古池や蛙飛こむ水のおと - 追憶・郷愁
>芭蕉はここで「おくの田植うた」という声に対して「早苗とる手もと」という
>姿を取り出して、これから向かうみちのくへのゆかしさをこめた一句に仕立てた。

*風流の初やおくの田植うた
*早苗とる手もとや昔しのぶ摺 (さなえとるてもとやむかししのぶすり)

実際、芭蕉の想いはいつでも記憶の底にある古池の地を目指します。
それにしても芭蕉の時代の江戸の地に古池はなかったのでしょうか。
今は、櫂氏の道案内にまかせて・芭蕉の句を辿りながら・進みます。

上記二句を合わせて、当時の生活を偲びつつ読みすすんで行きます。

風流の初、それは万葉の時代? もっともっと昔かも…、ともあれ、
籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち この岳に 菜摘ます児
美しい籠を小脇に、美しいヘラを手に、丘に七草を摘む、女性かも?

芭蕉は信夫の里の女に大和の国の初の女性を探し求め、偲んだかも。
江戸(都会)の女はとうに忘れてしまって今はもう身に着けていない、
情緒豊かで、思いやりに満ちて、野草の中に、仕草もなんと美しい、

嗚!あの手が忍草を布に摺りつけたのかと感嘆の思いで眺めたのか、
軒先に生える忍草には源氏物語の夕顔の荒れたる門を思いつつして、
芭蕉の時代の人々が忘れてしまった良き時代を偲んたりしたのかも。

一説に、信夫(しのぶ)摺りは信夫地方で産出してその名がついたと。
芭蕉は忍草に「偲ぶ種」を思い「忘れ草」を思い、していたのかも。
そんな「奥の細道」の冒頭を飾る二つのワクワクするような句です。

>一方は声と時間、もう一方は姿と空間を詠んだ二つの句がみちのく
>という追憶の国の入口になつかしい石柱のように並んで建っている。

石柱の門を潜りぬけると、そこはもう『奥の細道』の世界なのです。
芭蕉は上代や古代、神代の時代まで一足飛びして・旅を続けたかも。