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人物

ワリバーヤ王朝2代目の王アルセスバハル一世に仕えた神官。
単純な自然信仰と英雄崇拝との混交物だった当時の信仰を、独自の理論で
もって整理し直しアルセス教として知られる教義をまとめあげた。
後に8代目の王ブラーサームの御世に同国で行われた刀狩の際には、
集められた刀を鋳造して彼の巨像が建てられている。

ミース・テーギル監修『簡易思想事典』聖ポルポフォンの項目より抜粋)

自ら聖典を記した事

アルセス教の開祖ポルポフォンは自ら聖典を記した。彼が生きた当時、
すでにワリバーヤには多くの国々から人々が訪れ、彼らの宗教に関する知識も伝わっていた。
ポルポフォンは異国人が奉ずる異教について興味を持ち、記録や宗教文書を調べてみた。
そこで彼が知ったのは真理であるはずの教えの記述にある矛盾点の数々であった。
例えば西方のある宗教の教祖は二通りの最期の言葉を残し
東方のある宗教で語られる聖王の一人は、即位した年齢に矛盾が見られた。
人の側が人の都合で作り上げたものならこのような間違いがあっても仕方の無いことである。
しかし、神や聖人によって語られたはずの教えに矛盾があっていいものか?
聞けば、それらの書や伝承は聖者の弟子や後代の人物によって残されたという。
同じ事柄でもそれを描写する者が多ければ、描写する者がいた土地や年代が
散らばれば、そこには必ず矛盾が生まれてくる。この経験からポルポフォンは
アルセス教を起こすとき、自らの手で聖典を書き、自分の元でそれを残させることにした。

こうして書かれたのがアルセス教の中心教典『啓示の告白』である。
この書はポルポフォンが自分の人生を振り返りながら、アルセス神から
啓示された教えを読み手に対して語りかける体裁をとっている。

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