作曲家・多田武彦〔通称・タダタケ〕のデータベース。

男声合唱組曲「冬の日の記憶」(作詩:中原中也)

冬の日の記憶フユノヒノキオク指示速度調性拍子備考
1冬の明け方フユノアケガタ中庸の速度で、淡い愁いを以て4分音符=約80ト長調4/4
2冬の日の記憶フユノヒノキオク極めて速く、非情に4分音符=約200ト短調2/4
3冬の長門峡フユノチョウモンキョウ中庸の速度で、おおらかに4分音符=約72ロ短調2/4
4更くる夜フクルヨルややおそく、しんみりと4分音符=約66ト長調4/4Ten. Solo
5南無 ダダナム ダダ早く、やや激しく4分音符=約132ニ短調5/4(2/4+3/4)

作品データ

作品番号:T37:M32n
作曲年月日:1977年3月13日
東京オルフェオンによる委嘱

初演データ

初演団体:東京オルフェオン
初演指揮者:栗山文昭
初演年月日:1977年7月9日
東京オルフェオン第5回定期演奏会(於日本都市センターホール)

楽譜・音源データ

作品について

組曲中、『冬の日の記憶』『冬の長門峡』は高校時代に作曲した独唱曲をもとにしている。
『更くる夜』の詩は、友人の内海誓一郎(化学者・作曲家・文学家)に捧げられている。
『南無 ダダ』は無題の詩で、冒頭行から題を取っている。「ダダ」はダダイズムの意。
詩との相違
『南無 ダダ』の冒頭部分において、「足駄なく、傘なし…」となっているが、原典においては「足駄なく、傘なく…」となっている。また「部屋にゐるべきこと」は、原典は「部屋にはゐるべきこと」である。2010年ごろの増版で修正された。
詩の出典
「更くる夜」……『山羊の歌』(文圃堂、1934年)
「南無 ダダ」……未刊詩篇
上記以外……『在りし日の歌』(創元社、1938年)

「冬の明け方」……『歴程』1936年4月号
「冬の日の記憶」……『文学界』1936年2月号
「冬の長門峡」……『文学界』1937年4月号
「更くる夜」……『白痴群』第六号(1930年4月)
「南無 ダダ」……未発表(?)

歌詩

冬の明け方
殘んの雪が瓦に少なく固く
枯木の小枝が鹿のやうに睡い、
冬の朝の六時
私の頭も睡い。

烏が啼いて通る――
庭の地面も鹿のやうに睡い。
――林が逃げた農家が逃げた、
空は悲しい衰弱。
     私の心は悲しい……

やがて薄日が射し
青空が開く。
上の上の空でジュピター神の砲が鳴る。
――四方の山が沈み、

農家の庭が欠伸をし、
道は空へと挨拶する。
     私の心は悲しい……
冬の日の記憶
晝、寒い風の中で雀を手にとつて愛してゐた子供が、
夜になつて、急に死んだ。

次の朝は霜が降つた。
その子の兄が電報打ちに行つた。

夜になつても、母親は泣いた。
父親は、遠洋航海してゐた。

雀はどうなつたか、誰も知らなかつた。
北風は往還を白くしてゐた。

つるべの音が偶々した時、
父親からの、返電が來た。

毎日々々霜が降つた。
遠洋航海からはまだ歸れまい。

その後母親がどうしてゐるか……
電報打つた兄は、今日學校で叱られた。
冬の長門峡
長門峽に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。

あゝ! ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。
更くる夜 内海誓一郎に
毎晩々々、夜が更けると、近所の湯屋の
  水汲む音がきこえます。
流された殘り湯が湯氣となつて立ち、
  昔ながらの眞つ黒い武藏野の夜です。
おつとり霧も立罩めて
  その上に月が明るみます、
と、犬の遠吠がします。

その頃です、僕が圍爐裏の前で、
  あえかな夢をみますのは。
隨分……今では損はれてはゐるものの
  今でもやさしい心があつて、
こんな晩ではそれが徐かに呟きだすのを、
  感謝にみちて聽きいるのです、
感謝にみちて聽きいるのです。
(南無 ダダ)
南無 ダダ
足駄なく、傘なく
  青春は、降りこめられて、

 水溜り、泡は
   のがれ、のがれゆく、

人よ、人生は、騒然たる沛雨に似てゐる
  線香を、焚いて
       部屋にはゐるべきこと。

色町の女は愛嬌、
 この雨の、中でも挨拶をしてゐる
青い傘

  植木鉢も流れ、
    水盤も浮み、
 池の鯉はみな、逃げてゆく

永遠に、雨の中、町外れ、出前持ちは猪突し、
     私は、足駄なく傘なく、
    茲、部屋の中に香を焚いて、
チウインガムも噛みたくはない。

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