古池や蛙飛こむ水のおと - 右脳と左脳の共同作業
俳句を覚える途上で知る言葉に「二句一章」という概念があります。
俳句の約束事はいくつか有りますけども、二句一章もその一つです。
芭蕉か子規が提唱した言葉と思いきや、別人が言い出したようです。

大概の俳句は、二つのバートから出来ていると捉えたら好いのです。
そして、一句を二つのパートに分けている言葉を「切れ字」という。
「や」「かな」「けり」など十八語が切れ字として先人に定められている。

しかも、あらゆる文字が切れ字として働き得ると理解できそうです。
ただ、切れ字については「秘すべし」との言い伝えは有るようです。
長谷川櫂氏の述べられた文も、私のと凡その違いはないと思います。

但し、私は小学生に俳句を詠む楽しみを教えるべきと考えています。
初めは切れ字無し・季語無しの「一句一章」の素直な俳句でしょう。
低学年に切れ字などの約束ごとは却って邪魔になるかもと思います。

俳句を詠み続けて三・四年生にもなれば、切れ字を教えるべきかも。
切れ字によって区切られたパートを繋ぐ作業は、きっと楽しい時間。
今日風に申せば、左脳と右脳の共同作業が図られる俳句の時間かも。

古池や蛙飛こむ水のおと

そっと目を閉じれば、古池が浮びます。
鳴いている蛙もいるだろうし、眠っている蛙もいる。
それは過去にどこかでキッと見たことのある風景なのです。