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ballatasinfonica 2012年10月14日(日) 11:20:23履歴
「北海道帝国大学農学部林学実科に入学。早坂文雄(作曲家)と出会う」(豊田、p15)
「二人(引用者注・伊福部と早坂)は、伊福部が北海道帝国大学農学部林学実科在籍時代の一九三二(昭和七)年にめぐり合った」(小林、1998、p4、同2001、p18、同2004、p22、同2005、p189)
「*この頃(引用者註、1932年)、宮原朝吉、愛子夫妻を介して、伊福部昭(北大農学部林学実科1年)と出会い音楽を通して交友を深めてゆく」(http://www5.plala.or.jp/forests/nenpu01.html)
伊福部と早坂との出会いを1932年と断定しているのは上記3つの文献。
「この北大時代に彼は(中略)三浦淳史(現音楽評論家)と出会う」(小村、CD「伊福部昭―作曲家の個展」ブックレット、pp4-5)これは札幌二中時代の誤りだと思われる。
「「新音楽連盟」は地方的な存在で見立たなかったが、三浦淳史(評論)が指導的な役割をなし、伊福部昭、早坂文雄の作曲家が、仮想アカデミズムに反抗して昭和7年札幌で旗挙げした」(富樫、p18)この年代については他の文献と異なるので調査が必要。
「二人(引用者注・伊福部と早坂)は、伊福部が北海道帝国大学農学部林学実科在籍時代の一九三二(昭和七)年にめぐり合った」(小林、1998、p4、同2001、p18、同2004、p22、同2005、p189)
「*この頃(引用者註、1932年)、宮原朝吉、愛子夫妻を介して、伊福部昭(北大農学部林学実科1年)と出会い音楽を通して交友を深めてゆく」(http://www5.plala.or.jp/forests/nenpu01.html)
伊福部と早坂との出会いを1932年と断定しているのは上記3つの文献。
「この北大時代に彼は(中略)三浦淳史(現音楽評論家)と出会う」(小村、CD「伊福部昭―作曲家の個展」ブックレット、pp4-5)これは札幌二中時代の誤りだと思われる。
「「新音楽連盟」は地方的な存在で見立たなかったが、三浦淳史(評論)が指導的な役割をなし、伊福部昭、早坂文雄の作曲家が、仮想アカデミズムに反抗して昭和7年札幌で旗挙げした」(富樫、p18)この年代については他の文献と異なるので調査が必要。

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