yuji dogane / 銅金裕司 / media art / メディアアート/環境/CO2 - 金魚プロジェクト


金魚伝来500年。と聞いても、それがどうした?金魚なんか水族館にも用はなし。熱帯魚屋でも主力にならず。まあ、アロワナの餌か、金魚すくいか、別に滅びたってだれもなんとも思わない?!まてまて、そうか???これを聞いて、深く何かしら、感じる人に捧げます。

まずは、これ 金魚伝来五百年 金魚プロジェクト2000
http://www.art-yuran.jp/2000/06/2000__1.html

こんなんもあります、見て下さい!
http://ch-k.kyodo.co.jp/arc/arc_myaku21.html


金魚大問題

水族館に金魚がいなくなった!と言ってもだれも別になんとも思わない。そんなもんいなくてもサンゴとかクラゲの方がきれいだもん。金魚なんか興ざめじゃん。信じられないことにそういう風潮である。しかし、いま、ちょっと違ってきている。時代は「金魚」だ。つまり昨今のガーデニングの繁栄をみるとこれに続くのは熱帯魚ではなく金魚だと思う。歴史的根拠もある。江戸時代には園芸に続いて金魚文化が花開いた。金魚は多くの職業浮世絵師に描かれ、ビードロ(金魚玉)で愛された。東洋では盆栽〜盆景(箱庭)〜盆養(金魚)で風水にも繋がって行った。このように金魚には長い日本や東洋文化の後ろ盾がある。ぼくたちと金魚の付き合いはもう500年近くにもなる。もともとは「フナ」で、時間をかけて人が交雑していろんな品種を作出し大切に育ててきた。生きた造形美。ここが大切。しかし、その室町時代からの歴史とかはほとんど顧みられることはない。金魚なんか金魚すくいと熱帯魚や爬虫類のエサつまり「エサキン」のイメージだ。だったら、そんな金魚にだれがしたの? 原因は大量生産、大量消費型の「もの」になって特別な感じがなくなってしまったからだろう。諸悪の根元は生命を「もの」のようにどんどん量産し、単価は加速的に下落してクズ鉄になってしまった。さて、多くの品種が中国産だがトサキン、ナンキン、ジキンという3種はとくに日本のオリジナルである。江戸時代に発達した。ここで重要なのは「上から見る」という眼差しが金魚の美的展開に関わること。熱帯魚は上から見ても美しくもなんともないね。金魚は池で上から見る流儀から明治以降のガラス水槽で横から見るという視覚革命で滅ぼされた、とも言えるかもしれない。金魚はどっちから見ても綺麗だけど。で、上から見てすごい日本の金魚。トサキンは名前の通り土佐のものでポケモンのトサキントのモチーフにもなった。先見の明を感じる。ナンキンは出雲の国で作られ、神々のたそがれ。荘厳。ジキンは愛知。尾がエックスになってすこぶる優美。すごいことはナンキン、ジキンは、体の色目を変えるのに刺青をすること。そんな職人さんってまだいるんだろうか?これら世界に誇る日本の生きた美もこのままだと絶滅するかもしれないという現実的な危機がある。トキやニホンカモシカの天然の生き物ばかりではない。人が作った生命と昔の人が託した思いが消えてなくなろうとしている。だから、本当は国をあげて、たとえば東京国立博物館あたりで取り上げるべきなのに、昨年の「金と銀」展でも金魚の片鱗さえなかった。こういう事情で現代美術作家やデザイナーたちは時代への危機を感じ、金魚にインスパイヤーされているのかも知れない。金魚を取り上げている作家たちにもある種の共通の問題意識を感じられないだろうか。どの金魚も昔からそうであったようにこれからも大切にしていきたいと思う。金魚はいつの時代にもぼくたちに生きた感覚を取り戻し、世界を清浄してくれる存在なのかもしれない。(カーサ・ブルータス2000年春号より転載)




金魚とは何か?


