西川口 歓楽街
西川口流とは、2000年代前半に西川口の風俗街で行われていたサービスのこと。
西川口駅周辺は全国的にも知名度の高い風俗街の一つであった。川口オートレース場の最寄駅であり、かつては戸田競艇場の最寄り駅でもあったことから、その帰りの客を当てにした風俗店が細々と営業しているに過ぎなかったが、再開発に伴う赤羽のピンクサロン店の大規模な摘発により、それらの店舗が西川口へ移動。2000年前後からご当地流のサービスがスポーツ新聞、夕刊紙等で取り上げられることが増えるなど評判となり、連休などに他地方から風俗目当てで来る人までいたといわれている。検索エンジンで「西川口」と検索すると風俗関係のサイトが上位に並び、雑誌などでも多数、風俗街として紹介されることが多く、無店舗経営やマンション風俗なども入れると埼玉県下随一であった。全盛期は吉原に匹敵する関東有数の規模を誇っていた。「西川口風俗店」を目指して全国から多くの観光客も訪れていた。
歓楽街としての色彩が強まるにつれて、拳銃を使った殺傷事件をはじめ、大麻の売買など治安の悪化が続いた。西口駅前周辺の繁華街を中心にする犯罪組織の活動が活発化、殺人事件も発生しているため、治安回復が検討課題である。このような現状を受けて、2004年から毎月2回、自主防犯団体「安全・安心まちづくり推進協議会」の会員、NPO団体「ガーディアンエンジェルス川口支部」の支部員、防犯ボランティア、川口警察署員などが、歓楽街の防犯や環境浄化にあたって行動を行っているが、いまだに暴力団の抗争は存在している。
このような状況を背景とし、埼玉県警察は地元住民の要望を受け、2004年11月に西川口駅周辺の歓楽街を「風俗環境浄化重点推進地区」に指定。2006年5月の風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律改正を期に、売春防止法などで多数の違法風俗店を摘発した。これにより違法性の強い風俗店の多くが自主閉店に追い込まれ、2006年秋には大方の違法風俗店が閉鎖に追い込まれた。2007年4月現在、西口前に「性風俗営業待ち合わせ禁止区域」という非常に珍しい看板がたっており、摘発の跡をしのぶことができる。風俗店摘発により西川口駅西口周辺のビルが空き店舗となり、また風俗店や客を相手にしていた飲食店も閉店に追い込まれさらに空き店舗が増加した。特に一連の韓国料理店の撤退(韓国への帰国)が顕著である。摘発されたとはいうものの「風俗の街」というイメージは簡単には払拭されない為、空き店舗は埋まらず、シャッター街の様相を呈している。
なお、風俗街は、合法ソープランドなどは今も存在する。また、違法風俗店は、マンションの1室に移動したり、デリヘルなどに変わり、西川口のラブホテルなどでビジネスを続ける。それまで公にNK流などという方式をとって格安なサービスをしていたが、風俗環境浄化運動の煽りで地下に潜ったことで、より悪質な業者も存在している。不当な料金を請求したり、暴行事件が発生したりと風俗摘発の裏に潜む問題が昨今では露呈している。
2009年5月現在の、風俗状況では新たな風俗店が拡大をし、観光客の取り戻しが急がれている。とくにデリヘルの受付事務が盛んになっており、付近のラブホテルでは、ホテトル嬢が出入りを盛んにしている。ただ、これまでのようなNK流とはことなり相場が高めになっているのもあり、値下げ合戦はしばらく来ないと風俗関係者は語っている。しかし、高額になった分サービス面で以前よりまともになったという声も巷ではあり、今後吉原に継ぐ新たな風俗街へと展望する可能性を秘めているものの、警察などが徹底的に違法風俗店を摘発しているのもあり、客側も違法風俗店とそうでない店の見分けが今のところ困難になっているのも事実である。しかし、5月現在の売り上げ率は2008年の3倍以上になっており、西川口風俗の復活がまさに訪れようとしている。