クッドが着目したのは、「絶対言語で嘘をつくことは可能か?」という問題でした。もしも可能であったら、絶対言語の発言を聞いた人はそのつど、それが事実であるかどうかという解釈を行わなければなりません。ですから、絶対言語による発話はそのすべてが事実である保証が必要です。
しかし、この保証は言語構造そのものに宿っているのでなくてはならない、とクッドは考えました。「嘘をついたら死ぬ」という制限をつけて会話をすれば、確かに嘘をつく人はいないでしょう。ですが、自分の死を省みないならば嘘をつくことも不可能ではありません。そして、一度嘘がつかれてしまえば、どの部分が、どのように嘘なのかで解釈の余地が生じます。
そこでクッドは、絶対言語の文法は物理法則に近いものに違いない、と結論しました。われわれの世界で下に支えもなく宙に石を浮かべて置けないように、絶対言語では、ある語は、それが所属する文全体が真となるような構造の一部としてでなければ存在できない。また、黒のコートを着ている人が「私のコートは」と言ったら、そのあとに「黒い」とつけるのは取っ手をひねるくらいの労力で続けることができるが、「赤い」とつけようとすると、一人で塔を持ち上げようとするくらいその言葉が重くて、とてもつなげられない。これが「クッドの絶対言語」です。
異端審問を恐れてあえて明言はしませんでしたが、それが神々でも従わなければならない法であることをクッドは示唆しています。ここからやがて越神論――神々をも支配する超越的な神、という思想が生まれてきます。
しかし、この保証は言語構造そのものに宿っているのでなくてはならない、とクッドは考えました。「嘘をついたら死ぬ」という制限をつけて会話をすれば、確かに嘘をつく人はいないでしょう。ですが、自分の死を省みないならば嘘をつくことも不可能ではありません。そして、一度嘘がつかれてしまえば、どの部分が、どのように嘘なのかで解釈の余地が生じます。
そこでクッドは、絶対言語の文法は物理法則に近いものに違いない、と結論しました。われわれの世界で下に支えもなく宙に石を浮かべて置けないように、絶対言語では、ある語は、それが所属する文全体が真となるような構造の一部としてでなければ存在できない。また、黒のコートを着ている人が「私のコートは」と言ったら、そのあとに「黒い」とつけるのは取っ手をひねるくらいの労力で続けることができるが、「赤い」とつけようとすると、一人で塔を持ち上げようとするくらいその言葉が重くて、とてもつなげられない。これが「クッドの絶対言語」です。
異端審問を恐れてあえて明言はしませんでしたが、それが神々でも従わなければならない法であることをクッドは示唆しています。ここからやがて越神論――神々をも支配する超越的な神、という思想が生まれてきます。
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