古池や蛙飛こむ水のおと - 人間は複雑なんですよ
>「古池に蛙が飛びこんで水の音がした」とするこの解釈は…
>そう解釈するとおかしな問題がいくつも出てくる。

解釈とは、要約すると「その人の論理に従って理解すること」(新明解国語辞典)
結局、櫂氏の解釈では「おかしな問題がいくつも出てくる」らしい。
「(櫂氏の)解釈は間違いです」と櫂氏は自らの間違いを証明している。

今、櫂氏・ご自身を間違いに導いた「櫂氏の解釈」を観ていきたい。

>誰もが考えているようにこの句が「古池に蛙が飛びこんで水の音…

櫂氏は「誰もが考えている」と述べられた根拠を示すべきでしょう。
仮にもせよ「誰も」のなかには於多福姉も当然含まれることになる。
(ヒント): 「考えた」のは芭蕉が「古池」の句を詠んだ前か?後か?

(こたえ): 芭蕉は古池を詠む前にあれこれ「考えた」とも思える。
      詠む時は、あれこれ考えることは当然でありましょう。
      映画監督が、或いは全体の流れを計算するようにです。
      照明・効果が、或いはディティールに拘るようにです。

(こたえ): あなたも古池を読んだ後、想像を巡らしたと思います。
      あなたの想像世界はどのような画面だったでしょうか。
      私の場合は只々、古池に遊ぶ蛙たちと過していました。
      静寂のなか、忘れたころにポチャと小さく音がします。

観客の誰もの耳に全く同じように『ポチャ』と聞こえる訳ではない。
法学を単純に白黒で片づけてならないのと同じではないでしょうか。
私たちは人間を対象にするのだから、命の重みを感じたいものです。