 次に(h)について、まず「羈絆」という言葉自体には「つなぎ止める。束縛する」という意味があるが、ここではもう少し限定された意味であり、『梅要義』は次のように述べている。
――【引用開始】――
 身体に羈絆を受くべき契約も亦、夫は妻をして同居せしむる権利をさえ有する者なるに、妻は焉ぞ夫の許可なくして、自己の身体に羈絆を受け、夫の命に従いて同居其他の義務を尽くすこと能わざるに至るべき契約を為すことを得べけんや。
――【引用終了】――
 これによれば、明治民法14条にいう「羈絆」とは、夫との同居が不可能になるような、例えば住み込みでの労働契約等を指すものと考えられる。
 なお、『梅要義』のいう「夫は妻をして同居せしむる権利」とは、明治民法789条1項に「妻ハ夫ト同居スル義務ヲ負フ」、2項に「夫ハ妻ヲシテ同居ヲ為サシムルコトヲ要ス」と規定されていたことを指す。
 夫にも妻を同居させる義務を負わせてはいるとはいえ、妻の同居義務が強調される構成になっており、両性の本質的平等という現代的理念からすれば問題はあろう。夫には妻との同居義務があるのか否か不分明だからである。
 しかし、同居義務に関する男女の非対称性ということをしばらく措くならば、妻が身体に羈絆を受けるような契約する際に夫の許可を必要としたことには、一応の合理性はあるだろう。
 ちなみに現行民法では752条に「夫婦は同居し、互に協力し扶助しなければならない」との規定がある。

〔2〕 補説
 「〔1〕概要」で述べた妻の行為能力を制限する規定のうち、(a)から(f)までは準禁治産者の規定の準用、(g)は準禁治産者よりも制限を強化された規定、(h)は妻についてのみ設けられた規定であった。
 ここで、準禁治産者においては制限されていた行為能力のうち、妻については制限されていなかったものについて瞥見しておく。ただし「妻の営業に関する行為」については、第4節の「〔2〕妻への営業の許可」で述べる。
 準禁治産者の行為能力制限規定のうち、明治民法12条1項1号から7号までは既に触れたので、同項8号及び9号を現代風に改変して説明する。
 (i)新築、改築、増築又は大修繕をすること
 (j)602条に定める期間[※]を超える賃貸借をすること
   [※]民法602条の短期賃貸借の規定によれば次のとおり
     (1)樹木の栽植又は伐採を目的とする山林の賃貸借 十年
     (2)(1)に掲げる賃貸借以外の土地の賃貸借 五年
     (3)建物の賃貸借 三年
     (4)動産の賃貸借 六箇月
 この(i)と(j)が準禁治産者では制限されているが、妻においては制限されていない行為能力規定である。
 もちろん(i)の「新築、改築、増築又は大修繕」のために借財をするというのであれば上に述べた(b)に該当し、その借入行為(金銭消費貸借契約)自体については、夫の許可を必要とする。
 筆者が思うに、「新築、改築、増築又は大修繕」をすることが「イエ」の存続に必要不可欠な場合も多いから、それ自体については夫の許可を不要としたのではないだろうか?
 (j)については、長期の賃貸借を設定する為すこと自体は「イエ」の財産を処分することではないので、夫の許可を不要としたのではないだろうか?
 妻の行為能力と準禁治産者の行為能力との比較では、さらに注目すべき条項がある。
 準禁治産者が明治民法12条1項に列挙される行為をするに当たっては保佐人の同意を要するとされていたことは先に述べた。ところが12条2項には次のような規定がある。
 「裁判所ハ場合ニ依リ準禁治産者カ前項ニ掲ケサル行爲ヲ爲スニモ亦保佐人ノ同意アルコトヲ要スル旨ヲ宣告スルコトヲ得」
 つまり準禁治産者の場合、保佐人の同意を要する行為の範囲を12条1項に列挙されるもの以上に拡大することが可能だったのである。
 一方、妻については、夫の許可を要するのはあくまでも明治民法14条1項列挙行為に限られ、12条2項のように許可を要する行為の範囲を拡大しえる規定は存在しない。


