伊福部昭データベース - 年表1914-1945
1914年大正3年
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5月31日(戸籍上は3月5日)北海道釧路町幣舞(ぬさまい)に生まれる。父利三(釧路警察署長)、母キワの四女、三男の末っ子。
父の異動について
誕生日について
1920年大正9年
9月、3月5日生まれとして出生届を提出。1年早く網走尋常小学校へ入学。
1922年大正11年
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父の札幌教習所所長就任に伴い、札幌の西創成尋常小学校へ転校、4ヶ月ほど通った後、大通尋常小学校へ転校する。
1923年大正12年
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父の音更村長就任に伴い、音更へ転居、音更尋常小学校へ転校。この頃より「老子」を素読、独学でヴァイオリンやギターを習い始める一方で、アイヌと交流を持ち、彼らの文化や音楽に接する。
1926年大正15年昭和元年
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札幌二中(現札幌西高校)に進学。札幌で二人の兄らと生活を始める。絵画グループ「めばえ会」に入会。一級上の佐藤忠良(ちゅうりょう)(彫刻家)、同級の船山馨(作家)らと交流を深める。
三浦淳史
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と出会う。
札幌二中
1927年昭和2年
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独学で作曲の勉強を始める。
1928年昭和3年
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から
1930年昭和5年
のころ
《春の祭典》
に共感してオーケストラ作品を書き始める。(
1929年昭和4年
とする文献もある)
1931年昭和6年
札幌二中卒業
1932年昭和7年
北海道帝国大学農学部林学実科に入学。文武会管絃楽部のコンサートマスターになる。この時期
早坂文雄
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と出会う。ギター曲
《JIN》
作曲。夏休みに本州を旅行、青森のねぷた祭を見る。独唱曲
《平安朝の秋に寄する三つの詩》
作曲。楽譜を歌手荻野綾子に送るが返事は返ってこなかった。
1933年昭和8年
1月29日、次兄勲とともに札幌放送局に出演。
《JIN》
をスペインの作曲家でファリャの弟子、
エルネスト・アルフテル
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に楽譜を送るが楽譜は現在所在不明。ギター曲
《ノクチュルヌ》
、10月8日に次兄勲のギターリサイテルにおいて初演。楽譜は現在所在不明。ピアノ独奏曲
《ピアノ組曲》
作曲。三浦の仲介によりピアニスト
ジョージ・コープランド
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に送るが、演奏されたか不明。
1934年昭和9年
友人と弦楽四重奏団を結成。後には早坂のピアノなども加わり、六重奏団として札幌のカソリック系教会などで演奏活動を行う。9月、伊福部、早坂、三浦の三名で
新音楽連盟
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を結成する。9月30日に今井記念館において上記の三名とその友人、次兄勲らと「国際現代音楽祭」を開催。
1935年昭和10年
大学を卒業。帝室林野管理局森林官吏となり、厚岸森林事務所に調査造林係補助・作業助手として配属。管弦楽曲
《日本狂詩曲》
作曲。同作で
チェレプニン
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による
チェレプニン賞
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一等入賞(12月17日発表)。
1936年昭和11年
4月5日ボストンのジョルダン・ホールでフェビアン・セビツキー指揮、ピープルス交響管弦楽団により
《日本狂詩曲》
初演。7月から8月、横浜に滞在中の
チェレプニン
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を訪れ、約1ヶ月のレッスンを受ける。チェレプニンが
《ピアノ組曲》
の中の1曲「盆踊」を初演。
チェレプニン
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も冬に札幌に滞在し、二回伊福部家を訪ねる。チェレプニン・エディションとして龍吟社より楽譜
《日本狂詩曲》
《ピアノ組曲》
より「盆踊り」が出版される。このころアツケシザクラを発見し、植物学者舘脇操が1936年に「北海道林業会報」に発表する。
1937年昭和12年
室内管弦楽曲
《土俗的三連画》
作曲。
1938年昭和13年
《ピアノ組曲》
ヴェネチア国際現代音楽祭に入選、ジーノ・ゴリーニによって初演。
バレエ曲《盆踊り》
ウィーンで上演
1939年昭和14年
1月13日、
《土俗的三連画》
が小船幸次郎指揮、日本放送交響楽団演奏で放送初演。
《日本狂詩曲》
が小船幸次郎指揮でワルシャワ他で演奏。4月から5月末までに森林官を辞す。龍吟社より
《ピアノ組曲》
より「七夕・演伶・佞武多各ピアノ独奏曲」が出版される。7月25日、北大中央講堂にて、松平頼則のピアノ独奏により
《ピアノ組曲》
より七夕、演伶、
《土俗的三連画》
よりティムベが演奏される。
1940年昭和15年
3月より札幌の北海道大学演習林事務所に嘱託として勤務。7月7日に札幌で催された紀元2600年記念大聖火祭で
《交響舞曲越天楽》
自らの指揮で初演。
1941年昭和16年
前年の
《交響舞曲越天楽》
で舞踊を担当した舞踊家・勇崎アイと4月11日に結婚。
1942年昭和17年
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3月3日
《ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲》
マンフレート・グルリット指揮、松隈陽子ピアノ、東京交響楽団により初演。12月12日次兄勲死去。
1943年昭和18年
4月21、22日
《土俗的三連画》
舞台初演。
《交響譚詩》
作曲、9月4日に録音のために初演、11月20日に舞台初演。この作品により日本音響株式会社(現日本ビクター)第二回管絃楽曲懸賞一等受賞。吹奏楽曲
《古典風軍楽「吉志舞」》
作曲
1944年昭和19年
1月30日、《フィリッピン國民に贈る管絃楽序曲》(現
《フィリピンに贈る祝典序曲》
初演。4月8日、吹奏楽曲
《古典風軍楽「吉志舞」》
放送初演。
《兵士の序楽》
作曲。9月27日
《日本狂詩曲》
日本初演。9月から10月。新京音楽院より招かれて満州・蒙古を旅行。管弦楽曲
《管絃楽のための音詩「寒帯林」》
作曲。
《交響譚詩》
SPレコードが1943年度文部大臣賞受賞。
1945年昭和20年
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4月26日、
《管絃楽のための音詩「寒帯林」》
がハルビンで山田和男指揮、新京交響楽団により初演。1月より帝室林野局林業試験場勤務。8月28日、放射線被爆により喀血。病床に伏す。