最終更新:ID:+PB87IE2pw 2013年08月07日(水) 20:27:26履歴
1912年生まれ。読み方は、「かやま ただし」。海軍に所属し、満洲事変や中国戦線に従事する。
1944年、鹿山正・海軍兵曹長は40人程度を率い、日本海軍守備隊の指揮官として沖縄県の久米島に着任。1945年6月26日、久米島にアメリカ軍約1000が上陸するが、同年6月27日、投降文書を持ってきた仲里村民を、鹿山正が直接殺害する。その後、具志川村北原区長ら四家族9人を殺害する。1945年8月15日の日本のポツダム宣言受諾の日も住民3人、同年8月20日には、住民7人を殺害したとされる。その中には、子どもも含まれていた。一般住民、計20人以上が、鹿山正の直接の刑事責任で、殺害されたと見られる。70人の住民の殺害に関与したという指摘がなされる。「久米島守備隊住民虐殺事件」として、語りつがれる。
なお、守備隊は、同年9月初旬に降伏した。鹿山正隊長も含め、金武町の屋敷収容所に収容される。そこで、殺害された住民の縁者から詰問されていたとの情報がある。
1946年、徳島県に戻る。その年に、沖縄県糸満警察署が、久米島の住民虐殺の事件を捜査するものの、事件の重大さより連合軍総司令部に送致するものの、「国外に於ける事犯であるため取り上げられない」と回答してきた、鹿山正らは、戦犯としてまた殺人罪等の刑事責任を問われることはなかった。1972年3月28日の琉球新報では、鹿山正が徳島市の農協参事となっていたことを確認している。
1972年4月2日付けの週刊誌サンデー毎日で、「沖縄のソンミ事件」として、仮名Kとして報道される。当該記事では、鹿山正本人が殺害の事実を求める。「いまは戦争を罪悪視する平和な時代だから、あれも犯罪と思われるかもしらんが、ワシは無いことをしたと考えていないから、良心の呵責(かしゃく)もない。ワシは日本軍人としての誇りを持っていますよ」という発言を残す。同年4月4日、東京放送の番組「モーニングジャンボ」に出演し、全国放送される。同年4月23日付けのサンデー毎日で、「鹿山正」の実名を出し、「沖縄同胞大量虐殺事件の大罪人鹿山正であります」という表現のある謝罪文を掲載させる。
その後については、不明である。
1944年、鹿山正・海軍兵曹長は40人程度を率い、日本海軍守備隊の指揮官として沖縄県の久米島に着任。1945年6月26日、久米島にアメリカ軍約1000が上陸するが、同年6月27日、投降文書を持ってきた仲里村民を、鹿山正が直接殺害する。その後、具志川村北原区長ら四家族9人を殺害する。1945年8月15日の日本のポツダム宣言受諾の日も住民3人、同年8月20日には、住民7人を殺害したとされる。その中には、子どもも含まれていた。一般住民、計20人以上が、鹿山正の直接の刑事責任で、殺害されたと見られる。70人の住民の殺害に関与したという指摘がなされる。「久米島守備隊住民虐殺事件」として、語りつがれる。
なお、守備隊は、同年9月初旬に降伏した。鹿山正隊長も含め、金武町の屋敷収容所に収容される。そこで、殺害された住民の縁者から詰問されていたとの情報がある。
1946年、徳島県に戻る。その年に、沖縄県糸満警察署が、久米島の住民虐殺の事件を捜査するものの、事件の重大さより連合軍総司令部に送致するものの、「国外に於ける事犯であるため取り上げられない」と回答してきた、鹿山正らは、戦犯としてまた殺人罪等の刑事責任を問われることはなかった。1972年3月28日の琉球新報では、鹿山正が徳島市の農協参事となっていたことを確認している。
1972年4月2日付けの週刊誌サンデー毎日で、「沖縄のソンミ事件」として、仮名Kとして報道される。当該記事では、鹿山正本人が殺害の事実を求める。「いまは戦争を罪悪視する平和な時代だから、あれも犯罪と思われるかもしらんが、ワシは無いことをしたと考えていないから、良心の呵責(かしゃく)もない。ワシは日本軍人としての誇りを持っていますよ」という発言を残す。同年4月4日、東京放送の番組「モーニングジャンボ」に出演し、全国放送される。同年4月23日付けのサンデー毎日で、「鹿山正」の実名を出し、「沖縄同胞大量虐殺事件の大罪人鹿山正であります」という表現のある謝罪文を掲載させる。
その後については、不明である。
事件について、おおよそのことは、鹿山正も認めているので、60人以上のの村民が殺されたという事実について、論争の余地はない。当然、共同共謀正犯として、鹿山正が60人以上の村民殺害の刑事責任は訴追されれば免れなく、そうなれば死刑となっていたはずである。
「久米島守備隊住民虐殺事件」または「久米島事件」として、沖縄県民にひろく知られている。日本の全国レベルでは、大多数に知られているとはいえない。
ウィキペディア「久米島守備隊住民虐殺事件」が実現されていて、「鹿山正」の実名が登場する。
ウィキペディア「久米島守備隊住民虐殺事件」参考のこと。
もちろん、殺害実行犯は、鹿山正だけでないものの、実名が明らかにされているのは、鹿山正だけである。
「久米島守備隊住民虐殺事件」または「久米島事件」として、沖縄県民にひろく知られている。日本の全国レベルでは、大多数に知られているとはいえない。
ウィキペディア「久米島守備隊住民虐殺事件」が実現されていて、「鹿山正」の実名が登場する。
ウィキペディア「久米島守備隊住民虐殺事件」参考のこと。
もちろん、殺害実行犯は、鹿山正だけでないものの、実名が明らかにされているのは、鹿山正だけである。
インネットサイト
『私の信念はお国の為であった』鹿山兵曹長の独占手記
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このページへのコメント
鬼畜野郎です。
軍人なら、最後の一人となっても、戦って死ぬべし。
軍人でない、島民は、助けても戦死させてはならない。
ましてや、自分たちの手にかけるとは!!
軍人の風上にも置けぬ、糞野郎です。
糞野郎の子孫も恥ずべき、糞です。
戦後も、自分は悪くない!!
すっとぼけた糞です。
死刑にしたい位です。
子孫が鹿山正の行いをどう思っているのか。
すごく気になります。
ネット上でもいいので、聞きたいものです。
心情的には命狙う気も分かるが、実際に手を下したら殺人犯。
今度は鹿山の子孫に狙われる。
タレントの小島よしおさんは、その事件の生き残りした人の子孫なんですか?
恥ずかしい、おこないを反省しようとせず、
戦後、生きた人間、恥ずかしい先祖ですね。
孫まで祟りがあるから、恥ずかしいおこないをしないといった感情がない人間でしたね。