第4節 明治民法下での妻の行為能力の制限(その2)
〔1〕 離婚後の妻の行為能力
 そもそも許可を受けるべき夫が存在しない未婚女性やいわゆる未亡人につき、行為能力が制限されない(法律行為をするにあたり夫の許可を得る必要はない)ことは当然である。
 ところで明治民法は、離婚後の「元妻」の法律行為に関して「元夫」の許可を要するのか、何も述べていない。
 しかし、第3節で引用した明治民法14条は夫と妻との関係を前提としており、この関係が解消されれば(つまり離婚)、「元妻」が本来の行為能力を回復する(即ち「元夫」の許可は不要となる)のは当然であろう。
 第2節で引用した『梅要義』や『富井原論』も同様のことを述べていた。
 この点に関し、第2節でも触れた『奥山論文』が興味深い判例に言及しているので紹介しておく。
 妻Yは、婚姻中に夫の許可を得る必要がある法律行為Aを、夫Xの許可を得ずに行った。その後にXとYは離婚した。
 離婚後に元夫Xは「法律行為Aは、Yが自分の許可を得ずに行ったものだから取り消す」と提訴したという事例である。法律行為A自体は離婚前に行われていたことがポイントである。
 『奥山論文』によれば、大審院の大正2年10月2日の判決では、類似のケースについて夫の請求を認め、法律行為Aを取り消した。
 しかし、昭和9年12月22日の判決では、大審院は大正2年判決に反し、離婚後の元夫には婚姻中の妻の行為を取り消すことはできないとした。
――【大審院判決昭和9年12月22日より引用開始。ただし『奥山論文』からの孫引き、現引用者が新字体・平仮名・新仮名遣いに改め、句読点を施した】――
 夫の許可を得ずして為したる法律行為に対する取消権は、婚姻関係の継続する間のみ存在し、婚姻解消とともに之を失うと解するを以て正当とせざる可からず。
 蓋し、法律が依て以て保護せんとしたる婚姻関係は既に止みたるにも拘わらず、取消権のみは旧の如く尚存続すと云うことの極めて不合理なるは、多言を俟たざればなり。
――【引用終了】――
 大正2年と昭和9年で判断が異なったのは、女性の権利拡張を求める声の高まりを反映するものではないかと現筆者は推測する。この点について第7節で若干の言及を追加する。
 また、引用した部分から、民法が意図しているのは女性の権利を制限することではなく、婚姻関係を保護すること(=「イエ」制度の維持?)だと大審院が考えていたことが窺えよう。
 なお、心神喪失・耗弱などの理由により禁治産者や準禁治産者になった者が、後に健康を回復して禁治産者等たる宣告の取消を受けた場合(つまり禁治産者等ではなくなった場合)であっても、その者が禁治産者等であった期間にした法律行為は、なお取り消すことが可能である。これと比較すれば、夫の取消権は婚姻期間中のみ存在するとした昭和9年判例の意義は大きいといえよう。
 ちなみに、昭和22年の民法改正で妻の行為能力制限規定が削除された後の文章ではあるが、我妻栄『民法総則』(昭和26年版)も、わざわざ昭和9年の判例に言及し、妥当なものとして評価している。

