古池や蛙飛こむ水のおと - 俳句は詩の心で遊びたい
(梁塵秘抄)
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。
舞え舞え蝸牛、舞はぬものならば、
馬の子や牛の子に蹴させてん、踏破せてん、
真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん。

(このような意味合いでしょうか)
みんなで ふざけて あそぼうか   だれかに いたずら しようかな
ふざける こどもは ゆかいだろう   いたずらする子は おもしろかろう
うちの子 泣かずに 遊んでるかな  いじめられては つらかろう

舞え 舞え デデ虫 舞わぬ時は  馬ん子 牛ん子  蹴ってやれ 踏んづけてやれ
まこと きれいに 舞うたなら   お花の お里へ 解き放すかも

(山寺の和尚さんの歌…部分)
やまでらの おしょうさんは  毬をつきたし 毬はなし
ねこを 紙ぶくろに 詰めこんで
こんと 蹴りゃぁ  ニャンと なく
ねこが ニャンと なく  ・・・

そして、そして、、どこからか哀しい声が聞こえませんか?
あなたには ホン の遊びの つもりでも 私は とっても 辛いです・・・。

もしも・・・俳句が、こんな悲しい遊びなら、なんて哀しいのでしょう。


(詩心を謳えば)
みんなで お弁当を ひらきましょう。
みんなで お遊戯を やりましょう
なかよく遊ぶ 声がして それで私も うれしくて
おやつを つくって あげましょう

舞え 舞え デデ虫 舞わっておくれ
馬ん子 牛ん子 蹴られぬうちに 踏まれぬうちに
まこと きれいに 舞えるよう  お花の里で あそびましょう

「遊ぶ」って、心が慰められること・心が楽しめることでしょう。
「戯れる」って、楽しさに夢中で遊び・楽しいことを言って笑うのでしょう。
みんな 笑ってる その陰で 泣いてる 人は いませんか。

俳句は、詩の心で遊ぶのが好いと思います。