最終更新:ID:BrZsUbGUBA 2023年11月05日(日) 17:55:17履歴
草野心平の詩から | クサノシンペイノシカラ | 指示 | 速度 | 調性 | 拍子 | 備考 | |
1 | 石家荘にて | セッカソウニテ | やや早く、荒漠とした感じで | 4分音符=約104 | ハ短調 | 4/4 | |
中庸の速さで、悲哀に満ちて | 4分音符=約84 | ||||||
おそく、呟くように | 4分音符=約66 | ||||||
2 | 天 | テン | 早く、強く | 4分音符=約138 | 変イ長調 | 4/4 | |
3 | 金魚 | キンギョ | やや遅く、優美に | 4分音符=約76 | ト長調 | 4/4 | |
中庸の速さで | 4分音符=約92 | ||||||
4 | 雨 | アメ | 早く、明るく | 4分音符=約168 | ニ短調 | 4/4 | Tenor Solo |
4分音符=約138 | |||||||
5 | さくら散る | サクラチル | 早く | 4分音符=約144 | ハ短調 | 2/4 |
初演団体:慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団
初演指揮者:畑中良輔
初演年月日:1961年12月16日
慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団第86回定期演奏会(於東京厚生年金会館大ホール)
初演指揮者:畑中良輔
初演年月日:1961年12月16日
慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団第86回定期演奏会(於東京厚生年金会館大ホール)
委嘱前年の1960年、畑中良輔を常任指揮においたワグネルの「ジプシーの歌」などの演奏を聴いた多田は、翌年の委嘱作にそのハーモニーを生かすべく、草野心平の詩から東洋的絵画的な五編へ詩を抽出した。
絵画家モネが好きだった多田はまず『金魚』の詩に辿り着く。「あをみどろの水槽の中に、大きい琉金がゆったりと泳いでいる。それは遊学していた折に体験した、中国の遠い地平の炎のように見える。」として綴られ、「目前の水槽と大琉金、追憶の大平原と火災の炎」のコントラストの凄まじさと美しさを表現している。
さらにその小宇宙と対比させるための大宇宙として、『天』に付曲。この頃には男声合唱組曲「天」として纏める予定だったが構想が固まりきらなかったという。後に合唱名曲シリーズNo.20(H3)にM3として収録された。
そこから1957年の合唱コンクール課題曲に混声合唱で作曲し応募したが落選した『石家荘にて』を男声化。師の清水脩による落選理由としては、「課題曲としては不適当だったから」。
ここまで凄まじい緊張感を与える詩ばかりを選んでしまったと岩手の湯治場での詩『雨』を選ぶ。
そして最後に終曲に相応しい詩を探し、『さくら散る』に至る。多田は日本古謡「さくらさくら」に見られるような桜の花の満開、“花ざかり”ではなく、幼い頃から桜の花のもう一つのいのちであり真髄と考えてきた、“落花の舞”を表現しようと試みた。その根底には、1948年の春に多田が見た洛北・小倉山二尊院門前の桜並木の落花と、1961年春に当時在住していた板橋付近の養老院の前庭の水銀灯に照らし出された桜がある。
初演は指揮者・評論家の福永陽一郎が後々まで語り継ぐ名演奏であったという。『雨』は指揮者・北村協一が最期に振った曲である。
1974年に同志社グリーが第4回世界大学合唱祭で演奏した時にパンフレットに載った曲目の英訳は「From poems of Shimpei Kusano, 1.At Sekkaso, 2.Heaven, 3.Goldfish, 4.Rain, 5.Falling Cherry Blossoms」となっている。
絵画家モネが好きだった多田はまず『金魚』の詩に辿り着く。「あをみどろの水槽の中に、大きい琉金がゆったりと泳いでいる。それは遊学していた折に体験した、中国の遠い地平の炎のように見える。」として綴られ、「目前の水槽と大琉金、追憶の大平原と火災の炎」のコントラストの凄まじさと美しさを表現している。
