リリカルlain1話

 どうして、其処にいるの──。どうして、此方に来ないの──。
 其処には何も無いよ──。辛いだけ。苦しいだけ。寂しいだけ。虚しいだけ。
 だから、早く此方に来ようよ──。皆が待ってるんだよ──。最初は怖いかもしれな
 いけれど、そんなの全然大丈夫だよ──。
 此処には──。
 此処には──神様がいるの──。

 アースラ艦橋の艦長席に腰掛け、クロノ・ハラオウンは思案気に頬杖をついていた。
 艦内は今休憩中であり、殆どの艦橋要員は現場を出払い、各々が艦内の箇所で息抜き
 をしている。
 彼は私的な電子書簡の画面を閉じると、長文を読破した疲労や其れに付随する心労に
 嘆息を吐いた。
「また義妹さんから? 本当、仲がいいのね」彼の婚約者は湯気の立つ湯呑みを手に近
 寄る。
「なのはは教導隊の長期実習で多忙らしいしな。反面、此方は軽い偵察続きで暇は暇だ
 し、話し相手位なら御安い御用さ」
「まさか、話し相手以上の事、してないでしょうね?」
 エイミィは茶色い髪の下で、表情に女としての疑念を閃かせる。クロノは意外な指摘
 に間の抜けた声を上げ、彼女の的外れな嫉妬を笑い飛ばした。
「そんなわけ無いだろう。全く。……それにしても、妙だな」
「何がよ」
 クロノはエイミィの言及に返答するように、先程まで眼を通していた義妹からの電子
 書簡を再び開く。二人の眼前に光学画面が展開された。
 エイミィが彼女からの近状報告を黙読していくうち、クロノが抱く疑念に同調するよ
 うな顔色を見せた。
「此れ、本当に?」
「流石に、真面目な彼女がこんな嘘八百を並べないだろう。確かにヴォルケンリッター
 が八神はやてと常に合流していなければならない、という処遇規定は無い。だけど、
 こんなに急な人事異動は不可解だ」
「本局で何かあったのかな。民間企業への保護観察の特例委託……? しかも地球みた
 いな辺境次元世界の?」
 決して他意の無いエイミィの発言に、将来の夫は少々責めるような目色を向けた。即
 座に彼女も幾度かの馴染みを経た世界への冷淡な表現に気付き、気拙そうな愛想笑い
 で場を取り繕う。
「海鳴市所在の橘総合研究所。電機関連の企業で、会社規模は然程大きくはない。寧ろ、
 人員其の他の部分で言えば、中小企業と何ら格差は無い。何処かのダミー企業か? 
 何故、そんな辺鄙な会社が時空管理局と流通出来ている?」
 エイミィが用意してくれた茶を啜りながら、クロノは義妹からの平凡な電子書簡を種
 にして様々な憶測を拡大させる。片手間に橘総合研究所の詳細を調べ、其方の結果一
 覧を書簡の横に表示する。事業内容には何ら如何わしいものは見当たらないが、英利
 政美という社員の事故死を原因にして、会社の風向きが芳しくなくなっている事が彼
 の眼を留めた。
「さぁ……。で、四人の主様は今?」
「遠方の管理世界で発見されたロストロギアの調査に出張中だ。学校が春休み明けだと
 言うのに、本局は彼女じゃなく、他に誰か嘱託魔導師でも回せなかったのか。何て人
 事だ、今度苦情をくれておいてやる」
 一度頭に引っ掛かった疑いに釣られ、彼は認識する物事の一つ一つに不平を漏らして
 いく。そんな艦長を、第一の理解者は包容力のある笑みで見守っていた。
「でも、あの四人が一般社会の厳しさってのを知るいい機会になるんじゃないかな? 
 ザフィーラ以外はOL勤務かな?」
 暢気に解釈するエイミィへ、湯飲みを傍の操作盤に置いたクロノは呆れた微笑をした。
「さぁな。簡単に言ってくれるよ」
 しかし、その朗らかな顔付きは瞬時に厳然としたものへと移行する。それは積み重ね
 られた経験からの予感の胎動に触発された、魔導師としての鋭敏な勘によるものだった。
「なのはと八神はやてを欠いた海鳴市……。若しかしたら、地球で再び何かが起ころう
 としているのかもしれないな」
「……」
 クロノの豹変した声色に感化され、エイミィも俄かに頬を強張らせる。アースラ艦内
 は依然として長閑な空気に包まれていた。

