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ballatasinfonica 2013年04月13日(土) 23:57:16履歴
編成:ピアノ独奏。
作曲:1933年(1934年の説もある)。
初演:1936年、日本青年館において、チェレプニンにより第一楽章「盆踊」だけ初演。
1938年、ヴェネチア国際現代音楽祭においてジーノ・ゴリーニにより全曲初演。
1946年、マンフレート・グルリットにより放送初演(相良、p281)。
1946年マンフレート・グルリットにより日本初演(小林、2004、p79)
このグルリットによる演奏については調査が必要とされる。
楽譜出版:ユニヴァーサル、シャーマー、プロムジカ、竜吟、全音、音楽之友社。
全音楽譜出版社、1969年
受賞:1938年ヴェネチア国際現代音楽祭入選。
編曲:1991年、 《管絃楽のための「日本組曲」》初演。
1991年 《二面の二十五絃箏のための「日本組曲」》初演
1998年 《絃楽オーケストラのための「日本組曲」》初演
ジョージ・コープランドというボストン出身のピアニストの『スペイン音楽集』というレコードに対して、三浦淳史が英語で感想を送った。それに対するコープランドの返信に対して三浦が「友人に作曲家がいるんだ」と送り、コープランドがその作品を送ってほしいと言ってきた。伊福部は中学の終わりごろからすこしずつ書き始めていたものを完成させて送った。完成までに二年くらいかかったのではと伊福部は述べている。コープランドはとてもいい曲だと手紙をくれたが、連絡はその後途絶え、演奏されたかどうかは不明。(木部、1997、p133)
「伊福部はこのこと[ヴェネチア国際現代音楽祭入選]を、一九三九(昭和十四)年五月三十日付でしたためられた、ゴリーニ自身の手紙で知らされた。さらには新聞にも報道されて、チェレプニンからも祝いの手紙を受け取るのである」(木部、2002、p150)
「チェレプニン楽譜のシリーズに加えられる」(木部、2002、p150)出版社はどこかなど詳細は不明。
「『日本組曲』一九三三年という年、伊福部は初めてのピアノ曲を書いた。後に『日本狂詩曲』が名高くなってからは、あまり”日本”が続くのも妙だという思いから、シンプルに『ピアノ組曲』の名で呼ばれるようになるのだが、それはまだ先のこと」(木部、1997、p130)
1972年7月15日、東京文化会館小ホールで開催された「第25回 日本のピアノ」演奏会にて「七夕・侫武多」が設楽秋夫による編曲で演奏された記録があるが、詳細は不明。
作曲:1933年(1934年の説もある)。
初演:1936年、日本青年館において、チェレプニンにより第一楽章「盆踊」だけ初演。
1938年、ヴェネチア国際現代音楽祭においてジーノ・ゴリーニにより全曲初演。
1946年、マンフレート・グルリットにより放送初演(相良、p281)。
1946年マンフレート・グルリットにより日本初演(小林、2004、p79)
このグルリットによる演奏については調査が必要とされる。
楽譜出版:ユニヴァーサル、シャーマー、プロムジカ、竜吟、全音、音楽之友社。
全音楽譜出版社、1969年
受賞:1938年ヴェネチア国際現代音楽祭入選。
編曲:1991年、 《管絃楽のための「日本組曲」》初演。
1991年 《二面の二十五絃箏のための「日本組曲」》初演
1998年 《絃楽オーケストラのための「日本組曲」》初演
ジョージ・コープランドというボストン出身のピアニストの『スペイン音楽集』というレコードに対して、三浦淳史が英語で感想を送った。それに対するコープランドの返信に対して三浦が「友人に作曲家がいるんだ」と送り、コープランドがその作品を送ってほしいと言ってきた。伊福部は中学の終わりごろからすこしずつ書き始めていたものを完成させて送った。完成までに二年くらいかかったのではと伊福部は述べている。コープランドはとてもいい曲だと手紙をくれたが、連絡はその後途絶え、演奏されたかどうかは不明。(木部、1997、p133)
「伊福部はこのこと[ヴェネチア国際現代音楽祭入選]を、一九三九(昭和十四)年五月三十日付でしたためられた、ゴリーニ自身の手紙で知らされた。さらには新聞にも報道されて、チェレプニンからも祝いの手紙を受け取るのである」(木部、2002、p150)
「チェレプニン楽譜のシリーズに加えられる」(木部、2002、p150)出版社はどこかなど詳細は不明。
「『日本組曲』一九三三年という年、伊福部は初めてのピアノ曲を書いた。後に『日本狂詩曲』が名高くなってからは、あまり”日本”が続くのも妙だという思いから、シンプルに『ピアノ組曲』の名で呼ばれるようになるのだが、それはまだ先のこと」(木部、1997、p130)
1972年7月15日、東京文化会館小ホールで開催された「第25回 日本のピアノ」演奏会にて「七夕・侫武多」が設楽秋夫による編曲で演奏された記録があるが、詳細は不明。
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