最終更新: ballatasinfonica 2010年07月26日(月) 14:04:40履歴
「まず『JIN』。これは伊福部によるとアイヌの言葉であるという。火を焚いてその周囲で歌い踊るアイヌに、それは何と呼ばれるものかと訊いた。すると相手は、ジンだ、と答えたという。伊福部はこの曲の楽譜を、スペインの作曲家でマヌエル・デ・ファリャの弟子である、エルネスト・アルフテルに、手紙と別にして贈った。彼ならば理解してくれるんじゃないかという願いをこめて。ところが、手紙だけ着いて楽譜が着かなかったらしい。アルフテルからは、わざわざ引越し先の住所を知らせる手紙までもらったのに、楽譜のみが行方不明になった。伊福部の手元には写しもなく、『JIN』の運命はそれっきりになったのである」(木部、1997、pp123-124)
「伊福部は『JIN』というギター曲を創り、これをスペインの作曲家、エルネスト・アルフテルに贈った。アルフテルからはていねいな返事が来た。戦争が激しくなったために、リスボンにある妻の実家に引っ越す。楽譜はそちらに送ってほしい、と。しかし、やはり戦火にまきこまれたのか、その後の音信は不通となる」(木部、2002、p105)
「伊福部は『JIN』というギター曲を創り、これをスペインの作曲家、エルネスト・アルフテルに贈った。アルフテルからはていねいな返事が来た。戦争が激しくなったために、リスボンにある妻の実家に引っ越す。楽譜はそちらに送ってほしい、と。しかし、やはり戦火にまきこまれたのか、その後の音信は不通となる」(木部、2002、p105)
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