〔2〕 妻への営業の許可
 妻の行為能力の制限が準禁治産者に近いものであったことは第3節でみたところだが、準禁治産者とは大きく異なる部分がある。
 明治民法15条には「一種又ハ数種ノ營業ヲ許サレタル妻ハ其營業ニ関シテハ獨立人ト同一ノ能力ヲ有ス」とある。
 つまり、妻が何らかの営業を行うことを夫は許可することがあり、許可を受けた営業に関する法律行為については、妻は行為能力の制限を受けなかったのである。
 ちなみに同様の規定が未成年者についても設けられていた。「未成年者の営業」については現行民法も明治時代のものを口語・平仮名書きにした程度なので、現行法より引用する。
――【現行民法より引用開始】――
(未成年者の営業の許可)
第六条 一種又は数種の営業を許された未成年者は、その営業に関しては、成年者と同一の行為能力を有する。
2 前項の場合において、未成年者がその営業に堪えることができない事由があるときは、その法定代理人は、第四編(親族)の規定に従い、その許可を取り消し、又はこれを制限することができる。
――【引用終了】――
 何らかの営業のためには様々な法律行為を行う必要が生じる。この際、個々の行為ごとに法定代理人の同意(妻の場合なら夫の許可)が必要となれば、円滑な営業は困難となる。したがって許可された営業に関する法律行為については包括的に同意が与えられたものと位置付ける、このような規定が設けられたのである。
 一方、準禁治産者にはこのような規定は存在しない。営業を許可されること及び許可された営業の範囲内では行為能力の制限を受けないという点で、未成年者や妻は、準禁治産者よりも行為能力を有していたのである。
 一方、営業の許可の取消をめぐって妻と未成年者との間には微妙な相違がある。
 明治民法16条では「夫ハ其与ヘタル許可ヲ取消シ又ハ制限スルコトヲ得(以下略)」と規定されている。先にみた15条の次の条文であり、ここでは単に「許可」となっているが、「妻への営業の許可」のことである。
 先に引用した6条2項では、法定代理人が未成年者の営業の許可を取り消しえるのは「未成年者がその営業に堪えることができない事由があるとき」という条件があったが、妻についてはそのような条件はない。
 つまり妻に与えた営業の許可を、夫は随意に取り消し又は制限できたのであり、この点で営業に関する妻の行為能力は未成年者よりも不安定なものだったとはいえる。
 さて、未成年者より不安定なものだったとはいえ、妻には、準禁治産者にはない「許可を受けた営業に関する行為能力」が認められていたわけであるが、営業に関する行為とは具体的にどの程度の範囲のものだったのか。
 仮に「営業に関する行為の範囲」を極めて狭く解するならば、妻の行為能力の制限は、準禁治産者との対比において、それほど緩和されていなかったともいえる。
 妻における営業に関する行為の範囲については残念ながら確認できなかったが、未成年者の営業に関し、山本進一・伊藤進『民法講義ノート(1)総則』(1979年)に興味深い判例が示されている。
 ももよという未成年者が法定代理人の同意を得て芸者をしていたが、お座敷に出る際の着物を購入するという名目で借金をした。なお、この借金(金銭消費貸借契約)については法定代理人の同意を得ていない。
 しかし、どうやらももよは借り入れた金銭を遊興に費消してしまったらしい。そこで借金の際に法定代理人の同意を得ていなかったことを奇貨として、金銭消費貸借契約の取消を主張した。
 争点は(1)「芸者」というものは民法でいう「営業」に該当するか(2)お座敷着購入名目での借金は「営業に関する行為」といえるか、の2点である。
 大審院判決大正4年12月24日は(1)「芸者」も「営業」に該当する(2)お座敷着購入という名目であればその借金は「営業に関する行為」であるとし、金銭消費貸借契約の取消というももよの請求を棄却した。
 (1)について、山本・伊藤前掲書は、営業とは「一般に、営利の目的をもって計画的、継続的になす独立の業務」と解されるところ、「抱主のいる芸妓稼業もこれにあたるとしている。」と評している。
 つまり、「営業」の意味するところを拡張しているというわけであるが、本考察ではこの点には立ち入らない。
 (2)について、「芸者」も「営業」に該当するという前提であれば、お座敷着購入(売買契約)という法律行為が「営業に関する行為」であることは論を俟たない。さらに大審院は「お座敷着購入名目での借金(金銭消費貸借契約)」もこれに含めているのである。
 山本・伊藤前掲書は「営業に関する一連の取引行為という広い概念であるといえる。」と評している。
 この事件は未成年者における営業に関する行為の範囲に関するものではあるが、妻に関して別途の考慮を必要とするいわれはないから、妻の「営業に関する行為」の範囲も広く解釈してよいと思われる。

