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生き物

夢占(ゆめうら)をしたとある都市在住の貴族の頭の中のマロゾロンドについて



 マロゾロンドは大陸に広く生息しており、彼ら(彼女ら)は地中に坑道を作り、そこを生活の拠点としている。支道は海鳥などが海藻類を固めて巣を補強するように、夜間人間の生活拠点から盗んできた雑貨類などを溶かしたもので強固に舗装されている。支道から枝分かれしている大小様々の分道には、彼らが食事や睡眠を取る空間が設けられ、そこには大マロゾロンドが守衛を務め、長マロゾロンドの元コミュニティを形成している。

 マロゾロンドが何から進化してきたのかは不明だが、彼らの生活拠点を調査した学者は、そこで卵の殻を発見している。当然のごとく、そこから交尾の結果産卵をして子孫を残していくと推察されたのだが、好意的なマロゾロンドの一人に話を聞くと波紋が広がった。曰く、彼らは卵を産まないどころか、そうした性欲だとか、母性という感情がないらしいのだ。では、彼らはどうやって時間の経過の中で存続してきたのだろうか?

 マロゾロンドには文化がある。彼らは自らと同種族の仲間を守ろうとする意思があるし、生活を向上させようという意思もある。黒衣をまとい顔を隠すのは、どうやら彼らの顔に個体差がないために生じている問題であり、それを解決するために踊りや多岐に渡る芸術活動でお互いの差別化を図っているようだ。具体例としては、あまり友好的ではない人間の真似をし、戦術教義を磨き上げる戦士マロゾロンドや、黒衣の上からさらに衣服を着込み、芝居に興じる劇団マロゾロンドなどが存在している。

 食料は、人間の認識では飴などの菓子類だったが、どうやら間違いらしい。彼らは草食である。草食というと、どうも地表に生育している短草を食んでいる姿を想像してしまうが、彼らはダイナミックとしかいいようのない食事をする。まず、守衛以外(彼らは三交代制で働くらしい)のマロゾロンドが円陣を組み、彼らの信仰している神マロゾロンドに祈りを捧げる。すると、地中の中にいる彼らの頭上に、根が降りてくるのである。大樹の根である。その土と癒着していたであろう古根を、彼らは奇天烈な掛け声と共に引っ張り続け、およそ半日ほど格闘し、ようやく陥没した大地と共に降ってきた大樹の葉にありつくのである。疑問点はいくつもあるが、一日二食の彼らの頭上になぜ都合よく大樹が生育し続けるのか(誰かが植えているのか? それは人間以上の存在なのだろうか?)、なぜ面倒な儀式を毎回行うのか(少なくても子マロゾロンドは飴一粒の栄養分で十分一日の摂取量をカバーできるのである)、降り注いだ土や虫はどこに消えるのか、などなど不気味な生態である。

 夢占なので話が前後するが、マロゾロンドの増え方についてである。卵の殻と子供の存在いう結果があるのだが、その結果を生み出すための要素に欠ける彼ら。第一、母性がないと証言したマロゾロンドにも子供がいて、子供はスクスクと成長しているのである。では、放任主義なのか? 違うらしい。特別マロゾロンド体験学習と題されたセミナーに参加した学者が目撃したのは、マロゾロンドという生物が、自らの裡に内在していたいくつかの感情や生態機能を、外部に別の生物として分化しているという驚愕の事実だったのである。それは生物学でたびたび議論に持ち上がっていた、共存している生物は元々一つの生物が、とある事情(問題)によりやもえず別の方向へ進化したという現象の具体例に近かった。そう、近いというだけで、その推論がそのまま当てはまるということでもないらしい。

 人間の記した文学を楽しむマロゾロンドのコミュニティの中に、母マロゾロンドと子マロゾロンドの組み合わせを見つけた。二人は、特に会話もなく、また各々の世界に没頭している。食事も排泄も祈祷も睡眠も、すべて関わりのない状態で過ごすのである。だが、時折母マロゾロンドが消えるのだ。そして、その代わりに現れるのが人間の女性なのである。人間の女性は、不意に甘え出す子マロゾロンドのために本を読み聞かせたり、持ち込んだ玩具で遊んだり、簡易ではあるが食事を作って食べさせたり、(羨ましいことに)膝枕をして子守唄を歌ってあげたりするのだ。人間の女性の瞳や表情に不審な点はなく、まるで我が子のように甲斐甲斐しく世話をするのだ。そしていつしか人間の代わりに母マロゾロンドが現れ、また無機質な母と子の生活が訪れるのだ。

