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食品スーパー襲撃事件の追悼行事
前列左から二人目が、ラッサナ・パシリー氏

人物

フランス語表記で、Lassana Bathily である。日本語サイトでは、「ラサナ・バシリー」との表記もみられる。
パリ週刊紙襲撃事件と一連の食品スーパー襲撃事件で、人命救出に貢献したスーパー店員。
マリ人ということで注目を浴びている。また、イスラム教徒と伝えられる。外見は、黒人である。2015年1月現在、24歳。
アフリカのマリより、2006年、フランスに移住する。2014年7月に、フランス国籍取得を申請する。
2015年1月9日の食品スーパー襲撃事件で、2015年1月7日のフランス紙襲撃テロ事件の犯人と行動を共にするアメディ・クリバリが、食品スーパー「イペル・カシェル」(Hyper Cacher)に立てこもり、抵抗する市民4人を殺害し、人質をとったが、店員のラッサナ・バシリーは、電源を切った冷凍室に客を案内し、自ら狭いリフトより脱出して、警察に内部事情を報告し、その結果12人以上の人命が救われたとされる。
その後、オランド大統領から、直接電話で感謝された。長きにわたって保留となっていたフランス国籍が、取得されることとなる。

記事

パリ食品店で人質救った「ヒーロー」、マリ人男性に仏国籍 - AFPBB Newsより転載再構成

【AFP=時事】
フランスのベルナール・カズヌーブ(Bernard Cazeneuve)内相は、先週のパリ(Paris)のユダヤ系食料品店襲撃事件で人質たちを助け、「ヒーロー」と呼ばれたマリ人男性、ラサナ・バシリー(Lassana Bathily)さん(24)に、フランス国籍を与えると発表した。
カズヌーブ内相は声明でバシリーさんの「勇敢さ」を称賛し、20日の式典でバシリーさんに国籍を与えると述べた。バシリーさんは2006年からフランス在住で、昨年7月にフランス国籍取得を申請していた。
バシリーさんは事件のあったパリ東部の食料品店の従業員で、アメディ・クリバリ(Amedy Coulibaly)容疑者が9日に人質をとって店内に立てこもった時、店内にいた買い物客たちを冷蔵室に集め、冷蔵機能を切り、扉を閉じて人々を守った。
「銃声が聞こえ、同僚や買い物客が走って行くのが見えた」と、バシリーさんは振り、「『来い、来い』と伝え、冷蔵室の中に入れた」と語った。
バシリーさんは、搬入用のリフトを使って外に脱出しようと提案した。だが誰もその危険をおかしたくなかったので、バシリーさんが一人で脱出し、警察官を呼び止め、建物内の情報を伝えた。事件解決を導いた警察の特殊部隊の突入に不可欠な情報だった。
敬けんなイスラム教徒のバシリーさんの行動は多くの人に称賛され、バシリーさんの国籍取得実現を求めるオンライン署名サイトには22万人分の署名が集まった。
バシリーさんは自らの行動について、共通の敵に脅かされている他人に対して、人間ならば誰でもしなければならない行動だと語る。
「私たちは兄弟だ。ユダヤ教か、キリスト教か、イスラム教かの問題じゃない。私たちはみんなで同じ船に乗っている。危機の時は互いに助け合わなければならない」と、バシリーさんは、仏テレビ局BFMTVに語った。
【翻訳編集】AFPBB News

ウィキペディアでの「ラッサナ・パシリー」

英語版ウィキペディア

英語版ウィキペディア「Portes de Vincennes hostage crisis」(ポルト・ド・ヴァンサンヌ人質事件)で、ラッサナ・バシリーが登場している。

英語原文より
Wikipedia - Portes de Vincennes hostages crisisより、転載

Lassana Bathily, a Malian-born and Muslim shop assistant to whom Yohan Cohen had referred as a "friend" in his personal Facebook page, has also been hailed as a hero in the hostage crisis for hiding people from the gunman and assisting police after his escape.During the hostage crisis, Bathily helped hide hostages in a cold storage container in the basement.When Coulibaly opened fire in the store, killing Cohen, Hattab, Saada, and Braham and taking hostages, Bathily led fifteen people into the downstairs cold storage room for safety. Bathily was then able to escape alone by slipping out of the store using elevator equipment.Upon leaving the store, he was immediately handcuffed and arrested by police who suspected him of playing a role in the attack. He was released after an hour and a half.

どとうとしや訳
ラッサナ・バシリーは、マリ生まれの店員で、殺害されたヨアン・コーエンからフェイスブックで友人として認められている人物だが、人質救出まで、犯人から人を匿い警察に協力したことで、「英雄」とたたえられている。人質事件の最中、バシリーは、地下室の冷凍倉庫に人質を匿った。クリバリ容疑者が店に乱射しコーエンやアタブやサーダやブラアムを殺害して、人質を取った。バシリーは、安全を求め15人の人を地下の冷凍倉庫に案内した。バシリーは、一人で、店のエレベーター装置を使って、外に出たが、襲撃犯人側の人間として警官にその場で逮捕され手錠をかけられたが、1時間半後釈放された。

フランス語版ウィキペディア

フランス語版ウィキペディアでは、"Lassana Bathily" で実現する。
なお、統合提案がなされていて、独立した記事となるかどうかは微妙。ウィキ主は独立した記事であることを希望する。
fr.Wikipédia - Lassana Bathily参照のこと。

日本語版ウィキペディア

日本語版ウィキペデイアでは、ウィキペディア「ラッサナ・バシリー」はおろか、ウィキペディア「ユダヤ食品店人質事件」でも、出てこない。
ウィキ主は、独立した記事のウィキペディア「ラッサナ・バシリー」の実現を希望する。また、ウィキペデイア「ユダヤ食品店人質事件」についても、人命殺害の事実が大切ではあるものの、ラッサナ・バシリーの活躍による人命救出のことも、記載されるべきである。
ウィキペディア「ユダヤ食品店人質事件」参照のこと

発言

私たちはみんな兄弟です。ユダヤ教徒なのか、キリスト教徒なのか、イスラム教徒なのかは問題じゃない。私たちはみんな運命をともにして、この危機から脱するためにお互い助け合わなければならないんです。

どなたでも編集できます