多人数で神話を創る試み『ゆらぎの神話』の、徹底した用語解説を主眼に置いて作成します。蒐集に於いて一番えげつないサイトです。

サフィスト=アークライト作。

物語

記述

 煉瓦造りの地下室。薄暗い蝋燭明かりの中、背の高い女と背の低い女、二人の女性がテーブルに座り会話している。
「どう、クラララリア?最近の収穫は」
「まずまずって処ね。マグドールの遺産中最大の秘宝『セラテリスの涙?』に、若かりし日のエーゼンティウス肉筆の紀神讃美歌写本?、《単眼神の群》の騎士の兜に、ダブルバインド?の奥義を記した禁書……どれもこれも国宝級の代物よ」
 その言葉に、背の低い女が興味深げにぴくりと眉を動かす。
「あら、その最後のやつ欲しいわ。譲ってくれない?」
「その話は後でね。……いろいろあったわ。ねえ聞いて聞いて、フロントクロンオルザウンに会ったのよ」
 背の低い女の返事はにべもない。
「へえ。それで?」
「それでって、それだけ?あなたも冷たいわね」
「あんな男の事なんか、私は知らない。勝手にどこへでも行けばいいのよ」
 と言って、その男の事を口にするのも嫌だ、という風に唇をゆがめる。
「そう、そうなんだ。じゃあ、あなたは今のところ、ノーマークって訳ね」
「そうよ。でもそれがどうしたの?」
トルクルトアに並ぶものなきエレヌールの唇はいまや誰のものでもない。フフフ……」
「??」
「……この時を待っていたのよ」
 そして、背の高い女はしばし躊躇したように唇を震わせて黙っていたが、やがて唐突に、そしてはっきりと喋り出す。
「エレヌール。あなた、詩を書いているでしょう?」
 背の低い女は冷静に、そして冷徹に言葉を返す。
「それがどうかした?詩なんてちょっと頭と趣味が良ければ誰だって書くわよ」
 構わず、背の高い女は続ける。
「しかも、その詩は、単に詩なだけではなくて、歌曲でもあり、同時に呪文でもある」
「……根拠はあるの?」
「私もちょっと覗かせてもらったわ。いやあ凄い凄い、あんなものを公衆の面前で歌ったら、一体どんなことになるか、想像するだに恐ろしいわね。いや、想像しようと思ってもできない、と言った方が正しいかしら?」
 今度は背の低い女の方が黙る番だった。そのまま少しの時間が過ぎるが、やがて覚悟を決め、ゆっくりと、まるで地獄の底から鳴るような、低く、そして恐ろしく良く響く声で喋り出す。その声にははっきりとした殺意がこもっていた。
「それを知られたからには、生かして返す訳にはいかない」
「あら、私も今死ぬ訳にはいかないわ。私はこれから獲物を盗んで、生きて帰らなければいけないんだもの」
 背の低い女がバッと椅子を蹴倒し立ち上がり、印を切りながら鋭い声で素早く呪文を唱える。
「Achaer - Miaska - Elik …… Ntto!」
 バシュッ!
 背の低い女、エレヌールの手から光る文字列の線条が矢の雨となって飛び出すが、その時には既に背の高い女、クラララリアはエレヌールの背後に回っていた。光る文字の矢たちは弧を描きながらクラララリアの方に向き直ろうとするが、しかしクラララリアが口元で何事か呟くと、まるで突然盲になってしまったかのように、速度を失ってへろへろと空中をさ迷い、やがて消えてしまう。
「きゃあ、凄い凄い!邪神たちの力をそんなにあっさりと引き出せるなんて……でもこんなもの、私には効かないわよ、愛しいエレヌール」
「クッ……」
 クラララリアは素早くエレヌールの両腕を後ろに回して右手だけで押え、左手で優しくエレヌールの口を塞ぐ。これでもう魔法は使えない。
「……でもね、私が欲しいのは、そんな後になんにも残らない魔法なんかじゃないの。あなたがあの詩で何をするのか、そんな事は私には関係ない。あの歌に何人が巻き込まれようが、私の知ったことじゃない。私が欲しいのはただ一つ……」
 エレヌールは必死にもがくが、両腕と首をがっちりと固められ、逃げ出せない。
「それは、エレヌール。あなたよ」
「……!?」
 クラララリアが、エレヌールの耳元でそっと囁く。
「……あなたの幸せ、ちょっぴり私に分けてください☆」
