最終更新:ID:E3yoV61KNw 2006年10月25日(水) 01:16:18履歴
物語り
占い師の言った通り、その晩は闇夜だった。
小高い丘の上で、一人、カーズガンは馬上から眼下の集落を見下ろしながら呟く。
「こんな日が来るなんて考えてもいなかった」
彼らは仲の良い親友だった。
まるで血を分けた兄弟のようだ、と誰もが言った。
どこへ行くのも一緒だった。
どこまでも青く澄み渡った空の下で、草原を統一する、という誰もが成し得なかった夢を共に語り合った同志でもあった。
あの別れの日ですら、それが永遠の別れではなく、すぐに再会し、共に轡を並べて草原を駆ける日が来ると信じて疑わなかった。
それが、どうして……
「こんな日が来るなんて考えてもいなかった」
手の震えを感じ、彼は、手にした剣の柄をさらに強く握り締める。
全ては過去の出来事なのだ、と現実をかみ締めるために……感傷を捨て去るために……そして、逃げたいという、己が内からの声と欲求から目を逸らすために。
それでも手の震えは止まらない。
これが己が弱さだ、と彼は実感する。
……この弱さがあるから俺は勝てなかった……しかし、今日はこの弱さを捨てなければならない。
彼は深呼吸をして歯を食いしばり、己が手の震えが未だ止まらぬのを感じながら、ゆっくりと背後を振り返る。
そこには、闇夜に紛れて、彼が草原中から掻き集めた騎兵2千の姿があった。
いずれも歴戦を潜り抜けてきた勇者達だ。
だが、彼は知っている、この中の殆ど、いや誰一人として明日の朝日を迎えることが無く死を迎えるだろう事を……。
……そして、彼らをその死へと誘うのは俺だ……冷酷な殺人者にして処刑人は自分だ……だが、そうまでしなければ勝つことはできない相手なのだ。
彼らの押し殺したような息遣いを感じながら、ふとカーズガンは思う、自分はいかなる死を迎えるのか?と。
願い半ばに、あっけなく雑兵の手にかかるのやも知れない。
歴史に名を残すような斬り死にを迎えるのやもしれない。
それとも、敵の手に捕まり、カーズガンというその名に相応しく大鍋で煮られて死ぬのかもしれない。
そうなると、死後、いかなるモフティが自分に与えられるのか……
……カーズガンだ
彼は思う。
……俺の今の名はカーズガン、そして死して尚、人は俺をカーズガンと呼ぶ……過去も未来も、その名前以外に自分の名前はありえない
根拠は無かったが、彼はそう確信していた。
震えは止まった。
もはや、彼は死を恐れてはいない。
弱さも、躊躇いも、そして臆病さも今の彼には無い。
「勇者達、我らの願いは今かなう」
彼は、兵を前にして言う。
「我らが策略は上手くいき、今や周辺諸国や草の民の多くがこの作戦に賛同し、各地で行動を起こしている
偉大なる大地の母は、我らに味方しているのだ
母は必ずや我らを守護し、我らの大義を叶えてくれるだろう
勝利は、もはや疑う余地は無い」
それは嘘だった。
作戦に参加を約束した西方諸国は自らの国境を固めるばかりで、草原へと兵を進めなかった……つまり約束を違えたのだ。
トゥルサは最初から動かなかった。
北方帝国の生き残った諸侯達は、兵を出すふりこそしたが、草の民の兵と刃を交えることなくすぐに兵を引き返した。
草の民の有力部族達は静観を決め込んだ。
東の交易国家は兵を出さないばかりか、この計画を密告した可能性すらある。
ただ、ボルサの戦い?に参加した幾つかの部族と、トゥルサ国境の部族、そしてボルボス地方の農民達だけが兵を挙げていた。
義理堅い連中だと、彼は心からの感謝の念を禁じえない。
実際、それらの鎮圧の為に多くの兵員が割かれたのだから。
「今や、我らの義挙は大陸全ての人の見るところである。
失敗は許されない」
彼は、そこで言葉を切り、左手を挙げながら愛馬の馬首を翻す。
その手が下ろされる時、彼らは突き進む……死に向かって……滅亡に向かって……そして、己が信じた正義に向かって
「行こう、諸君!
刻は来た!
