宗教
ラナ神を崇拝する小宗教
ラナ信仰とも
ラナ神を崇拝する小宗教
ラナ信仰とも
死後の世界には、言上皇帝に仕える71の美しいラナが我々を迎えてくれる。
それゆえ、我々は安心して「死にたい」と言うことができる。
おまえラナだろ。
そう言われたら、否定してはならない。
ラナ教最大の宿題は「諦めることを諦めること」だ。
「諦めることを諦めること」に対しては
「諦めることを諦めることを諦めること」で何とかなってしまった。
無限に諦めることを続けていくと、一般人には
「諦めており、かつ、諦めていない」とも取れるような
複雑な状況になってしまう。これは諦めるの上位概念であるが、
この状況を正しく理解する者はラナ神に最も近づくとされている。
――我を崇めよ。
我こそは自宅守護神なり。
それゆえ、我々は安心して「死にたい」と言うことができる。
おまえラナだろ。
そう言われたら、否定してはならない。
ラナ教最大の宿題は「諦めることを諦めること」だ。
「諦めることを諦めること」に対しては
「諦めることを諦めることを諦めること」で何とかなってしまった。
無限に諦めることを続けていくと、一般人には
「諦めており、かつ、諦めていない」とも取れるような
複雑な状況になってしまう。これは諦めるの上位概念であるが、
この状況を正しく理解する者はラナ神に最も近づくとされている。
――我を崇めよ。
我こそは自宅守護神なり。
あの【空】と同じで家(内)に置いては全知全能であり、外(現実)に対しては全くの無力
全知はともかく、全能は言いすぎかなあ、とも思われている
すげえ!
あの教祖、諦めながら諦めてるぜ・・・!
全知はともかく、全能は言いすぎかなあ、とも思われている
すげえ!
あの教祖、諦めながら諦めてるぜ・・・!
信徒は【ニヴネーム】と呼ばれる「ラナと対話する時だけのための名前」を持つ。
これは入信時に当人が決めて筆記し、聖座(ラナ教のシンボル。薄い敷布を何百にも重ねたような直方状の立体)にその紙片を挟み込むことでラナに伝える。
このネームは誰に対しても伝えることはならず、またこのネームに誓った契約は親族100万の生命よりも重いとされる。
ラナ神を信仰する刀匠が断鉄剣を作る。
ラナ神を信仰する剣客が断鉄剣を振るう。
ラナ鉱から作られたラナ鉄は豆腐の様に断てる。
高位の聖職者ともなれば、それはもう、諦める。
外出を諦め、食事を諦め、そうして筋肉が衰えていき即身仏と成る。
これは入信時に当人が決めて筆記し、聖座(ラナ教のシンボル。薄い敷布を何百にも重ねたような直方状の立体)にその紙片を挟み込むことでラナに伝える。
このネームは誰に対しても伝えることはならず、またこのネームに誓った契約は親族100万の生命よりも重いとされる。
ラナ神を信仰する刀匠が断鉄剣を作る。
ラナ神を信仰する剣客が断鉄剣を振るう。
ラナ鉱から作られたラナ鉄は豆腐の様に断てる。
高位の聖職者ともなれば、それはもう、諦める。
外出を諦め、食事を諦め、そうして筋肉が衰えていき即身仏と成る。
ラナ神は断絶を司る。
グーチョキパーで言えば関連性を分かつチョキ。
これ以上中毒になる余地がないほど色んな中毒になってしまった
ラーノ
あるいは
ニノーノ
あるいは
フーフ
あるいは
一一ノ一ノ
……ラナ様がお忍びで降臨なさるときの為の偽名。
ときどきナーナーの群れのなかにこっそりまぎれている。
ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナ。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。
つまりこういうことである
グーチョキパーで言えば関連性を分かつチョキ。
これ以上中毒になる余地がないほど色んな中毒になってしまった
ラーノ
あるいは
ニノーノ
あるいは
フーフ
あるいは
一一ノ一ノ
……ラナ様がお忍びで降臨なさるときの為の偽名。
ときどきナーナーの群れのなかにこっそりまぎれている。
ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナ。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。ナーナー。
つまりこういうことである
( ゚∀゚)o彡゜ラナ様! ラナ様!
毎月行われる集会ではラナ神さまへの信仰の証として
腕がちびれるまで振り続ける宴が1日中くらい行われるのです。
ふぉぉぉぉぉおぉ・・・・ち☆び☆れ☆て、キタァァァァァァァァァァーーーー!!!!
