多人数で神話を創る試み『ゆらぎの神話』の、徹底した用語解説を主眼に置いて作成します。蒐集に於いて一番えげつないサイトです。

北方帝国三代皇帝。「賢帝」ロゥガン。二代皇帝バルロスの七番目の子であり、上に六人の姉がいる。
「民の声を広く聞くことこそ自分の仕事である」として国中を視察し、道行く臣民にも分け隔てなく接したため、その人気は絶大であった。
晩年、国境付近を視察中に何者かによって暗殺される。

功績

2代皇帝バルロスは大層な子沢山であったが、生まれるのは女子ばかりで、七番目にしてようやく生まれた待望の男子が後の3代皇帝ロゥガンである。
その後さらに4人の妹と2人の弟が生まれたが、帝位継承を誰が行うのかは当初不明瞭だった。
というのも、幼少時のロゥガンは病弱で、家臣や両親からは心配され、姉達からは溺愛されていたのである。
成長するにしたがって身体を鍛えるようになったロゥガンは父祖譲りの逞しい肉体を得た。
兄弟姉妹同士の仲は良好であったが、次代皇帝を擁立しようとする宮廷内の暗闘によって、ロゥガンが成人するまでに姉2人、妹1人と弟2人が死亡している。
この悲しい経験からロゥガンは皇帝としての役割を深く考えるようになり、一つの結論を出した。
それが「北方帝国皇帝は臣民を導くものであると同時に、臣民への奉仕者でなければならない」という有名な言葉である。
即位したロゥガンはまず帝国の財政にもっとも注意を払った。
商業の振興、貿易の推進、諸国との外交に関して先代以上に力を入れ始めたのである。
また、貴族皇族に対しては「質素倹約」を厳しく言い聞かせ、貴族からも今まで以上に税を取り立てた。
皇帝の権威を強め、皇帝の力で帝国を動かせるように法整備を進めたのもロゥガンである。
そしてもう一つロゥガンと言えば有名なのが「国内行幸」である。
「臣民の声を広く聞くことこそ自らの務めである」としたロゥガンは宮廷にいる時間よりも遥かに長く、帝国全土を巡り歩きながら政務を執り行った。
街中を自らの足で歩き、町から街、村から村へは特注の大型馬車で移動し(これは走る執務室とも呼ばれた)、道行く臣民たちに困ったことはないかと声をかけ、
握手に応じ、生まれたばかりの赤子を抱いて祝福してやったのである。
実に即位から50年以上彼はこの生活を続けた。
庶民からのロゥガンの人気たるや絶大なものであり、今も「ロゥガン陛下御愛顧の品」「ロゥガン陛下逗留の宿」といった宣伝文句は帝国内で毎日目にすることができる。
反面、面白くないのが貴族たちである。
これまでの皇帝からは言われたこともない倹約を押しつけられ、税をむしり取られながら、庶民に持ち上げられる皇帝を見ることになったのだ。
「皇帝ともあろう御方が毎日泥と埃にまみれて恥ずかしくないのか」と陰口をたたく貴族も少なからずいたということが当時の記録に残っている。
そして在位56年目の冬、帝国北辺の国境付近を視察中にロゥガンは何者かによって暗殺される。
ロゥガンの方針に反対していた貴族の手の者ではないかと言われているが、下手人含めこの暗殺を企てたものは捕まっておらず、今もって不明のままである。
1週間にわたって臣民は村々に至るまで喪に服し、ロゥガンの遺言で禁止されていたにもかかわらず、殉死しようとするものが続出した。
遺体は宮廷内の地下墓所に埋葬されたと記録にあるが、第二次建国戦争の折り、宮殿が崩落したために正確な位置は現在不明となってしまっている。
タグ

関連リンク

其の他のリンク

アマゾンアソシエイト

管理人連絡先

amogaataあっとまーくyahoo.co.jp

紹介サイト


メンバーのみ編集できます

メンバー募集!