我らの狙うはただ一つ!、殺戮鬼ハルバンデフの首である!」
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)
小高い丘の上で、一人、カーズガンは馬上から眼下の集落を見下ろしながら呟く。
「こんな日が来るなんて考えてもいなかった」
彼らは仲の良い親友だった。
まるで血を分けた兄弟のようだ、と誰もが言った。
どこへ行くのも一緒だった。
どこまでも青く澄み渡った空の下で、草原を統一する、という誰もが成し得なかった夢を共に語り合った同志でもあった。
あの別れの日ですら、それが永遠の別れではなく、すぐに再会し、共に轡を並べて草原を駆ける日が来ると信じて疑わなかった。
それが、どうして……
「こんな日が来るなんて考えてもいなかった」
手の震えを感じ、彼は、手にした剣の柄をさらに強く握り締める。
全ては過去の出来事なのだ、と現実をかみ締めるために……感傷を捨て去るために……そして、逃げたいという、己が内からの声と欲求から目を逸らすために。
それでも手の震えは止まらない。
これが己が弱さだ、と彼は実感する。
……この弱さがあるから俺は勝てなかった……しかし、今日はこの弱さを捨てなければならない。
彼は深呼吸をして歯を食いしばり、己が手の震えが未だ止まらぬのを感じながら、ゆっくりと背後を振り返る。
そこには、闇夜に紛れて、彼が草原中から掻き集めた騎兵2千の姿があった。
いずれも歴戦を潜り抜けてきた勇者達だ。
だが、彼は知っている、この中の殆ど、いや誰一人として明日の朝日を迎えることが無く死を迎えるだろう事を……。
……そして、彼らをその死へと誘うのは俺だ……冷酷な殺人者にして処刑人は自分だ……だが、そうまでしなければ勝つことはできない相手なのだ。
彼らの押し殺したような息遣いを感じながら、ふとカーズガンは思う、自分はいかなる死を迎えるのか?と。
願い半ばに、あっけなく雑兵の手にかかるのやも知れない。
歴史に名を残すような斬り死にを迎えるのやもしれない。
それとも、敵の手に捕まり、カーズガンというその名に相応しく大鍋で煮られて死ぬのかもしれない。
そうなると、死後、いかなるモフティが自分に与えられるのか……
……カーズガンだ
彼は思う。
……俺の今の名はカーズガン、そして死して尚、人は俺をカーズガンと呼ぶ……過去も未来も、その名前以外に自分の名前はありえない
根拠は無かったが、彼はそう確信していた。
震えは止まった。
もはや、彼は死を恐れてはいない。
弱さも、躊躇いも、そして臆病さも今の彼には無い。
「勇者達、我らの願いは今かなう」
彼は、兵を前にして言う。
「我らが策略は上手くいき、今や周辺諸国や草の民の多くがこの作戦に賛同し、各地で行動を起こしている
偉大なる大地の母は、我らに味方しているのだ
母は必ずや我らを守護し、我らの大義を叶えてくれるだろう
勝利は、もはや疑う余地は無い」
それは嘘だった。
作戦に参加を約束した西方諸国は自らの国境を固めるばかりで、草原へと兵を進めなかった……つまり約束を違えたのだ。
トゥルサは最初から動かなかった。
北方帝国の生き残った諸侯達は、兵を出すふりこそしたが、草の民の兵と刃を交えることなくすぐに兵を引き返した。
草の民の有力部族達は静観を決め込んだ。
東の交易国家は兵を出さないばかりか、この計画を密告した可能性すらある。
ただ、ボルサの戦い?に参加した幾つかの部族と、トゥルサ国境の部族、そしてボルボス地方の農民達だけが兵を挙げていた。
義理堅い連中だと、彼は心からの感謝の念を禁じえない。
実際、それらの鎮圧の為に多くの兵員が割かれたのだから。
「今や、我らの義挙は大陸全ての人の見るところである。
失敗は許されない」
彼は、そこで言葉を切り、左手を挙げながら愛馬の馬首を翻す。
その手が下ろされる時、彼らは突き進む……死に向かって……滅亡に向かって……そして、己が信じた正義に向かって
「行こう、諸君!
刻は来た!