〔3〕 日常家事に関する妻の代理権
 本考察では、これまで明治民法の財産法の分野(「総則」「物権」「債権」の前三編)についてのみ検討してきたのだが、家族法の分野(「親族」「相続」の後二編)にも注目すべき規定がある。
 明治民法親族編の803条には「日常家事ニ付テハ妻ハ夫ノ代理人ト看做ス」と定められている。すなわち日常家事とみなされる範囲においては、妻自身の法律行為ではないが、夫の代理人として妻は法律行為を行えたのである。
 ただし、夫は、妻の代理権の「全部又ハ一部ヲ否認スルコトヲ得」(803条2項)とある。しかし、日常生活に支障のない程度には、妻は自由に法律行為ができることが原則であった。
 なお、この明治民法の規定は、現行民法761条には「夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは、他の一方は、これによって生じた債務について、連帯してその責任を負う。ただし、第三者に対し責任を負わない旨を予告した場合は、この限りでない。」と、大幅に変更されているものの、理念レベルでは引き継がれている。

〔4〕「契約」の意味
 第1節冒頭で言及したとおり、武者氏は「(明治民法下の女性は)物事の契約もできない」と述べている。これは武者氏の勘違いであることを明治民法の条文及び解釈を通して説明してきたのだが、実は「契約」という言葉の意味を押さえておくだけで、「女は契約ができない?そんなバカな!?」という結論になるのである。
 契約とは、【互いに対立する意思表示の合致によって成立する法律行為】(法律学小事典第4版)、【複数の者の合意によって当事者間に法律上の権利義務を発生させる制度で、合意のうち法的な拘束力を持つことを期待して行われるもの】(Wikipedia)などと定義される。
 例えば、八百屋の店先で客が「その1本100円の大根を2本ください」と言い(「買いたい」という意思表示)、店主が「へい、まいど!」と応じれば(「買いたい」という意思表示と「売りたい」という意思表示の合致)、「売買」という契約が成立するのである。
 武者氏は、明治民法下での女性は八百屋で大根を買うこともできなかったと主張したいのだろうか?
 確かに妻の行為能力は制限されていた。しかしその制限は明治民法14条に列挙するものに限られるのであって、一般論としては妻にも法律行為能力は存在していた、すなわち契約することもできたのである。


第5節 女性は「無能」だったのか
〔1〕 序論
 第1節で引用したように、武者氏は「女は無能で何もできないと法律が定めている」と述べている。
 しかし第4節までに見てきたように、明治民法下においても、妻は制約を受けつつも、ある程度の法律行為を行い得ることができたことは明らかであり、この点において武者氏は間違えている。
 もっとも、そのことを踏まえてもなお「民法の基本理念は『女性は無能だ』ということにあり、女性ないし妻に関する一定の行為能力の付与は、その『無能』を前提とした上での特恵的なものだった」という反論も想定できる。
 しかし、武者氏がそのように主張するのであれば、やはりそれは壮大な勘違いである。そのことは、第2節で引用した『梅要義』に「婦人は婦人として無能力なるに非ず。故に処女及び寡婦は其能力に於て男と異なることなきを原則とす。」と、『富井原論』に「婦女たる故を以て無能力者なるに非ず。蓋、婦女と雖も其智能の発育、往々にして男子に譲らざることあればなり。妻は妻として即ち婚姻の結果に因り行為能力を制限せられたるものとす。」とあったことから明白である。もちろん明治民法に「女ハ之ヲ無能トス」というような規定があったわけではない。
 そこで「女は無能と法律が定めている」という武者氏の誤解が如何にして生じたかを、明治民法の構成をみながら検討する。

