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いくた ふさひろ

略歴

1929年生まれ。
1955年、新潟大学医学部卒業。
1960年、新潟大学大学院医学研究科終了。四年間ニューヨークのアインシュタイン大学で脳の「神経病理学」を学ぶ。
1964年 帰国し、新潟大学脳研究所で31年間神経病理学の研究教育に携わり、教授に就任する。
1882年に、脳梗塞などで破壊された脳機能の再生に、グリア細胞のアストロサイトが細胞分裂を来たし、移動能を持ち、シナプスをカバーすることで,重要な役割を果たすことを発表し、今までの定説を覆した。
1985年に、「脳死患者58例の剖検例の所見」を発表し、脳死と判定された患者についての剖検の結果を公表し、「脳死は脳全体が死んだ状態」との俗説を覆すこととなる。
1995年、新潟大学を定年退官し、名誉教授となる。 日本の神経病理学を進展させたことにより「紫綬褒章」を受章。
2002年 アメリカ神経病理学会より「最高功労賞」を受賞する。

脳死研究

日本医学会雑誌1985年11月号で、「脳死の神経病理学」を発表する。脳死患者の剖検例を58例だし、赤血球の泡沫化現象に注目し、泡沫化していない赤血球のある脳の器官では、脳血流が存して、細胞がかなり生存していることを推定する手法で、脳死のメカニズムを研究する。
「『脳死』の神経病理学」という論文を、1992年に発表する。
週刊「医学のあゆみ」で「『脳死』例の剖検所見からみた個体の死の時刻」という論文を、1995年に発表する。

以下、おおよその「『脳死』例の剖検所見からみた個体の死の時刻」の内容である。
視床下部の細胞が、脳血流停止に比較的強く、心停止1時間後でもかなり生存している場合もあることが確認された。
脳死後4日位の時点までは40%くらいの症例で視床下部だけは生存していると推定している。
以上

なお、視床下部は、脳の深部にありながらも、「情動の座」とされ、快不快や喉の渇きや空腹感に密接に関連した脳の器官である。生田房広教授の脳死研究により、脳死は「脳全部が死んだ状態」ではなく、「脳全体の機能が不可逆的に停止した状態」でもないことが、ますます明らかにされていると、医学専門家から主張されている。

参考文献

立花隆 脳死 中央公論新社  ISBN 978-4122015616
立花隆 脳死再論 中央公論新社  ISBN 978-4122018112
立花隆 脳死臨調批判 中央公論新社  ISBN 978-4122021082

外部リンク

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