 夜を知らない繁華街は、蠢く人の群れに蹂躙されていた。仕事帰りの会社員の酔った
 叫び声、奔放な若者の闊歩する裏路地、大通りには列を成す自動車の走行音や警笛音
 が引っ切り無しに行き交う。
 そんな電飾の世界に、人の眼に紛れて活動する四つの影があった。
「ヴィータ、シャマル、ザフィーラ、其方は如何だ?」
 シグナムは平素を忍ぶ背広姿の儘、切れのある美貌に僅かな焦燥を浮かべていた。往
 来に群がる人々の間を器用に潜り抜け、魔導師としての超感覚で目標の所在を捜索する。
「ダメだ、この結界みたいなモンを消さない限り手が打てねぇよ」
 ヴィータの弱気な返事にシャマルの戸惑いが続く。前者はビルの上で広域を見回し、
 後者はシグナムとは別方角で地道に行動している。
「魔法じゃないんですよ。いえ、魔法なんですけど、魔力が全く感じられないんです。
 魔力じゃない魔法……こんな事、絶対に有り得ないんです。有り得るわけがないんです。でも……」
「確かにな。一体何なのだ此れは? 魔法で現実を改変しているのか? いやしかし、
 それだけ強力な魔法ならば一切魔力が感知できないなど!」
「狼狽するな。現実を直視しろ」
 盾の騎士が同士の困惑を諌める。しかし、その語気には判然と彼女達同様の胸中が滲んでいた。
 シグナムが付近で何かが激突する物音を聴き、強烈な不安に駆られて現場に急行する。
 残る三人も同じ騒ぎを間も無く察し、澱んだ空気に動揺が漂い始めた繁華街の路地へと騎士が合流する。
「何だ?」「おい、飛び降り自殺だぜ」「か、関係ねぇ! 俺は関係ねぇよ!」
 まさに事件の瞬間を目撃した通行人連中が、それぞれの反応で場を騒がせ始めた。
 崩れた電光看板の灯火に、悲惨な朱色の液体が混ざっていく。
 雑居ビルの屋上から落下し、直下の看板に身を打ちつけて物言わぬようになった小柄
 な姿は、私立聖祥大附属中学校の制服を着ていた。
 騒然となる女子中学生の自殺現場の一歩後ろで、四人の騎士は異様に冷静な面持ちで
 佇んでいた。沈黙に耐え切れず、ヴィータがシグナムを見上げる。
「間違い無い。あの娘は四方田千砂……。任務は失敗だ。撤収し、報告を済ませよう」
 四つの騎士の影は、そうして明るい夜の街から消え去っていった。暫くし、パトカーの
 警報音がこの路地に近付いてきた。
/  
 フェイト・T・ハラオウンの目覚めは、何時もより沈んだものだった。高町なのはに
 続き、八神はやてという大親友の日常の不在が決定してから今日迄、彼女は何処とな
 く憂鬱な毎日を送っていた。
 別に、あの二人だけが自分の人間関係の全てじゃない……そう内心に言い聞かせ、着
 替えを済ませたフェイトは、居間に顔を出す。義母は既に朝の家事をしており、和や
 かに娘へ挨拶を寄越す。
 女二人のハラオウン家の朝食も、心成しか沈黙が増えていた。
 義母もこの娘の最近の退屈を察してはいたが、言い条何の得策も与えられずにいた。
 嘱託魔導師としての仕事も少し間が空き、本業である学生を満喫出来るものの、其処
 を存分に実感するには大切な要素が二つ欠落していた。
「また夜遅くまでクロノとメールしていたの?」
 弁当を渡しながら、リンディは娘の浮かない顔を覗き込む。
「うん……なのはは忙しくて中々連絡取れないし、はやても邪魔すると悪いから。昨日
 はお義兄ちゃんの他にも、すずかとアリサにも」
 先日の遣り取りの中で、フェイトは義兄にもヴォルケンリッターがこの街に帰ってき
 た事を報知していた。しかし、四人は保護観察委託先の業務に手一杯らしく、あまり
 フェイトとの付き合いは取れていない。
「あんまり自分の都合で、相手に迷惑をかけたら駄目よ」
 やんわりとだけ忠告し、リンディは娘の登校を玄関迄見送った。フェイトは靴を履く
 とリンディについてきたアルフの頭を撫で、通路の向こうへと消えていった。アルフは、
 自分の頭に触れるフェイトの掌が、少しだけ寂しげに思えた。
 味気の無い学校生活が、淡々と流れては終わった。朝の学級活動で、担任の教師が何
 やら同学年の生徒が先日自殺した、その生徒の名を借りた悪戯が横行している、と注
 意を呼びかけていたが、フェイトは上の空で聞き流していた。
 すずかとアリサから放課後の遊戯に誘われたフェイトだったが、何かと理由をつけて
 辞退した。彼女達二人も、なのはとはやてのいない日々に思い沈んでいるフェイトを
 慮ってはいるのだが、強いて彼女の心の煩いに踏み込めない空気があった。
 茫漠とした気分の儘で、フェイトは帰宅した。義母は家を空けていた。留守を任され
 ていたアルフへは一応の愛想を見せ、吸い寄せられるような足取りで個室へと向かう。
 重々しい溜め息を吐いた傍で、彼女の携帯電話が着信音を奏でた。咄嗟に喜色を浮か
 べたフェイトは、鞄に仕舞ってあった携帯電話を取り出して嬉々と本体を開く。
 少女の顔に落胆と怪訝の色がよぎる。送信主は見知らぬアドレスだった。不気味な気
 持ちになったフェイトだったが、少しの間を置いて意を決して本文を開いた。

 こんにちわハラオウンさん。
 私、四方田千砂。
 ハラオウンさんも、私の事、名前だけは知ってるよね──。

 フェイトは送られてきた電子書簡の本文を読んだ瞬間、朝の教師の連絡を一気に思い出した。
 携帯電話を手にした状態で硬直し、凝然と息を呑む。窓の向こうから聞こえてくる自動
 車の排気音が、やけに遠くからのように感じられた。

<続>

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2007年07月09日(月) 19:05:15 Modified by beast0916




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