とうそうしんは誰の心にもある。
逃げ得ぬものから8度逃げて、
人はそれに気づくという。
とうそうしんが目覚めた時、人は尋常ならざる力を得る。
能書きをたれるのも諦めてみよう。
という試みを諦めることにする。
という発言をするのを諦めた。
ところでタカシマヅと叫ぶのは朝の挨拶だったかそれともシニフィエ'を労う挨拶だったか。
久しぶりに笑ったら、顔が筋肉痛になりました。
私の両頬に宿るラナに感謝致します。
今日のラナ様への供物は何がよいであろうか…。
ただのスイーツ(諦)ごときでは喜んで下さるまい。
今日はラナ様のために心をこめて亜キラメ?を作りました。
本当はキラメを作りたかったのですが、私ごときでは亜種の作成が限界のようです。
どうぞお納め下さい。
だが、真のラナ教徒はいつでもラナ神の御下に立ち返る
ラナラナしいまでに
*固有の言葉遣い
ツケメン(呪いの言葉。禁句。言うと信者に袋詰めにされる)。
【ちびれる】というのはラナへの篤い信仰心が物理身体へ表出した現象を指す、ラナ教に特異な言葉である。
【腕がちびれる】は特に【ちびれ】が上下腕全体に集中した状態を指す。
【全身がちびれる】か【タマシイがちびれる】と、ラナとの対話に入ることができるという。
量子レベルのミクロな世界ではさ、物質は確率的にしか存在しないっていうんだ。すべては観測者が決めることで、それ以前には不確定な重ね合わせの状態にある……
っていうことは、こうも言えるんじゃないだろうか。つまり、俺は働いていないとも言えるし、働いていないとも言える、と。
もちろん、俺はミクロ存在じゃあない、それはわかる。
でも、もしこの宇宙全体を一個の原子とするような超巨大宇宙が存在するとすれば、その宇宙から見た俺は、働いているか働いていないかを確率的にしか論じられないことになる。
だから、そんな超宇宙があるとすれば俺は救われるんだ。無論、そんな規模の世界の不在を証明するなんて誰にもできないだろう。
ゆえに∴
俺は現宇宙的には働いていないが、超宇宙的には働いていると言えなくもない。
これは働いているものにも福音となるかもしれない。
彼は現宇宙的には働いているが、超宇宙的には働いていないと言えなくもない。
つまり彼は働きながらにして休んでいるとも言えるわけで……
私は現宇宙的には2ヶ月間休み一日で月の残業時間250時間を越えているが、超宇宙的には毎日遊んで暮らしているといえなくもない。
ラナにとって、働いてることは遊んでいることに等しいのですよ。
賃金を得つつ享楽の時を過ごす。
まさに至福。
――これこそが現実からのとうそうである。
ステージシフトも分岐宇宙もいらない。
趣味が仕事、仕事が趣味。
自己改革せよ。
苦悩は最適化されていない証拠。
不要部位は切除をお奨めする。
無料丁寧・迅速正確なラナ教医師団はいつでもおいでをお待ちしております。
現実からのとうそう。
現実からの逃走とは、
現実は、社会は、人間は斯くあるべきという見えない空気の流れへの闘争である。
ラナは逃走と闘争を両立する。
ラナたるもの、まわれ右してバック走。
言葉遊びできるうちはまだ元気ですよ。
そうか、ありがとう。
だが諦める
諦めるを諦めないのがラナの・・・ええと、まあ何でもいいや
どうせいつもの反復だ
「私たちには厳しい戒律があり、一日に6度、ラナの方角(夜は月の出ている方角、昼は太陽の反対側)に礼拝しなくてはなりません。
礼拝の内容はなんでもかまいません。マンガ、TV、ゲーム……ラナへの気持ちが大切です。
礼拝は一度につきおよそ2時間ほどで、とても就学や就労はできません。」
(日系ガロアンディア?人 タカシ・マヅアキラさん)
分かラナい!
変わラナい!
耐えラれナい!
逃げラれナい!
ためラわナい!
あきラめナい!
何をしてもラナ様はあなたのそばにいます。
いかに小さなラナに気づき、感謝するか。
それが大切なのです。
【諦める】
(読み)げんていめる
自らの運命を受け入れ、自己と自己の運命とを肯定する、神聖な態度。
不可能な目標や執着を諦めることにより、人は新たな一歩を踏み出すことが可能になる。
雨が降っていたら、学校だろうと仕事だろうと外には出ません。
わたしの内なるラナがそう命じるからです。
毎月行われる集会ではラナ神さまへの信仰の証として
腕がちびれるまで振り続ける宴が1日中くらい行われるのです。
ふぉぉぉぉぉおぉ・・・・ち☆び☆れ☆て、キタァァァァァァァァァァーーーー!!!!