春の陽光うららかな日。庭に吊るされた駕籠の中のカナリアは天に向かって歌をさえずり、そのオレンジの体躯はすがすがしく、ただ、ときおりの無粋ないらただしい羽のばたつきは周囲の静寂を無残に切り裂く。自分で抜いたたくさんの羽を天まで舞い上がらせようと嘴で投げるが、まだ毛根の乾かぬ優美な羽は重力には抗えず、そのたびに地面にひらひら落ちてくる。カナリヤが巻き舌で歌い、ローラースケートにのって滑空しようが、せっせと背中に体をこすり付けて交尾に励もうが、網ガゴの鋼を曲げるほどに不穏に揺るがそうが、その声は天に届くほど美しいとはいえ、その所作、振る舞いはいかにも下品な畜生然とした野生を思わせるものである。日射はきついものの気温の上昇はさほどではなく、風を切る手もすっきりと涼やかである。
 そして、金魚のいる水槽の表面には細やかな光のさざなみが反復している。水槽にそっと手を浸してみれば、その日射によって漫然とぬるやかではある。しかし、少し指を沈めて、水に指先を絡めるとねっとりと瀰漫した暖かみがほころび、一振りすれば、底から吹き上がってくる冷たい泉を予感する。太陽の光が送り届けることができる明るさと暖かみは、かくも表面にうっすらとしか影響を及ぼすことしかできない。その水底の向こうには冷たく黒い塊のような世界があり、それはずっと遠くのことのように感じるものだ。緑がだんだん濃くなって暗黒がとぐろを捲く世界にはもっと冷たい水が大きな流れをなして、大蛇のように曲がりくねっているのだろう。黒い緑の冷たい水の流れは、いま、ここに溢れる現実を突き上げ、その破れを押し開いてゆく。
 そして、その裂け目から吹き上げてくる泉に乗って、金魚は水底から駆け上がってくるのである。いつも口を忙しくパクパクして、体をゆっさゆっさと揺るがして。そして、ぬるやかなここの世界と裏返された水底の向こうの世界の微妙な領域を軽やかにいったり来たりせわしく泳ぎ、こっちに不敵な面構えで一瞥をくわせ、偏平な頭の両端に離れてついたつぶらな瞳に天使の輝きが見て取れる。水面にふ抜けたようにぼんやりと浮かぶその優雅な鰓あたりにまで達する尾の反転は繊細で神々しいが、その構造を支える筋は刃物のように鋭く、針のように尖って雄大に開いている。そしてゆっくりと水面を蹴って、いったん沈んだかと思いきや、ついに、ぬっと水面から頭をだして、あたりを見渡し、ゆっくりカナリアの声で朗々と歌い始めるのである。だからこそカナリアたちの絶望は深く、とうとう喉に痰を詰まらせ声を失ってしまう。このような金魚の存在はふだんの意識においては気づかれることもなく抑圧されて隠れている。潜在意識と同じように深くて暗いところにある。水底の深淵に隠された存在が形をなして、ぬるやかな世界にやってくるときそれは金魚のような様相でなければならない。
 水底の真実が人のイメージで再構成され、意識化され、感覚に訴えるとき、この現実を突きぬける存在は「金魚」でなくてはならなかった。そのような存在表現はおおよそ次のような形をしている。その魚の頭と胴と尾の比率はほぼ均等でないといけない。その部分部分の交換可能性を想起させねばならない。寸断された器官が独立に生きて、勝手に接合できうることとは、それらが、いつかきっと場当たり的に再度繋がりあって新しい生命を宿すことなのである。その各部分はきわめて凝縮的でベクトル解析で言うハミルトンの演算子、ナブラ(Δ)*である。単位ベクトルは含まれないといけない。それらはそれぞれ未分化である。ありうべき美の生成の「発散(div)」**をそこに単位ベクトルという力によって規定される。さらにその力の偏微分的性質はきたるべき、「トサキン」、「地金」、「ナンキン」などの萌芽としての構造化を予め準備した「すべての金魚」を誘発すべきものである。これらの要素を脊椎動物である金魚は1本の串と鋭い筋をもって網脈状の起電力のあるネットワークで束ねるのである。水底にある深い衝動は抑圧された谷からおそるべきスピードで駆け上がってくる。それは人々の場当たり的なだれかの期待で金魚となって立ち上がってくることになるのである。そして、いったん水面付近の水際、つまり渚でとどまって、はた、と考え込むのである。きっと、いま、ここにいる金魚たちはそのような存在である。
 ぬるやかなこの世界と裏返された水底の向こうの世界の微妙な領域を突きぬけて、もっと先まで行こうとする。そして、彼らは今後は上陸を目論むことになるであろう。そのあたりを軽く、せわしく泳ぎ、水を蹴り、ありがたいことにこっちに不適な面構えで一瞥をくわせてくれることになるとしても。ただ、そこで眼をそむけてはならない。その偏平な頭の両端に離れてついたつぶらな瞳にいくら天使の輝きが見て取れたとしても、そんな誘いに決してのってはならない。なぜなら、かれらは今度は人の声ででも歌ってやろうかと思案しているはずなのだから。ここは、オデュセイアのようにセイレンの声は耳を塞いでやりすごさないといけないのである。そして、フナの体側にあった目が偏平な頭の両端に離れてついたつぶらな瞳に進化した時点で、鰭を手足に変化させ、彼らは上陸をめざす、あるいは、両生類であるカエルに生まれ変わるのであった。
(あるいは、こうも言えよう。人は、その進化を誘引し、実現をめざしている、と)





