伊福部昭の年表と作品のデータベース。暫時更新中。編集は不可能としているので、データの誤りなどありましたらコメントでご一報ください。

「3月、林務官の職を辞して、北大の演習林事務所に嘱託として勤務」(豊田)

「1940年、林務官を辞し札幌において北大演習林事務所[に勤務]」(公式HP)

「3月、札幌に戻り、北大演習林事務所へ嘱託として勤務」(相良、p286)

「伊福部はこの年の三月から、古巣といえる北海道帝国大学に戻り、農学部の一角にある演習林事務所で嘱託として働いていた」(木部、1997、p306)

「[1940年]九月十日、《ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲》を完成させ、総譜を東京に贈ったことが新聞で報じられた」(木部、2004、p132)

「しかし1940年、彼はジャン・フランセのピアノ小協奏曲をラジオで聴いたのをひとつのきっかけに、(中略)都会の札幌に戻り、母校の演習林事務所や帝室林野局の林業試験場に勤務しながら(略)」(片山、CD「日本作曲家選輯 伊福部昭」ブックレット、p6)

「厚岸での林務官時代、地元の防火組合が上映した教育映画「炭焼く人々」(註:一九四〇年東日本毎映画課、渥美輝男監督)に、乞われてヴァイオリンで伴奏をつけたこともある」(井上、相良、p189)このエピソードの映画の公開年から、伊福部が札幌に転居したのは1940年に入ってからと考えられる。ただし1939年に林務官をやめたという1939年昭和14年の木部の記述と「厚岸での林務官時代」という記述が一致しない。

DB製作者は1939年昭和14年の諸データより、1939年厚岸より札幌に転居、1940年3月より北大演習林事務所に嘱託として勤務とした。

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伊福部昭の年表と作品のデータベース。暫時更新中。
当初「二次文献による伊福部昭wiki」と題して二次文献の調査を進めておりましたが、二次文献がほぼ網羅できましたので、現在一次文献を基にデータを更新しています。