とうそうしんは誰の心にもある。
逃げ得ぬものから8度逃げて、
人はそれに気づくという。
とうそうしんが目覚めた時、人は尋常ならざる力を得る。
能書きをたれるのも諦めてみよう。
という試みを諦めることにする。
という発言をするのを諦めた。
ところでタカシマヅと叫ぶのは朝の挨拶だったかそれともシニフィエ'を労う挨拶だったか。
久しぶりに笑ったら、顔が筋肉痛になりました。
私の両頬に宿るラナに感謝致します。
今日のラナ様への供物は何がよいであろうか…。
ただのスイーツ(諦)ごときでは喜んで下さるまい。
今日はラナ様のために心をこめて亜キラメ?を作りました。
本当はキラメを作りたかったのですが、私ごときでは亜種の作成が限界のようです。
どうぞお納め下さい。
だが、真のラナ教徒はいつでもラナ神の御下に立ち返る
ラナラナしいまでに
*固有の言葉遣い
ツケメン(呪いの言葉。禁句。言うと信者に袋詰めにされる)。
【ちびれる】というのはラナへの篤い信仰心が物理身体へ表出した現象を指す、ラナ教に特異な言葉である。
【腕がちびれる】は特に【ちびれ】が上下腕全体に集中した状態を指す。
【全身がちびれる】か【タマシイがちびれる】と、ラナとの対話に入ることができるという。
量子レベルのミクロな世界ではさ、物質は確率的にしか存在しないっていうんだ。すべては観測者が決めることで、それ以前には不確定な重ね合わせの状態にある……
っていうことは、こうも言えるんじゃないだろうか。つまり、俺は働いていないとも言えるし、働いていないとも言える、と。
もちろん、俺はミクロ存在じゃあない、それはわかる。
でも、もしこの宇宙全体を一個の原子とするような超巨大宇宙が存在するとすれば、その宇宙から見た俺は、働いているか働いていないかを確率的にしか論じられないことになる。
だから、そんな超宇宙があるとすれば俺は救われるんだ。無論、そんな規模の世界の不在を証明するなんて誰にもできないだろう。
ゆえに∴
俺は現宇宙的には働いていないが、超宇宙的には働いていると言えなくもない。
これは働いているものにも福音となるかもしれない。
彼は現宇宙的には働いているが、超宇宙的には働いていないと言えなくもない。
つまり彼は働きながらにして休んでいるとも言えるわけで……
私は現宇宙的には2ヶ月間休み一日で月の残業時間250時間を越えているが、超宇宙的には毎日遊んで暮らしているといえなくもない。
ラナにとって、働いてることは遊んでいることに等しいのですよ。
賃金を得つつ享楽の時を過ごす。
まさに至福。
――これこそが現実からのとうそうである。
ステージシフトも分岐宇宙もいらない。
趣味が仕事、仕事が趣味。
自己改革せよ。
苦悩は最適化されていない証拠。
不要部位は切除をお奨めする。
無料丁寧・迅速正確なラナ教医師団はいつでもおいでをお待ちしております。
現実からのとうそう。
現実からの逃走とは、
現実は、社会は、人間は斯くあるべきという見えない空気の流れへの闘争である。
ラナは逃走と闘争を両立する。
ラナたるもの、まわれ右してバック走。
言葉遊びできるうちはまだ元気ですよ。
そうか、ありがとう。
だが諦める
諦めるを諦めないのがラナの・・・ええと、まあ何でもいいや
どうせいつもの反復だ
「私たちには厳しい戒律があり、一日に6度、ラナの方角(夜は月の出ている方角、昼は太陽の反対側)に礼拝しなくてはなりません。
礼拝の内容はなんでもかまいません。マンガ、TV、ゲーム……ラナへの気持ちが大切です。
礼拝は一度につきおよそ2時間ほどで、とても就学や就労はできません。」
(日系ガロアンディア?人 タカシ・マヅアキラさん)
分かラナい!
変わラナい!
耐えラれナい!
逃げラれナい!
ためラわナい!
あきラめナい!
何をしてもラナ様はあなたのそばにいます。
いかに小さなラナに気づき、感謝するか。
それが大切なのです。
【諦める】
(読み)げんていめる
自らの運命を受け入れ、自己と自己の運命とを肯定する、神聖な態度。
不可能な目標や執着を諦めることにより、人は新たな一歩を踏み出すことが可能になる。
雨が降っていたら、学校だろうと仕事だろうと外には出ません。
わたしの内なるラナがそう命じるからです。
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