我らの狙うはただ一つ!、殺戮鬼ハルバンデフの首である!」
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)
「運のいい奴め」
カーズガンは舌打ちを禁じえない。
月を覆っていた雲が晴れ、銀色の月光が丘を駆け下りる彼らを照らし出していた。
もはや彼らの姿が敵兵に発見されるのは時間の問題だろう。
「用意周到な奴め」
彼は歯軋りしたい気持ちだった。
集落でハルバンデフの護衛についている兵の数は、彼の予想を遥かに上回っていた。
軽く見積もっても自らの率いる兵の倍はいる。
しかも、それらは寄せ集めの弱兵の群れなどではなく、遠目から見ても分かる、戦いの場数を踏んだ熟練兵による軍団だった。
「ここまで用心深い奴だったか、あれは?」
彼は記憶を掻き集めて、現在の疑問を過去から解き明かそうとしたが、そうであったような気もしたし、そうでなかったような気もして頼りにならなかった。
だから彼は考えるのを止めた。
今はただ、一つの目的に向かって突き進めばよい。
過去など、もはや必要ではない。
必要なのは未来だ。
だが、その未来に自分はいないだろうことを彼は覚悟していた。
愛馬の腹を鐙で蹴り、今までゆっくりと音を立てさせないように歩ませていた馬を駆けさせると、彼は雄叫びをあげる。
敵に発見されるのが時間の問題ならば、敵を動揺させ、一瞬でもその懐に飛び込む時間を稼がねばならない。
勇者達の声が彼に続く。
草原は、今や彩られていた
死すら恐れぬ猛者達の声によって
これから殺し合いを演じる者達の狂気によって
そして、今から死へと向かう覚悟と前倒しの断末魔によって
彼らは今や疾風と化し、また光の矢と化して草原を駆けていた。
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)
カーズガンは舌打ちを禁じえない。
月を覆っていた雲が晴れ、銀色の月光が丘を駆け下りる彼らを照らし出していた。
もはや彼らの姿が敵兵に発見されるのは時間の問題だろう。
「用意周到な奴め」
彼は歯軋りしたい気持ちだった。
集落でハルバンデフの護衛についている兵の数は、彼の予想を遥かに上回っていた。
軽く見積もっても自らの率いる兵の倍はいる。
しかも、それらは寄せ集めの弱兵の群れなどではなく、遠目から見ても分かる、戦いの場数を踏んだ熟練兵による軍団だった。
「ここまで用心深い奴だったか、あれは?」
彼は記憶を掻き集めて、現在の疑問を過去から解き明かそうとしたが、そうであったような気もしたし、そうでなかったような気もして頼りにならなかった。
だから彼は考えるのを止めた。
今はただ、一つの目的に向かって突き進めばよい。
過去など、もはや必要ではない。
必要なのは未来だ。
だが、その未来に自分はいないだろうことを彼は覚悟していた。
愛馬の腹を鐙で蹴り、今までゆっくりと音を立てさせないように歩ませていた馬を駆けさせると、彼は雄叫びをあげる。
敵に発見されるのが時間の問題ならば、敵を動揺させ、一瞬でもその懐に飛び込む時間を稼がねばならない。
勇者達の声が彼に続く。
草原は、今や彩られていた
死すら恐れぬ猛者達の声によって
これから殺し合いを演じる者達の狂気によって
そして、今から死へと向かう覚悟と前倒しの断末魔によって
彼らは今や疾風と化し、また光の矢と化して草原を駆けていた。
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)
「流石だ」
彼は認めざるを得ない。
突然現れた敵にハルバンデフの軍団が動揺と隙を見せたのは一瞬のことにしか過ぎなかった。
すぐに彼らは戦の準備を整え、カーズガンの兵達の前に槍衾を展開していた。
「これが草原を制した力と言うものか?」
カーズガンは悟る、彼が率いる兵も勇者達ならば、ハルバンデフの率いる兵も紛れも無く勇者達なのだと。
しかしながら、今更彼には引く術など無い。
彼は鐙で愛馬のわき腹を蹴り、兵達の先にいる筈のハルバンデフ目掛けてその足を駆けさせた。
その彼の前に槍を構えた兵達が立ち塞がる。
「どけ!」
右手の剣を振り、彼は死を産み出す。
今や戦神が、死の乙女が彼に乗り移り、もはや地上の如何なるをもってしても彼の目の前を塞ぐことは叶わない。