さらにその小宇宙と対比させるための大宇宙として、『天』に付曲。この頃には男声合唱組曲「天」として纏める予定だったが構想が固まりきらなかったという。後に合唱名曲シリーズNo.20(H3)にM3として収録された。
そこから1957年の合唱コンクール課題曲に混声合唱で作曲し応募したが落選した『石家荘にて』を男声化。師の清水脩による落選理由としては、「課題曲としては不適当だったから」。
ここまで凄まじい緊張感を与える詩ばかりを選んでしまったと岩手の湯治場での詩『雨』を選ぶ。
そして最後に終曲に相応しい詩を探し、『さくら散る』に至る。多田は日本古謡「さくらさくら」に見られるような桜の花の満開、“花ざかり”ではなく、幼い頃から桜の花のもう一つのいのちであり真髄と考えてきた、“落花の舞”を表現しようと試みた。その根底には、1948年の春に多田が見た洛北・小倉山二尊院門前の桜並木の落花と、1961年春に当時在住していた板橋付近の養老院の前庭の水銀灯に照らし出された桜がある。
初演は指揮者・評論家の福永陽一郎が後々まで語り継ぐ名演奏であったという。『雨』は指揮者・北村協一が最期に振った曲である。
1974年に同志社グリーが第4回世界大学合唱祭で演奏した時にパンフレットに載った曲目の英訳は「From poems of Shimpei Kusano, 1.At Sekkaso, 2.Heaven, 3.Goldfish, 4.Rain, 5.Falling Cherry Blossoms」となっている。
「草野心平の詩から」は曲の変更こそないものの大幅な改訂が行われている組曲である。合唱団で歌う際は何年版かの確認が必要。
1992年ごろの改訂(出版譜に反映されたのは1994年の第8刷より)では、「天」の歌詩が3箇所(「微塵(びじん→みじん)」「大日輪めがけて」→「大日輪をめがけて」「鳥も樹木(きぎ→じゅもく)も」)と、「さくら散る」の歌詞が2箇所(冒頭5連符「まいおちる」の一部が詩に寄り添う形で3連符「おちる」に、途中の「ちる ちるちる」→「はなが ちるちる」)変更されている。
この改訂に至った経緯は、深沢眞二の著書「なまずの孫 1ぴきめ」の「I メンネル学園入試問題傾向と対策―『草野心平の詩から』を歌うために―」に詳しい。
それでもなお後述のように、原詩と歌詞に違いが残っている。
のちの改訂で「雨」の合唱のタイミングなども変更された。
1992年ごろの改訂(出版譜に反映されたのは1994年の第8刷より)では、「天」の歌詩が3箇所(「微塵(びじん→みじん)」「大日輪めがけて」→「大日輪をめがけて」「鳥も樹木(きぎ→じゅもく)も」)と、「さくら散る」の歌詞が2箇所(冒頭5連符「まいおちる」の一部が詩に寄り添う形で3連符「おちる」に、途中の「ちる ちるちる」→「はなが ちるちる」)変更されている。
この改訂に至った経緯は、深沢眞二の著書「なまずの孫 1ぴきめ」の「I メンネル学園入試問題傾向と対策―『草野心平の詩から』を歌うために―」に詳しい。
それでもなお後述のように、原詩と歌詞に違いが残っている。
のちの改訂で「雨」の合唱のタイミングなども変更された。
『雨』……「志戸平温泉」の「志戸平」を草野は「しとだいら」と読ませているが、歌詞では「しどたいら」。Wikipediaでは「しどだいら」としている。なお、現地にあるホテル志戸平公式サイトのドメイン名は「shidotaira.co.jp」で、歌詞と同じ読み方である。
『さくら散る』……「夢をおこし。/夢をちらし。」を曲では「夢をちらし/夢をおこし」という順に処理。巻末歌詞でもそのようになっている。改訂前は冒頭部も詩と違っていたが「詩の音楽に寄り添うように書く」原則を「さくら散る」に限って逆らうということで詩人の了解を得た。
『さくら散る』……「夢をおこし。/夢をちらし。」を曲では「夢をちらし/夢をおこし」という順に処理。巻末歌詞でもそのようになっている。改訂前は冒頭部も詩と違っていたが「詩の音楽に寄り添うように書く」原則を「さくら散る」に限って逆らうということで詩人の了解を得た。
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