金魚怪異帖

金魚って聞いて新鮮に聞こえるかな。子供の頃、金魚すくいですぐに紙が破れて、泣きそうになってもあきらめきれず、帰りに1匹もらいそれを大切にした思い出。でも、元気で気づくと20cmくらいに育って驚いたり。それくらいの軽い感じ。金魚の思い出なんて。しかし、それは大きな錯誤。認識が甘いですね。1年前のこと。近くに齢90歳くらいの老女の営む間口が半間くらいの小さな金魚屋がある。30年位まえからたまに顔をだすお馴染み。ちょっと見る。そこに変な金魚がいた。トサキン、という。だれも知らないでしょう?1匹300円もする。老女は買え買えとうるさい。3匹もらう。さて、ゆっくり馴染ませる。小さいから慎重に。次の日見ると、あああー枕を並べて討死、全滅。毒でも食らったかと、さらに老女から5匹あまりを買う。老女は呆ける。今度は熱帯魚飼育でとった杵柄、ネオンテトラ、エンゼル、シグリッドとか、グッピーは増やしたし。自信あるけどね、30年もやってんだから。ドイツ仕込みの先端技術の導入。しかし、次の日からどんどん死亡してゆく。3日で全滅。金魚ごときで。ハイテクも歯が立ただず。老女はもう売り切れという。ちくしょう、悶々とした長い反省、考察、シュミレーション。次の週さらに10匹あまり挑戦。でも5日ともたない。いったい、これは・・ガラガラと崩れて行く自分がいる。東京で魚を探す。ここには関西では絶滅した百貨店の屋上の金魚屋があちこちにある。東京は風流です。そういう和物の感性がこの街に根づく。池袋西武には毎週日曜午前10時にトサキンの子供が入荷される。それを待って毎週JALで神戸に運ぶ。でも、どんどん死んで行く。骸骨のようにフラフラになって。屋上でふと見ると同じ人が買いに来ている。毎週、毎週殺す。それでまた買いに来る。殺しても殺しても、諦め切れないんだよね。ぜったいに。何たる悪循環。さて、いったい、この金魚はいかなるものなのか。トサキンは名前のとおり高知市を中心に飼育されており、その歴史は江戸時代に逆上る。長尾鶏と同じように尾鰭がきわめて優美な魚である。そこらへんの熱帯魚風情なんかとは美的完成度で一線を画す。人が造形した生きた至宝と断言する。130年くらい前、高知城下の南与力町に住んでいた須賀家の土佐錦魚元祖という資料にトサキンの歴史が始まるとある。その後、戦災や南海大震災で絶滅したかと思われたが、田舎の瓶に生き残った数匹のトサキンから養育・繁殖を再出発していまがある。(カーサ・ブルータス1999年秋号より転載)