 まさに驚天動地の事実である。いや、事実と言い切るだけの根拠は希薄だが、こんな考えを頭に浮かべた時点でわたしたちはそうであるのだ。

 人間は、マロゾロンドという種族を存続させるために生まれた生物なのだ。

 分かっている。かなり無理な話なのだが、なぜだかわたしはそう考えてしまう……。

 大陸の地方には、マロゾロンド自体を神として崇めている民族が存在し、また同時に、マロゾロンドを邪神と恐れる民族も存在する。思えば、大して下界(地上)に姿を現さないマロゾロンドを信仰するという行為自体がおかしいのだ。現に、学者たちでさえ、その遭遇は稀であったし、坑道を発見できたのは奇跡のようなものなのだ。マロゾロンドを信仰している人間たちは、元々彼らを信仰し、恐れ、人間が必要以上に干渉しないための壁としての役割を与えられたのであると考えられるのだ。

 大樹を植える民族の姿も確認できたそうだ。巨人の力を借り、広大な森から霊樹ともいえる樹齢何百年という樹を、マロゾロンドたちの頭上に植えなおすのだ。恐ろしいことに、その民族はその行為の重荷のせいで、すでに飢餓で何千という同胞を失い、絶滅の淵にある。

 技術の発展は戦争が大きな役割を果たすのは周知の事実だが、これもまた人間という種族に闘争本能や嫉妬心を分け与えたマロゾロンドたちの知恵だろう。自らは傷つくことなく、人間が戦争をし、興隆と共に残されていく文明の名残をすくい、地中に持ち帰ればいいだけなのである。思えば、人間の真似をして戦術教義や芝居に打ち込んでいたとされる彼らだが、実のところ、彼らこそがそうした文化を先に生み出し、人間が争うために授けたと考えた方がよほど自然である。何せ、年がら年中争ってきた人間と違い、マロゾロンドたちは醜さを知りながら平時の中で暮らしてきたのだから……。



 近年、病原体に感染した患者の中には、発症するものとしないものが、ある一定の確率で存在しているという説が唱えられている。俗に、デイジー(発症者・希望を失わせるもの)とキャリアー(感染者・病魔を広げるもの)と区別され、医者の中ではその考え方が広まっている。

 マロゾロンドの生活区にある卵の殻と、生み出された人間。そして、増え続けるマロゾロンドの子供たち。奴隷のように働く人間が死んでも、また新しい人間が生まれ、輪廻していく。

 わたしたちが狂者と恐れるハルバンデフ王やカーズガン選帝侯?。彼らは切に、人間は神の庇護から脱却するべきであると説いているという。それは平穏を願う民衆から見れば、まさに悪としか言えない思想である。しかし、彼らは本当におかしいのか?

 誰が発症していて、感染していて、健常であるのか……。

 マロゾロンドという生命が自然の中で編み出した生態系の檻の中にいるわたしには、これ以上の追求ははばかられる。もし、もしわたしがまだ感染状態だったとしても、この記述の後、飴細工のような自我が割れ、その生命の本性(本能)が湧き上がってくると思えるのだ……。

 いまも、館の外では激しい攻城戦の音が鳴り響いている。城門に杭が叩きつけられ、人間槍と呼ばれる撃ち出された火矢が城下に降り注いでいる。おそらく、城の兵たちの目を釘付けにし、地下に掘られた坑道を通り、一気に攻め込んでいる精鋭たちがいるのだろう。

 種はいつか滅ぶ、先生はそうおっしゃられた。それは外的な要因、つまりは環境の変化によるところが大きいと。地球も生物であり、そういうガイア論で言うなら、その中でわずかな我々が滅んでもさしたる影響はないのだ。

 ただ、わたしは別の考え方をしている……。

 世界を創造するのが、神であるなら……。



 世界はマロゾロンドのために生み出され、世界はマロゾロンドのために死ぬのだ。彼らが本当の神になるために、すべての命はそのために存在しているのだと。

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