やがて槍衾が崩れ、ハルバンデフへと続く一筋の道がその門を開こうとしていた。
彼は、その僅かな隙間を縫うようにして陣の奥へと突き進む。
幾人かの兵達がその背後を狙ったが、幾本かの矢が飛来し、彼らを打ち倒した。
またさらに幾多の兵士を打ち倒して槍衾を超えた時、カーズガンの背後で人馬のぶつかり合う音が聞こえた。
剣戟の金属音
矢が空気を切り裂く音
怒声と罵声
馬達の嘶く声
そして断末魔の悲鳴
カーズガンの兵達は勇敢に戦ったが、多勢に無勢、カーズガンの後に続いて槍衾を超えることは適わず次々に打ち倒されていく。
だが、彼が勇者達を集めたのは、まさにこのためだった。
自らを追う兵士を一人でも減らすための、時間稼ぎのための捨て駒。
目的の為に数多の戦神と死の乙女へと捧げた供物。
今更ながら彼は、すまないという気持ちで一杯になる。
だが、背後は振り返らなかった。
彼は知っていた、この非情な敵に勝つためには自分もまた非情にならなければならないことを……
それが人の世で非道と呼ばれる行為であることを……
「ハルバンデフ!」
死者に、そして死に行く者達への手向けとばかりに、彼は声をあげてその名を口にする。
「ハルバンデフ!」
途中、何度か彼の行く手を阻むべく槍や異国の武器を手にした兵達が立ち塞がったが、彼はその全てを斬り捨てた。
もはや、彼を止めることは誰にも叶わない。
やがて彼の目の前に、漆黒の馬に跨り、黒衣に身を包んだ男の姿が現れる。
まるで血で塗ったように赤い、長槍を手にしたその男は……
「ハルバンデフ!」
まごうことなく、今や諸国を蹂躙する、現世の魔王と化したハルバンデフの姿そのものであった。
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)
彼は認めざるを得ない。
突然現れた敵にハルバンデフの軍団が動揺と隙を見せたのは一瞬のことにしか過ぎなかった。
すぐに彼らは戦の準備を整え、カーズガンの兵達の前に槍衾を展開していた。
「これが草原を制した力と言うものか?」
カーズガンは悟る、彼が率いる兵も勇者達ならば、ハルバンデフの率いる兵も紛れも無く勇者達なのだと。
しかしながら、今更彼には引く術など無い。
彼は鐙で愛馬のわき腹を蹴り、兵達の先にいる筈のハルバンデフ目掛けてその足を駆けさせた。
その彼の前に槍を構えた兵達が立ち塞がる。
「どけ!」
右手の剣を振り、彼は死を産み出す。
今や戦神が、死の乙女が彼に乗り移り、もはや地上の如何なるをもってしても彼の目の前を塞ぐことは叶わない。
やがて槍衾が崩れ、ハルバンデフへと続く一筋の道がその門を開こうとしていた。
彼は、その僅かな隙間を縫うようにして陣の奥へと突き進む。
幾人かの兵達がその背後を狙ったが、幾本かの矢が飛来し、彼らを打ち倒した。
またさらに幾多の兵士を打ち倒して槍衾を超えた時、カーズガンの背後で人馬のぶつかり合う音が聞こえた。
剣戟の金属音
矢が空気を切り裂く音
怒声と罵声
馬達の嘶く声
そして断末魔の悲鳴
カーズガンの兵達は勇敢に戦ったが、多勢に無勢、カーズガンの後に続いて槍衾を超えることは適わず次々に打ち倒されていく。
だが、彼が勇者達を集めたのは、まさにこのためだった。
自らを追う兵士を一人でも減らすための、時間稼ぎのための捨て駒。
目的の為に数多の戦神と死の乙女へと捧げた供物。
今更ながら彼は、すまないという気持ちで一杯になる。
だが、背後は振り返らなかった。
彼は知っていた、この非情な敵に勝つためには自分もまた非情にならなければならないことを……
それが人の世で非道と呼ばれる行為であることを……
「ハルバンデフ!」
死者に、そして死に行く者達への手向けとばかりに、彼は声をあげてその名を口にする。
「ハルバンデフ!」
途中、何度か彼の行く手を阻むべく槍や異国の武器を手にした兵達が立ち塞がったが、彼はその全てを斬り捨てた。
もはや、彼を止めることは誰にも叶わない。
やがて彼の目の前に、漆黒の馬に跨り、黒衣に身を包んだ男の姿が現れる。
まるで血で塗ったように赤い、長槍を手にしたその男は……
「ハルバンデフ!」
まごうことなく、今や諸国を蹂躙する、現世の魔王と化したハルバンデフの姿そのものであった。
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)