〔2〕 明治民法の行為能力制度の条文構成
 もっと早くに示すべきだったかもしれないが、行為能力制度に関する明治民法の条文構成を簡単に確認しておく。
 (a)第3条から第6条まで
   未成年者の法律行為は全般的に法定代理人の同意を得ることを必要とし、その同意のない行為は取り消すことができるとした。ただし、例外規定も多い。
 (b)第7条から第10条まで
   禁治産者の法律行為は全般的に後見人などが取り消すことができるとした(行為に先立つ後見人の同意制度はない)。
 (c)第11条から第13条まで
   第12条に列挙された準禁治産者の法律行為は保佐人の同意を得ることを必要とし、その同意のない行為は取り消すことができるとした。
 (d)第14条から第18条まで
   第14条に列挙された妻の法律行為は夫の許可を得ることを必要とし、その許可のない行為は取り消すことができるとした。ただし、第2節ないし第4節でみたように例外規定も多い。
 (e)第19条
   無能力者の法律行為の相手方の催告権とその法律効果について規定
 (f)第20条
   無能力者が「自分は無能力者ではない」と詐術を用いて法律行為をした場合、その行為を取り消すことはできないと規定
 明治民法では第18条までには「無能力者」という言葉はみえず、上記のとおり19条及び20条になって初めて「無能力者」の語が登場する。
 (e)の19条は、「未成年者等と法律行為を行った者(取引の相手方)は、その法律行為(取引)を取り消されるかもしれないという不安定な地位におかれる。ゆえに取引の相手方は、その未成年者等又は取消権を有する者(未成年者の場合には法定代理人、準禁治産者の場合には保佐人、妻の場合には夫)に対し、その法律行為を維持するのか取り消すのかを確認(≒催告)できる」との趣旨の規定である。
 なお、この「法律行為を維持するか否かの催告」の法的効果については、場合分けが複雑なので説明を省略する。
 (f)の20条は、本考察の趣旨に関係する範囲では、上に記した内容で足りる。
 注意すべきは19条で初めて登場する「無能力者」の語について、明治民法が何らの注記を施していなかったことである。
 しかし、条文の内容及び明治民法の構成を見れば、19条及び20条の「無能力者」の語が、法律行為を取り消し、又は取り消される可能性のある者(未成年者、禁治産者、準禁治産者、妻)を指すことは明らかであろう。
 このことを『富井原論』によって確認しておく。
――【引用開始】――
 無能力者とは、単に其文字より観察するときは、全然能力を有せざる者の如く解せらるべきも、其実、一切の法律行為を為すことを得ざるに非ず。
 唯禁治産者を例外とし、或人の同意又は許可を経るに非らざれば、一般又は特定の法律行為を為すを得ざるのみ。
――【引用終了】――
 すなわち明治民法における「無能力者」とは、一定の事由のもとに特定の法律行為(禁治産者にあっては法律行為全般)を「単独で完結させることができない(=取り消しがあり得る)」者の総称だったのである。

