●敢えて言うなら「三分の計」(国家戦略)無き「三顧の礼」の軍師。(なまじの後者の存在が前者の不在を際立てるという意味においても)
●優れた才能の持ち主であるに違いないが、その発揮された場所は、あくまで「国内」に「周辺」という、それまでのイシュタール王国の意識範囲内に限られており、それを超える視野や能力が果たしてあるかどうかまではまだ不明。
●一応大空の調停者で両大国の調停をフィリックスに進言しているが、その「持ち上げ」ぶりも含めて、それが果たして従来からの「イシュタール感覚」の延長的な物か否かはまだ不明。(むしろフィリックスの方が「これを実力と勘違いしたら偉いことになる」と冷静に考えている)
●実際西国同盟の発想も、パウロをはじめとする周辺諸国が必然的に考え出した物であり、彼女自身が積極的に提起した場面は無く、むしろタイプ的には「状況を積極的に作り出す」というより、一歩遅れの「状況に応じて行動する」方かもしれない。(もちろんこれは先生御自身いわく「滅亡寸前なんじゃね」なイシュタール王国の「動くに動けぬ」事情もあるかもだが)
●「藪より大きな蛇はいない」(大空の調停者)の出典については、池田勇人の(楽観主義の典型ともされる)「山より大きな猪はいない」と思われる。(もっとも「藪が大きかったらどうする」とか「藪の大きさの蛇でも恐ろしいじゃないか」とまで考えているかは不明だが。)
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