「ハルバンデフ!」
全ての感情を込め、彼はその名を口にする。
しかし、ハルバンデフは何も答えない。
代わりに返してきたのは、手にした槍での心臓を狙った一撃だった。
あわやの所でその一撃をかわし、彼は戦慄する。
ハルバンデフの一撃には躊躇いが無かった。
間違いなく、こちらを殺す気なのだ。
……あぁ、私は
未だにまだ躊躇いがあるのだ、ということを彼は改めて思い知った。
躊躇いがあってはこの魔王は倒せない。
敵は、あの仲の良かった旧友ではなく、草原を制し、諸国を蹂躙した魔王なのだ。
「ハルバンデフ!」
もう一度その名を叫んだ時、ようやくカーズガンから全ての躊躇いが消えた。
二人は互いに、その首、その心臓、その急所を狙って激しく攻防を繰り広げた。
防御をし損ね、攻撃を受けたほうが死ぬ……それはそういう戦いだった。
最早、そこに兄弟のように仲が良かった親友同士の姿は無い。
そこにいたのは生き延びるために互いを殺そうとする二匹の雄だった。
何度目かに繰り出された槍先をはじいた時、その槍先はカーズガンの太腿に突き刺さった。
「がっ!」
思わず苦痛の声を漏らし馬上で体勢を崩すカーズガン。
そしてその首を取ろうと手を伸ばすハルバンデフ。
しかし、カーズガンはそれを待っていた。
彼は自分に伸ばしたハルバンデフの手を掴み、そして足に刺さった槍を掴むとそのまま力任せにハルバンデフを馬上から地面に押し倒した。
その間にも槍は彼の腿に深く突き刺さったが、もはや彼の口から苦痛の悲鳴は漏れなかった。
地面に落ちた拍子に、彼の肉を深く抉りながら槍が彼の腿から外れたが、それでも彼の口から悲鳴は漏れない。
最早痛覚など、彼にとって無駄な感覚でしかない。
最早彼は人ではない。
最早彼は手段にして道具だ。
人の身で『魔王』と畏れられた、ハルバンデフという存在を破壊し、殺し、消滅させるための道具だ。
自分に振り下ろされるのだろう剣に備えて、掴んだその槍を、カーズガンはハルバンデフの右手ごと踏みつけた。
力んだ拍子に、太腿から血が噴き出す。
残った片足をハルバンデフの胸において押さえつける。
魔王ハルバンデフは今や地に伏せられた飛べない鳥だ。
腰に下げたもう一つの剣を抜き、カーズガンがその首を取れば全てがい終わる……はずだった。
だが、カーズガンが振り下ろす剣の速度が一瞬だけ鈍った。
昂ぶった殺意の奔流によって押し殺していた過去の郷愁……それが彼の腕を鈍らせたのだ。
それが彼の命取りになった。
そして昂ぶりすぎた感情も命取りになった。
もし彼が何時ものように冷静ならば、彼がハルバンデフの右手ごと踏みつけている槍の先が無かったことに気付いたはずだ。
それは僅か一瞬の出来事だったが、勝敗を決するには十分な時間だった。
結局、カーズガンの振り下ろした剣は地面まで届かなかった。
何時の間にか姿を消していた槍の先は、ハルバンデフの左手にあり、そして彼はそれを投擲してカーズガンの喉を貫いていた。
それはカーズガンに致命傷を与えるには十分な一撃だった。
カースガンは口から血の泡を吐き、そして剣を落として仰向けに倒れた。
渾身の力を振り絞って立ち上がろうとはしたが、彼に出来たのはようやっと一度閉じた瞼を開くことだけだった。
見開た瞼の奥のその瞳には空に輝く銀の月が映っていたが、もうそれが何であるかカーズガンには分かるはずもない。
なぜなら、もうカーズガンには何も見えていなかったからだ。
カーズガンには、もう見えない。
ハルバンデフが立ち上がり、自分が落とした剣を手に近づいてくることも
自分が討ち取られたそのことを、ハルバンデフの部下達が触れ回っていることも
自分に従った部下達が次々に討ち取られ、最早草原に屍をさらしていることも
屍と化した自分の身体から、曝すために首を切り離そうと敵の兵達が近づいてくることも
全ての終わった草原を、月の銀色の光が照らし出していることも
だからカーズガンには分かるはずはなかった。
胴から切り離されたその首を掴んだハルバンデフのその両手が震えていたことも
そして、その月光の中で、誰にも知られずに密かに、ハルバンデフの流した一筋の涙も……
この日、草原の勇者であるカーズガンは死んだ。
だが、同時に、ある意味において、ハルバンデフもまた死んだことを誰も知らない。
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)
