最終更新: chorus_mania 2024年05月02日(木) 01:49:37履歴
もともとこれら5つの詩は、全日本合唱連盟が「第2回(1972年度)創作合唱曲公募」を主催するにあたって、中村に委嘱したものである。歌詞は彼女の著書『わたしの風紋』に収録されている。詩人は同書にこう書いている。
同団の委嘱を機に、多田は詩人の許可を得て再作曲。翌年、音楽之友社から出版された。
『汚してくれるな』は、環境問題を前面に打ち出した、とりわけメッセージ性の強い詩である。多田は従来、このような、聴き手に直截に訴えるような詩には、音楽上の興味を示していなかった(うたごえ運動に彼は参加していない)。
この詩は、『文藝春秋』誌の表紙にあった、杉山寧氏の画面いっぱいに飛翔するトビウオを見た時にテーマが定まった。多田武彦もこれらの詩に興味を示し、男声合唱曲として着手したが「もう一つ充分に描き切れなかった」(京大合唱団第50回記念定期演奏会パンフ)という。入選作品は、平野淳一の混声合唱曲であり、後に彼によって男声合唱に編曲された。
同団の委嘱を機に、多田は詩人の許可を得て再作曲。翌年、音楽之友社から出版された。
『汚してくれるな』は、環境問題を前面に打ち出した、とりわけメッセージ性の強い詩である。多田は従来、このような、聴き手に直截に訴えるような詩には、音楽上の興味を示していなかった(うたごえ運動に彼は参加していない)。
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初演時の学生指揮者です。
50回定期演奏会に向け委嘱のために上京し、富士銀行(現みずほ銀行)目黒支店の多田武彦支店長にお会いしました。
ちなみに翌年富士銀行に入行しました。多田武彦支店長から入行確認の電話いただきました。
貴重なご証言、ありがとうございます!
私はこの曲の初演に京大合唱団員として参加しました。そのときの初演楽譜の裏表紙に、
「昭和54年3月8日作曲した」
と書いてあります。作曲年月日としては確かだと思います。