銅金裕司の作品、活動、プロジェクト、考えていることについて(Garden of Cyrus、サイラスの庭、アート、芸術、庭、ガーデン、植物、花、虫、鳥、緑、グリーン、バイオ、バイオアート、bio art、バイオロジー、環境、環境問題、二酸化炭素、co2、オフセット、生態、生態系、エコ、エコロジー、環境芸術、ecology,植物の音楽、植物の声、植物の音、花の声、花の音楽、花の音、音楽、声、リズム、plant、music、voice、植物生体電位,植物とのコミュニケーション,世界、世界の声、ルグィン、世界劇場、存在の大いなる連鎖、イエーツ、ワールブルグ、マニエリスム、魔術、伊藤若冲、石峰寺、動植綵絵、海洋学、海洋、機械、ネットワーク、コンピューター、植物、花、トロン、マック、マッキントッシュ、SE、SE30、脳波、ロボット、ロボットとは何か、電位、FFT、スペクトル、midi、プラントロン、plantron、心、感情、精神、知恵、マインド、認知心理、アフォーダンス、カオス、複雑系、非線形、振動、振動子、内部観測、オートポイエーシス、植物の心、植物の精神、植物の知恵、記憶、徴候、庭、ガーデン、シアター、園芸、園芸文化、花文化、花、箱庭、ラン、orchid、ランの進化、ランの戦略、リゾーム、プルースト、バタイユ、文学、マラルメ、リラダン、ポー、ボルヘス、ナボコフ、アーダ、ユリイカ、メルヴィル、稲垣足穂、中井英夫、椿実、澁澤龍彦、yuji dogane(銅金裕司/メディアアーティスト))

concept vibration




インターフェイスの音楽  西村智弘(美術評論家)

わたしが銅金裕司氏の「受胎振動」をはじめて見たのは「art space kimura ASK?」においてだった。暗い部屋のなかに水の入った大きな水槽が置いてあり、その向こう側の壁に水の動きが映されている。それは、ゆるやかにうねり、蛇行し、渦を巻き、たえまなくその複雑な形態を変化させていた。
 「受胎振動」は、「塩水振動子」と呼ばれる現象を作品にしたものだった。水槽に満たされていたのは淡水で、そこに塩水の入った円筒が入っている。円筒の仕切りには小さな穴があいているのだが、塩水は淡水よりも重いので、塩水が淡水のなかに流れ落ちていく。その一方で、淡水は塩水に向かって上昇していく。ここに、重さの異なる塩水と淡水がバランスをとろうとして混じり合う振動現象が生まれる。
 しかし、淡水と塩水はいずれも透明な水である。両者が混じり合う様子は、肉眼でほとんど見ることができない。銅金氏は、塩水と淡水の密度のちがいを利用し、そこに光を当てることによって、両者がつくりだす不思議な振動を視覚化した。壁に投影されていたのはこの振動現象であった。
 銅金氏の見せ方は実にシンプルである。会場には必要最小限の装置しか置かれていないし、装飾的な要素も限りなく排除されている。淡水と塩水が演じる振動現象に注目した銅金氏は、そこで繰り広げられる運動を純粋に抽象しようとしている。このストイックともいえる制作態度によって、鑑賞者であるわたしたちは振動現象そのものと向き合うことになる。
 淡水と塩水が織りなす水の流れは、予測のつかない複雑な曲線を描き続けている。曲線の運動はまったく不安定であって、一瞬たりとも同一でありえない。流体のなかにはさまざまな力がせめぎあっていて、それぞれが自然に成長するのに任されている。振動現象は、混沌のなかに柔軟な構造を自己生成するプロセスとしてある。
 たえまなく生成し続ける形態の運動は、神秘的ともいえる独特なリズムをつくりだしている。そのたゆたうようなゆるやかなリズムには、どこか心を落ち着かせるような瞑想的な雰囲気があって、わたしたちの意識をより内面的な方向へと向かわせる。振動現象を長いあいだ見ていても飽きないのはそのためだろう。
 ここでわたしは、クラーゲスが『リズムの本質』という小著のなかで、リズムを生命現象として捉えていたことを思い出す。クラーゲスによるとリズムとは、決して同一的なものを繰り返す規則的、機械的な現象ではなく、たえず異なったものへと回帰する運動であって、反復はつねに更新されていく。リズムは変化し、成長し、新たに生まれるものである。それは、生命的な脈動に通じるものがある。事象や形態をリズム化するのは生命そのものであり、リズムとは生命の脈動のなかで振動することを意味する。淡水と塩水の振動がつくりだすリズムもまた、このようなものだといってよい。
 淡水と塩水の振動現象は、両者のインターフェイス(境界面)で起こる。インターフェイスとは、内部と外部の境目に位置する中間領域だが、両者を混ぜ合わせて区分を曖昧にしてしまうがゆえに、それぞれを分け隔てていた秩序の崩壊という意味をもつ。しかしまた、秩序の崩壊のあとには、つねに新たなシステムの創造が予感されている。
 インターフェイスとは、秩序が解体して無秩序に陥った混沌の状態であり、また秩序が発生する以前の未分化の状態でもある。しかし、この混沌とした未分化な状態にこそ生命的なものが生まれる契機がある。淡水と塩水のインターフェイスで繰り広げられる流体の運動は、生命的なものへと向かう進化を先取りしている。
 不規則にねじれていく流体の運動は、人間が意識的につくりあげた構築的な世界の対極にあるといってよい。それは、秩序を飲みこみ、固定的な意味づけから徹底して逃れようとする。そして、わたしたちを混沌とした未分化な世界へと誘いこみ、秩序が形成される以前、思考以前の世界へと連れ戻す。しかし、このときわたしたちは、崩壊と創造の往還するインターフェイスの音楽を体験しているのであり、生命的なもののリズムと一体化しているといえるだろう。

designtope で取り上げてくださり(in english)

淡塩水振動現象

水槽には淡水が入っています。そこに仕切りのついた透明の円筒を入れます。
円筒の上部には塩水、下部には淡水があり、下部は水槽の淡水と連動しています。
はじめに、塩水は重いので円筒の仕切りの小さな穴から下の淡水のところに落ちてきます。しばらくすると、こんどは淡水が上にあがってきます。こうして、塩水と淡水が上がったり下がったり振動します。これを塩水振動子といい、カオスや複雑系あるいは生命を数学的に研究する場合には有名な現象です。この振動は数日続きます。しかし、その様子をそのまま見ても、陽炎や蜃気楼のようでほぼ見えません。そこで、塩水と淡水の密度差による屈折率の違いを利用して影絵にしてみました。すると、驚いたことに、なかなかにおもしろい形や動きが視覚化でき、とても綺麗でなのです。
生命の振動
この振動の様子は生命のリズムを感じさせます。次々と流れ込む形は、傘のようでも、
キノコのようでも、小さな生命のようでも、あるいは精虫(精子)のようです。その様子は、多様にゆっくりと変幻自在です。そこで、原初生命の誕生の意味を込めて作品名を「受胎振動」としました。淡水、塩水という性が交わるとき、そこで生命の端緒がつけられたのかも知れません。
海洋と汽水域
塩水振動子は海洋学者マーチンによって発見されました。重い海水が軽い海水の上に覆い重なる逆転層というものが実際にあります。私も昔、そのような研究していまして、いつか展示にしようと思っていました。

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