金魚憂鬱症

さて、トサキンの話の続きです。人の幻が魚の現実になり、美への跳躍を遂げる。どうしてこんなにも美しい魚が現実のものになったか。そして、ぼくはその美の化身であるトサキンをどんどん買っては端から死なせてしまったわけ。半年の長きに渡って殺戮を続けた。殺す気なんかはもうとうないのに。どうしてこんなに死ぬの?怖くないのかな?深い焦燥と罪悪感。でも、やめられない。そして、信じられないことに突き止めた原因が「金魚の神経症」だった!?魚のくせに心がある。トサキンの憂鬱。輸送中にだんだん憂鬱、神経質になるんですね。場所が変わるとコロッと死にます。死ぬのがなんともないみたい。だから、原産地の水を苦労して運んでもだめ。普通の病気じゃないから、どんな薬を投入してもだめ。水槽や装置を万全にしてもだめ。心の問題でそういう外的要素が原因じゃないんです。だから、カウンセリングしてやんないといけないんですね。金魚の鬱屈したマインドを解放してやる。じゃ、どうやってやるかというと、これが暗黒処理なんですね。これは植物の栽培ではよくやるんです。花を咲かせたりするときに。簡単に言うと暗くして安静にしてやる。たったこれだけ。どんな高価な抗生物質より利いたりする。どこかにお金をかけて対処すると問題が解消されそうな気持ちがこっちにあって、こんなやっかいな問題が身近ですぐできる簡単なことで解決できる、なんて信じられないんですよね。これが落とし穴。でも、身近なところに答えはあったりする。エドガ−・アラン・ポーの「失われた手紙」ですね。この話では、みんなで隠された手紙を手を尽くして探すんだけれど、例えば金庫とか秘密の引き出しとかを徹底的に捜査するんですね。でも、犯人は周到です。よく目に付くところの「手紙差し」にさり気なく入れていた、なんて。そんな目立つところに置いておくわけないですね。そういう魚を、考えて作ったんですね。ここに生きていることそのものが不思議っていう視点でしょうか。結局、動物って心の底に植物みたいな精神があって、それが癒されないと生きて行けない。金魚の享楽的な植物マインドを解放してやるんですよ。そんな人の高度な精神性を魚に封じ込めてる感じがする。でもこれって、一種のプロテクト?土佐っていう地域から金魚を持ち出せないようにした?だれでもがコピーできないように。魚の精神に自己滅亡プログラムを仕込むなんて、これはとてつもないことだと思うけど。ああ、こっちが神経症にかかってんのかな。(カーサ・ブルータス2000年夏号より転載)





金魚歴史

西暦3〜4世紀頃に中国の揚子江下流で黒いフナに混ざって、黄色い色のフナが捕れるようになったと言われそれが大元の金魚の祖先ということでそこから交雑が出発し、中国で様々な品種が作出されます。とはいえ、フナからそのような魚が現れたという話はそれ以後ないので実際は謎に包まれています。 日本に金魚が紹介されたのは室町時代で、1502年、金魚養草に明国から泉州左海(現在の大阪府堺市)に初めて入ったという記録が残され、事実だろうと思われます。したがって、来年で金魚伝来500年ということになります。戦乱の世にどうしていたかは不明ですが、江戸時代初期になると、大名や豪商たちの間で飼育されるようになり、江戸時代中期以降は庶民が愛玩し大きく発展します。そして享保9年(1724)甲斐(今の山梨)から大和(現、奈良大和郡山市)に移った大名柳沢吉里が貧しい藩士たちの救済のために、当時貴重品だった金魚を副業として養殖する事を勧め産業として始まりました。そして文化・文政(1804〜1829)になると日本国内各地でも金魚の交雑、養殖が始められ広く一般に金魚を飼育する事が流行しました。この時期、園芸も大変なブームとなりました。いまガーデンニングの盛況を思うと金魚の勃興が予見されます。江戸の名物になった金魚店は、当時上野の不忍池近くに集まっていましたが、やがて麻布や下谷に移ったようです。現在でも、小岩、江戸川あたり江戸らしい金魚が細々と生き長らえています。日本の金魚三大生産地は、奈良県大和郡山市、愛知県海部郡弥富町、東京都江戸川区春江町ですが、東京近辺では、千葉県、埼玉県でも金魚の養殖が行われています。













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