 そしてクラララリアはその左手をエレヌールの口から離して、ほっそりとした顎、首筋、そして年の割には控えめな胸へと滑らせる。
「エレヌール。最初に会った時からずっと好きだった……」
 たっぷりと時間をかけて、クラララリアはエレヌールの身体を愛撫した。それとともに、エレヌールのもがく力が徐々に弱まってくる。
「あんな長い長い、しかも恐ろしい詩を綴り出すとは思えないほど細くてきれいな手、すべてを見抜き通すかのような鋭い目、ラーネ川?のたゆたう流れのような長いゆったりとした髪、ぴんと張りつめて、今にもはちきれてしまいそうなその体躯……」
 もはや完全に力が抜け切って、クラララリアの手に身を委ねたまま、熱をもった頭でぼんやりと、エレヌールは考える。今まで数え切れないほどの至宝を盗んできた彼女の高名な左手が、今、自分の身体をまさぐっている。それを思い、エレヌールは少し可笑しくなった。私の大嫌いなこの穢れた肉体なんかが、誰よりも清く気高い彼女の手の内に入るなんて。ふと、エレヌールの心を言いようのない虚無感が襲う。
(……でもそれもいいか。どうせ捨て去る肉体だ。こんなもの、泥棒にくれてやればいい)
 しかし、そう覚悟を決めた途端、今にもその秘所に届きそうだったクラララリアの左手は、名残惜しげにエレヌールの肉体を離れた。そしてクラララリアはゆっくりと言葉を続ける。
「でもね、私が一番好きだったのは……」
 そう言いながら、クラララリアはエレヌールの両手を二人の頭の上に持ち上げて、自身は器用にエレヌールの前に回り込み、
「その誰よりも綺麗な声を紡ぎ出す……」
 自分の顔をそっとエレヌールの顔に近づけ、
「唇よ」
 そしてもうそれ以上言葉を紡ぐことなく、静かに、優しく、愛おしそうな、とびきりの口付けをした。
 そしてそのまま、しばしの時間が過ぎる。
 エレヌールは目を閉じ、自分の口の中にクラララリアの舌を受け入れる心の準備をした。
 準備をした。
 準備をした。
 しかしクラララリアの舌はエレヌールの口の中に入ってこない。
 (……?)
 エレヌールは恐る恐る目を開ける。するとクラララリアは、そのままゆっくりと身を離し、静かに言った。
「確かに頂いたわ。詩人エレヌールの唇。トルクルトア最大の至宝」
「……それだけでいいの?あなたは、私の事を好きだったんじゃないの?」
「肉体を奪っても、心を奪っても、魂までは奪えない。とりわけ乙女の初恋なんてものはね。あなた、まだオルザウンの事、好きなんでしょう?」
「! ……あなたは、何もかもお見通しなのね」
「そう。それでなきゃ、盗賊稼業なんかやってられないわ」
 クラララリアが、一度離したエレヌールの両手を、今度は自分も両手で、再びぎゅっと握り締める。
「エレヌール……」
「……」
 クラララリアの膝が、力を失い、ぐったりとくず折れる。そしてそのまま、エレヌールの両手に頬ずりをする。
「エレヌール……う……ううっ……」
 クラララリアは、泣いていた。
「クラララリア……」
「エレヌール……ずっと、ずっと好きだったのに……ぐすっ……私は、あなたの近くに居られるだけで良かったのに……」
「……」
「どうして……どうして、みんな私を置いて行くの……イロクトニオ?も、クルマルル?も、ニースフリルも、みんなみんな、好きだったのに……どうして……」
 エレヌールは黙ってひざまずき、クラララリアの肩にそっと手を回す。
「あなたがその詩を書いている間、私はずっとそばで見守ってたのよ、エレヌール……私は、誰よりも長い時間、あなたとその魔法と一緒に居たのに……それでも、あなたは、その歌を歌ってしまうの?」
「そうよ……それが、あの人に委ねられた、私の役割なの」
「あの人……?」
「そう……誰よりも孤独で、誰よりも弱く、誰よりも優しい……」


「そう……そんな奴が相手だったんだ。それじゃあ敵わないわね」


 『槍のタングラム』事件の後も、怪盗クラララリアはそれまでとなんら変わることなく盗みを続けた。誰にも心を許さない、誰よりも気高く美しい怪盗クラララリアの、その胸の内を知るものは誰もいない。

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