作品データ
作品番号:T50:M42n
作曲年月日:1982年1月1日
委嘱団体:関西大学グリークラブ
初演データ
初演団体:関西大学グリークラブ
初演指揮者:林伸二郎
初演年月日:1982年11月3日
第9回関西六大学合唱連盟演奏会(於フェスティバルホール)
作品について
作曲当時の多田は凝った技法を積極的に用いていた時期であり、この組曲でもその傾向が強い。
『祭』では笛・太鼓などの擬音をバックにパートソロが歌い継いでゆき、全パートが縦に揃うホモフォニックな部分は「おお、坊やよ」とオクターブユニゾンで歌う2ヶ所しかない。
『終日風あり』は、風の音を模したヴォーカリーズ「Woo」(内声パートは終始六全音階で動く)に、Top TenorとBassがパートソロでからむ曲で、ホモフォニックな箇所がまったくない。
『鯱の来る頃』では半音進行が多用されている。
『渡り鳥』は、Top TenorとSecond Tenorが主旋律を模倣しあうフーガ的な形式で始まり、中間部では従来の多田武彦らしいスタイルで書かれているものの、コーダではTop Tenor・Second TenorとBaritone・Bassによる5度のカノンからストレッタを経て組曲が締めくくられる。
『祭』原詩の副題には“民謡体”と添えられている。
『時雨』で当初「ちりぢりに」と歌われていた箇所は、メロス楽譜から譜面が出版されたとき原詩と同じ「ちりぢりと」に改訂された。
露
墨を磨り、
墨を磨り、
閑かに心を澄しながら、わたしは、
竹の根方の水引草をながめてゐる、
あの紅い点々の花、
その点々の一つに
露が一つ、
光つて、揺れる、
いい朝。
山寺の初秋
かやの実のさ青さ、
この茂みの木ぶかさ、
さても、ここから透かし見る
御燈明のすずしさ。
雨とふる残暑の
つくつくほうしよ、
日ざしは墓石の角から
すでに芙蓉の苔へ移つた。
ひそやかな、それでも
深い悲しみとて無い秋、
山のお寺は農家めいても
さすがに湿つたいい薫りだ。
あ、女の児が出て来た、
お化粧をして、澄まして。
また葬ひでも待つのか、
おしろひ花でも摘むのか。
祭
遠い、何処かで祭ぢやさうな。
おお、坊やよ、
どこか、月夜の囃子ぢやさうな、よ、
わかいむすめの、ヤレ、宵祭。
遠い、何処かで祭ぢやさうな。
おお、坊やよ、
いまにおまへの祭も来ましよ、よ。
せめてそれでも、ヤレ、待ちましよか。
遠い、何処かで祭ぢやさうな。
おお、坊やよ、
わたしやお父さん、昨日の祭、よ。
遠いお笛の、ヤレ、影祭。
終日風あり
枯れがれの吹かれどほしの薏苡が
耀きながらに音を立つるよ。
わたしも見ながらひとり通るよ、
枯れがれの吹かれどほしの薏苡が、
耀きながらに音を立つるよ。
鯱の来る頃
寒うなります、
日も白く、小さく、
しだいに遠くへ離れます、
すると、いつかしら雪雲が出て、
西から巽へかぶさります。
ああ、せめては水平線にだけでも、
青い、すこしの空でも
残してくれれば有り難いが、
あちらも何だか時化てるやうです、藍鼠に。
──お爺さん、舟を出しますか。
──おおい、出すには出さうがの、
魚はみんな沈んで了つた、
何にしても、今夜あたりは、
金うろこの鯱でも来さうな沖だよ。
漁火をぼうつと燃すんだな。
時雨
時雨は水墨のかをりがする。
燻んだ浮世絵の裏、
金梨地の漆器の気品もする。
わたしの感傷は時雨に追はれてゆく
遠い晩景の渡り鳥であるか、
つねに朝から透明な青空をのぞみながら、
どこへ落ちてもあまりに寒い雲の明りである。
時にはちりぢりと乱れつつも、
いつのまにやら時雨の薄墨ににじんで了ふ。
蘆雁
州のはなの吹きさらしに影して、
かれらは四五羽の蘆雁であつた。
かれらは漁つてゐた、たまさかの陽の明りを、
つくづく眺めてゐた、遥かな雲ぎれの青みを、
時雨がうしろにほそく残つてゐた、
かれらはそれにも心をひかれてゐた。
かれらは四五羽の蘆雁であつた、
大きな、けれども白い月の出を待つ
寒い四五羽の蘆雁であつた、
満汐どきの、時をり啼きかはす蘆雁であつた。
渡り鳥
あの影は渡り鳥、
あの耀きは雪、
遠ければ遠いほど空は青うて、
高ければ高いほど脈立つ山よ、
ああ、乗鞍嶽、
あの影は渡り鳥。