〔3〕 「無能力者」から「制限行為能力者」へ
 〔2〕でみたように、明治民法における「無能力者」の語を、単に「無能で何もできない」と武者氏のように解釈することは明らかに間違いであるといえる。
 ただし、「無能力者」という誤解を招きやすい言葉に何らの注記(定義)も施さないまま放置し続けたことについては、立法者の怠慢の謗りは免れないところであろう。
 さて前述のとおり、「妻」の行為能力を制限する規定は昭和22(1947)年法律第222号により削除された。今、ページ管理人の手元にある平成6年版の六法全書には次のように記載されている。
   「第十四条乃至第十八条  削除(昭二二法律二二二)」
 しかし、「無能力者」の語が改められるのは平成11(1999)年の民法改正まで待たなければならなかった。
 平成11年改正では、「禁治産者」の語は「成年被後見人」に、「準禁治産者」は「被保佐人」に改められ[※1]、空白(削除されたままの状態)であった14条から17条に「被補助人」の制度が設けられた[※2][※3]。
   [※1]単なる名称変更だけではなく、要件や内容にも変更が加えられたが、本考察とは無関係なので省略する。
   [※2]補助とは、被保佐人(改正前の準禁治産者)ほどではないが事理弁識能力が不十分な者につき、被保佐人に対する行為能力の制限の範囲内で、行為能力を制限する制度
   [※3]18条には、成年被後見人・被保佐人・被補助人の指定(審判)に関する相互調整規定が設けられた。
 そして「無能力者」の語は「制限能力者」に改められ、注記(定義)が付された。以下に平成11年改正法を引用するが、引用文中「第十九条第一項中・・・」から始まる行に注意していただきたい。
──【民法の一部を改正する法律(平成11年法律第149号(12月8日公布・平成12年4月1日施行))より引用開始】──
      • (前略)・・・
 第七条中「心神喪失ノ」を「精神上ノ障害ニ因リ事理ヲ弁識スル能力ヲ欠ク」に、「後見人、保佐人」を「未成年後見人、未成年後見監督人、保佐人、保佐監督人、補助人、補助監督人」に、「禁治産ノ宣告」を「後見開始ノ審判」に改める。
      • (中略)・・・
 第九条中「禁治産者ノ行為」を「成年被後見人ノ法律行為」に改め、同条に次のただし書を加える。
  但日用品ノ購入其他日常生活ニ関スル行為ニ付テハ此限ニ在ラズ
      • (中略)・・・
 第十一条を次のように改める。
  第十一条 精神上ノ障害ニ因リ事理ヲ弁識スル能力ガ著シク不十分ナル者ニ付テハ家庭裁判所ハ・・・(中略)・・・保佐開始ノ審判ヲ為スコトヲ得但第七条ニ定メタル原因アル者ニ付テハ此限ニ在ラズ
 第十一条の次に次の一条を加える。
  第十一条ノ二 保佐開始ノ審判ヲ受ケタル者ハ被保佐人トシテ之ニ保佐人ヲ付ス
 第十二条第一項中「準禁治産者」を「被保佐人」に改め、同項に次のただし書を加える。
  但第九条但書ニ定メタル行為ニ付テハ此限ニ在ラズ
      • (中略)・・・
 第十九条第一項中「無能力者ノ」を「制限能力者(未成年者、成年被後見人、被保佐人及ビ第十六条第一項ノ審判ヲ受ケタル被補助人ヲ謂フ以下同ジ)ノ」に、「其無能力者」を「其制限能力者」に、・・・(中略)・・・に改める。
      • (以下略)・・・
──【引用終了】──
 制限能力者(改正前の無能力者)に定義が付されたことが確認できる。
 もし、明治民法における妻の行為能力制限規定が存続していたならば、上記引用中の「(未成年者、成年被後見人、被保佐人及ビ第十六条第一項ノ審判ヲ受ケタル被補助人ヲ謂フ以下同ジ)」という定義に「妻」が加わっていたことだろう。
 さて、19条で制限能力者(改正前の「無能力者」)の定義が示されたのだが、さらに条文の変遷があったので、追記しておく。
 平成16(2004)年に民法の財産法の分野(「総則」「物権」「債権」の前三編)は全面的に口語化・平仮名書きに改正された[※]。
   [※]家族法の分野(「親族」「相続」の後二編)は、昭和22年に口語化・平仮名書きにされていた。
 この改正に伴い、それまで居所について定めていた22条と23条は統合され、旧22条は新23条1項に、旧23条は新23条2項になった。
 そして、空番号となった22条を埋めるように、12条から21条までが一つずつ繰り下げられ、上に引用した平成11年改正法で「第十一条ノ二」として設けられていた条文が新第12条となった。
 したがって上に述べた、制限能力者の定義を示していた旧19条は、新20条となったのである(なお、この際に「制限能力者」の語は「制限行為能力者」に改められた)。
 さらに、平成29年の民法改正で「制限行為能力者の定義」は、またもや所在地を変える。
 被保佐人(旧準禁治産者)が未成年者や成年被後見人(旧禁治産者)の法定代理人たることができるかという議論があったところ、保佐人の同意を得た法律行為であれば、被保佐人も法定代理人として行為できる旨、規定された。
 すなわち、保佐人の同意を得るべき被保佐人の法律行為を列挙した13条1項に第10号が追加され、その部分で「制限行為能力者の定義」が示されたのである。
 そうなれば、これまで「制限行為能力者の定義」を示していた20条の規定は重複する。よって20条における「制限行為能力者の定義」は削除された。以下に平成29年改正法を引用して確認しておく。
──【民法の一部を改正する法律(平成29年法律第44号)より引用】──
      • (前略)・・・
 第十三条第一項に次の一号を加える。
  十 前各号に掲げる行為を制限行為能力者(未成年者、成年被後見人、被保佐人及び第十七条第一項の審判を受けた被補助人をいう。以下同じ。)の法定代理人としてすること。
 第二十条第一項中「(未成年者、成年被後見人、被保佐人及び第十七条第一項の審判を受けた被補助人をいう。以下同じ。)」を削る。
      • (以下略)・・・
──【引用終了】──
 明治民法第19条で定義なく示されていた「無能力者」の語は、平成11年に定義付きの「制限能力者」となり、平成16年に第20条に番号が変えられるとともに「制限行為能力者」と変更され、平成29年に「定義」は第13条に移されたのである。