全ての感情を込め、彼はその名を口にする。
しかし、ハルバンデフは何も答えない。
代わりに返してきたのは、手にした槍での心臓を狙った一撃だった。
あわやの所でその一撃をかわし、彼は戦慄する。
ハルバンデフの一撃には躊躇いが無かった。
間違いなく、こちらを殺す気なのだ。
……あぁ、私は
未だにまだ躊躇いがあるのだ、ということを彼は改めて思い知った。
躊躇いがあってはこの魔王は倒せない。
敵は、あの仲の良かった旧友ではなく、草原を制し、諸国を蹂躙した魔王なのだ。
「ハルバンデフ!」
もう一度その名を叫んだ時、ようやくカーズガンから全ての躊躇いが消えた。
二人は互いに、その首、その心臓、その急所を狙って激しく攻防を繰り広げた。
防御をし損ね、攻撃を受けたほうが死ぬ……それはそういう戦いだった。
最早、そこに兄弟のように仲が良かった親友同士の姿は無い。
そこにいたのは生き延びるために互いを殺そうとする二匹の雄だった。
何度目かに繰り出された槍先をはじいた時、その槍先はカーズガンの太腿に突き刺さった。
「がっ!」
思わず苦痛の声を漏らし馬上で体勢を崩すカーズガン。
そしてその首を取ろうと手を伸ばすハルバンデフ。
しかし、カーズガンはそれを待っていた。
彼は自分に伸ばしたハルバンデフの手を掴み、そして足に刺さった槍を掴むとそのまま力任せにハルバンデフを馬上から地面に押し倒した。
その間にも槍は彼の腿に深く突き刺さったが、もはや彼の口から苦痛の悲鳴は漏れなかった。
地面に落ちた拍子に、彼の肉を深く抉りながら槍が彼の腿から外れたが、それでも彼の口から悲鳴は漏れない。
最早痛覚など、彼にとって無駄な感覚でしかない。
最早彼は人ではない。
最早彼は手段にして道具だ。
人の身で『魔王』と畏れられた、ハルバンデフという存在を破壊し、殺し、消滅させるための道具だ。
自分に振り下ろされるのだろう剣に備えて、掴んだその槍を、カーズガンはハルバンデフの右手ごと踏みつけた。
力んだ拍子に、太腿から血が噴き出す。
残った片足をハルバンデフの胸において押さえつける。
魔王ハルバンデフは今や地に伏せられた飛べない鳥だ。
腰に下げたもう一つの剣を抜き、カーズガンがその首を取れば全てがい終わる……はずだった。
だが、カーズガンが振り下ろす剣の速度が一瞬だけ鈍った。
昂ぶった殺意の奔流によって押し殺していた過去の郷愁……それが彼の腕を鈍らせたのだ。
それが彼の命取りになった。
そして昂ぶりすぎた感情も命取りになった。
もし彼が何時ものように冷静ならば、彼がハルバンデフの右手ごと踏みつけている槍の先が無かったことに気付いたはずだ。
それは僅か一瞬の出来事だったが、勝敗を決するには十分な時間だった。
結局、カーズガンの振り下ろした剣は地面まで届かなかった。
何時の間にか姿を消していた槍の先は、ハルバンデフの左手にあり、そして彼はそれを投擲してカーズガンの喉を貫いていた。
それはカーズガンに致命傷を与えるには十分な一撃だった。
カースガンは口から血の泡を吐き、そして剣を落として仰向けに倒れた。
渾身の力を振り絞って立ち上がろうとはしたが、彼に出来たのはようやっと一度閉じた瞼を開くことだけだった。
見開た瞼の奥のその瞳には空に輝く銀の月が映っていたが、もうそれが何であるかカーズガンには分かるはずもない。
なぜなら、もうカーズガンには何も見えていなかったからだ。
カーズガンには、もう見えない。
ハルバンデフが立ち上がり、自分が落とした剣を手に近づいてくることも
自分が討ち取られたそのことを、ハルバンデフの部下達が触れ回っていることも
自分に従った部下達が次々に討ち取られ、最早草原に屍をさらしていることも
屍と化した自分の身体から、曝すために首を切り離そうと敵の兵達が近づいてくることも
全ての終わった草原を、月の銀色の光が照らし出していることも
だからカーズガンには分かるはずはなかった。
胴から切り離されたその首を掴んだハルバンデフのその両手が震えていたことも
そして、その月光の中で、誰にも知られずに密かに、ハルバンデフの流した一筋の涙も……
この日、草原の勇者であるカーズガンは死んだ。
だが、同時に、ある意味において、ハルバンデフもまた死んだことを誰も知らない。
(ラダムストン著「カーズガン」終章より)
タグ