伊福部昭データベース - 札幌二中
木部、1997,pp21-30に住所、中学時代のエピソードなどあり。

同中学の『其中会(きちゅうかい)雑誌』第15号、第16号に伊福部の「めばえ画会」での写真、第17号に音楽会のプログラムあり(詳しくは1931年昭和6年)(木部、1997,pp27-28)

「札幌ニ中では、まず「めばえ画会」という絵画グループに入りました。一級上の佐藤忠良さんや、同級生の船山馨さんなども仲間だったんです。兄の勲も一緒でした」(木部、1997、p88)

「又、同じく札幌二中時代には、同級の船山馨(後の作家)、一級上の佐藤忠良(後の彫刻家)と出会い、共に絵画クラブ「めばえ会」属し展覧会などを行い、伊福部は主に静物画を描いていたという。
後の伊福部の言では、作曲家にならなければ絵描きになっていた、とも言い、独特のイラストレーションの才能はこの頃養われていたものであろう。」(公式HP)

「中学時代には、石井漠さんの踊りを見たことも心に残っています。あれが中学生のいつごろだったか、日にちの方ははっきりしないんですが、場所は南三条の映画館、札幌劇場でした」(木部、1997、p94)

二中時代、佐藤忠良、船山馨とともに絵画グループ「桑の木会」を結成した。1948年10月4日の「北海道新聞」に「友情の三部作 異色のバレー 苦節二十年の道を歩んだ伊福部・船山・佐藤 成長した『桑の木会』トリオ」という記事あり。48年ごろ3人でバレエを企画したが完成しなかった。(木部、2002、pp217-218)