〔4〕 これまでのまとめ
 第1節でみたように、武者氏は「物事の『契約もできない』。『女』は『無能』で何もできないと法律が定めている」と述べている。
 しかし明治民法が定めるところは、そもそも「女」ではなく「妻」を対象とする制度であったことは第2節で述べた。また、行為能力の制限は受けていたにせよ、「(一切の)契約もできない」というわけではないことを第3節及び第4節で述べた。さらに「無能」というのは、平成11年までの民法で用いられてきた「無能力者」という特殊な意味を持つ術語を誤解したものである旨、第5節で述べた。
 わずか三十字余り、短歌レベルの文章でこれほどの間違いを仕出かすとは、「日本一の強者」ならぬ「日本一のクソレビュアー」の名前に相応しい者は、武者震之助をおいて他にはいないであろう。
 もっとも、これまでみてきた明治民法財産法の分野についての制度が男女平等の観点から大きな問題を孕んでいたことは、筆者も認めるところである。
 そこで明治民法下の民法学者がこれらの制度をどのようにとらえていたのかを穂積重遠という人物を通して第7節でみていきたいと思うが、その前に明治民法家族法の分野における女性の地位について、瞥見しておく。


第6節 家族法の分野における女性



第7節 明治民法下での妻の権利をめぐる議論 ―― 穂積重遠を中心に ――

大正8(1919)年7月、原敬内閣の下で臨時法制審議会が設けられたが、その際の政府の諮問の中に「政府ハ民法ノ規定中我邦古来ノ淳風美俗ニ副ハサルモノアリト認ム之カ改正ノ要綱如何」とある。



──【穂積重遠『婚姻制度講話』(温古堂文庫。初版1930年)「第二講 夫婦関係」より引用開始】──
 夫婦関係の沿革は妻の地位の上進史である。妻は夫の所有物たる地位から対等人格に進んだ。
 我が民法ももちろん妻の対等人格を認めているが、ただその対等人格の作用を制限する規定の著しいものが一つある。すなわち民法第一四条に、
  『妻が左に掲げたる行為を為すには夫の許可を受けることを要す』
とあって、妻が自分の一身上及び財産上多少重要な行為をするには夫の許可を受けねばならぬということになっている。しかして妻が夫の許可を受けずにこれ等の行為をした場合には妻自身及び夫からそれを取り消し得るのである。
 これは妻にとって必ずしも不利益な制度ではない。独断でした行為の結果、面白くなさそうな場合に、夫と相談しなかったという理由で取り消し得るからである。すなわち制限ではない、保護だと弁護される。
 しかしそれは一個の人格として恥ずべき保護と言わねばならぬ。
 しかしてまた、すでに共同生活をする以上、自分の一身または財産を自分勝手に始末できないということは必ずしも不当ではない。
 しかしながら、その理由でこの制度を弁護するならば、夫もまた重要な一身上または財産上の行為をする場合には妻の同意を得べしとせねばならぬはずである。
 しかして、これは女は弱き者としての保護監督規定ではなくして夫婦円満のための制度だというならば、未成年者、禁治産者及び準禁治産者と並べて妻を『無能力者』と言うことにしたのははなはだ不当である。これは婚姻の効果にほかならぬのであるから、婚姻の章に規定すべきであった。
 さらにまた、夫の『許可』という用語はすこぶる不穏当である。なぜ『同意』としなかったのであろうか。
 この妻の無能力という制度は充分の再考を要するのであって、私は大体において廃止論である。
──【引用終了】──
2023年09月14日(木) 13:27:08 Modified by ID:3pYhZewPKQ




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