古池や蛙飛こむ水のおと - 切れ字の意味は何ですか
俳句とは、何ぞや?

切れ字が節と節を自在に繋ぐ「関節」として働くのは便利ですけど、
それでどうして、切れ字を「秘」にしなければならないのか…です。
しかも、下五の最後に置かれる切れ字…どうにも関節に見えません。

殊に「下五の最後に置かれる切れ字」で、一体何を繋ぐのでしょう。
いえいえ、俳句の上五の頭に切れ字を持ってきたりも出来ますよね。
嗚とか、嗚呼とか、一体・何を繋ごうとする「切れ字」でしょうか。

於多福姉の節を繋ぐ「切れ字」…繋げない場合があるかに見えます。
長谷川櫂氏の文脈をカットする「切字」…切れない場合が有りそう。
それでココは長谷川櫂氏の文を今暫く追ってまいりたいと存じます。

俳句の本を読んでも、どこにも載っていない切れ字の本当の役割り。
文脈を切るためだけの切れ字…それは論理に無理が生じるでしょう。
切れ字の本当の意味を誰も知らないのでは…って思ってしまいます。

誰も教えてくれない切字…それなら於多福姉流な使い方でも、好い!
於多福姉の切れ字には、秘密にしなければならない訳はありません。
もっとも、於多福姉流儀「切れ字」の意味はもう述べたとおりです。

長谷川櫂氏の著書「古池に蛙は飛び込んだか」に、
「切れ字」の明解な説明が載っている場合、長谷川櫂氏が優先です。