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人物/北方帝国

北方帝国の8代皇帝にして帝国史上唯一の独裁者。
子沢山で知られた7第皇帝の13子(19子という説もある)で、幼い頃は周りの人間で彼が皇帝になると思った人間は誰もいなかったという。
そのため、15の時から25になるまで国を出て放浪生活を送っていた時も特に本国から彼を呼び戻そうとする人間はいなかった。
この放浪時代にかれは各地の傭兵団や軍閥の臨時募兵団に加わって戦場生活を送っていたらしく、この時代の戦場の伝説や噂話には彼を指すのではないかと思われる話が幾つか見受けられる。

彼が25歳になった時に7第皇帝が後継者を指名しないまま崩御し、北方帝国では後継者争いの内紛が発生した。
その内紛の最中国に戻った彼は、央機卿でもない弱小貴族を唆してこの後継者争いに加わり、奇襲や伏兵を多用した巧みな用兵によりライバルである他の後継者達を次々に倒して遂には皇帝の座を手に入れる。
しかし、武力による即位という、帝国の政治体制を揺るがしかねない事態に危惧を覚えた央機卿達は彼と対立し、遂に刺客による暗殺(彼の寵妃が暗殺者であった)という暴挙に出てしまう(【3月事件】もしくは【後宮の悲劇?】)。
この事件の後、彼は央機卿制度の廃止と、彼と彼の任命した官僚による親政を発表し、央機卿達がこれに反発して武力蜂起を起こすよりも早く、以前より増強していた近衛兵団を各地に派遣して央機卿の一族を拘束し、彼らより領地を取り上げて代わりに代官を派遣してこれを治めさせた。
そのため、皇帝の権力は強大になったが、そもそも北方帝国自体が王による強権国家の植民地に対する圧政に反発して成立した国家だったので、各地の貴族・軍閥達や国民達はこれに大きく不満を抱いた。
この不満を逸らすために、今まで対立していた西方六カ国との友好樹立や産業の育成、貧民の救済等に力を入れたがいずれも上手くいかず、最後は起死回生を狙った草の民への征伐戦争(【ハルバンデフ戦争】あるいは【皇帝パトゥーサの遠征】)を起こすがこれに失敗し、国は崩壊状態に陥り、彼自身もこの時の傷が原因で他界する。
彼の内政の失敗は、その後北方帝国に長く尾を引くこととなり、草の民の王ハルバンデフにより国土の大半が奪われるのはその数年後、隣国リクシャマー帝国により国そのものが奪われるのはその30年後のそれぞれ出来事である。

央機卿を廃止した理由。

彼がやろうとしたのは、おそらく皇帝親政による中央集権国家です。もともと北方帝国は各本国に反旗を翻した領主達の連合体であり、彼らは決して北方帝国本体に対して絶対の忠誠を誓っているわけではありませんでした。

彼らが北方帝国に参加していた理由は、その時代においては北方帝国という国の一部であった方が貿易や土地から上がる収益への税制上都合が良かったというだけと言っても過言ではありません。

そのため、北方帝国本体はその広大な領土に関わらず、あまり国家収益は無く、また戦争や大災害があっても簡単には増税や臨時徴税が出来ないというジレンマを抱えていました。正しく言えば、央機卿の収入の方が国家予算より多かったそうです。

そのため、国全体は潤っていても、政府は福祉や公共投資と言った分野に投資する金が無く、北方帝国は建国当初から極端な貧富の差や、失業者問題(流入してくる流民問題)に頭を悩ませていました。

パトゥーサは中央集権国家を構築してその状態を是正し、国家が税金を徴収して今までできなかった投資等の政策を行うことで建国以来の問題を解決しようとしたようです。

また、西方諸国が北方帝国を国家として認めていなかったことから、一大消費地帯である西方諸国と貿易を行うのにバキスタ卿や草の民を通さなければならないと言った状態を、西方諸国に対する敵対政策から積極的に外交を行って国家として認めさせることに政策転換することで是正しようともしていたようです。

http://flicker.g.hatena.ne.jp/bigi_mixi/20070122流星ドライブ)より)

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