法のパースペクティブ(木庭)
担当教官:木庭 顕 教授
2004年度 夏学期 必修(但し、同名の科目内で選択制)
1. 04年度の内容は、著名な民事法の判例を素材として、ローマ法以来の法律学の議論を媒介としながら、現代の我々が用いている法概念を捉えなおそう、というもの。
2. 素材として取上げられた判例は、占有・代理・委任といった民法の主要分野における、しかも基本書で通例触れられるような著名なものばかり。具体的に扱う判例は授業の初回で示される。その数じたいは少ない(平均して1回あたり2〜3件程度)が、その代わりに判決の原文を読み込んでくることが要求され、判例百選や解説を読んで済ませることは無理。
3. 授業のおおまかな構成は、1)判例を素材としたソクラティック・メソッド、2)判例じたいに関する先生のコメント、3)当該分野におけるローマ法の知見に関するレクチャー、の3つに分類できる。このうち1)が授業時間の7割ほどを占め、対して2)や3)は「駆け足」になることがある。
4. このうち1)では、典型的なソクラティック・メソッドが(LS内でも類例を見ないほど?)徹底して行われる。そこではテクニカルな知識や解釈論が問われることは少なく、むしろほとんどの場合には素材となる事件の「事案」について詳細に問われる(2.のような予習が求められるのは、このため)。教授による介入はほぼ皆無で、問答の積み重ねから「事案」の本質を明らかにすることになる。「正答」が出せないからといって叱責されるようなことはなく、根気強く答え続けることが第一になる。
5. よくある「懸案事項」として、ローマ法に関する前提知識はどれほど必要なのか、という問題がある(2.で述べたところでは3)の部分にこれが登場する)。毎回のようにラテン語のテクニカル・タームが登場するのは事実だが、その意味・内容については当然ながら教授の解説が加えられる。また(筆者の実感ではあるが)その全てを正確に理解することは本質的ではないので、特に繰り返される重要事項(「占有」、等)について理解ができれば、授業との関係では支障はない。
6. 評価については、04年度は口頭試験が行われた。具体的には、木庭教授を筆頭とする3人の試験官と学生1人が、授業の内容をベースとして約20分にわたり問答を繰り返す、というもの(但し、日程調整等の都合で受講人数が多い場合には実施不可能であり、現に05年度は受講者が多かったため通常の筆記試験が実施された)。他方、「平常点」は一切ない。そのため、授業中の問答で失敗してもそれが成績評価に響くものではない。但し、余りに欠席が多い場合には相応の対応がなされるのは、言うまでもない。
7. 授業の参考文献は、初回および各回ごとに教授から提示されるが、それを読まなければ授業内容が理解できない、というものではない。また、教授自身のローマ法に関する論文を読み漁る必要もない。但し、法学教室にかつて連載されていた「カタバシス」は参考になる。
8. やや乱暴に言えば、この授業はちょっとした「異世界」を楽しむものと言ってよい。この授業で学習する内容は、多くの場合、即座に・直接的な解釈論上の結論を示してくれるわけではないが、法的思考に関する起源や歴史を参照しつつ現在の法状況を捉えなおすという訓練は、二十年越し・三十年越しで効いて来るともいえる。何より、20世紀末の日本で起こった一流商社どうしの紛争を、共和政ローマの思考枠組によって分析する、という夢か冗談のような行程を、この授業では毎回のように参加しながら体験することができる。その意味では非常に珍しい授業である。
2004年度 夏学期 必修(但し、同名の科目内で選択制)
1. 04年度の内容は、著名な民事法の判例を素材として、ローマ法以来の法律学の議論を媒介としながら、現代の我々が用いている法概念を捉えなおそう、というもの。
2. 素材として取上げられた判例は、占有・代理・委任といった民法の主要分野における、しかも基本書で通例触れられるような著名なものばかり。具体的に扱う判例は授業の初回で示される。その数じたいは少ない(平均して1回あたり2〜3件程度)が、その代わりに判決の原文を読み込んでくることが要求され、判例百選や解説を読んで済ませることは無理。
3. 授業のおおまかな構成は、1)判例を素材としたソクラティック・メソッド、2)判例じたいに関する先生のコメント、3)当該分野におけるローマ法の知見に関するレクチャー、の3つに分類できる。このうち1)が授業時間の7割ほどを占め、対して2)や3)は「駆け足」になることがある。
4. このうち1)では、典型的なソクラティック・メソッドが(LS内でも類例を見ないほど?)徹底して行われる。そこではテクニカルな知識や解釈論が問われることは少なく、むしろほとんどの場合には素材となる事件の「事案」について詳細に問われる(2.のような予習が求められるのは、このため)。教授による介入はほぼ皆無で、問答の積み重ねから「事案」の本質を明らかにすることになる。「正答」が出せないからといって叱責されるようなことはなく、根気強く答え続けることが第一になる。
5. よくある「懸案事項」として、ローマ法に関する前提知識はどれほど必要なのか、という問題がある(2.で述べたところでは3)の部分にこれが登場する)。毎回のようにラテン語のテクニカル・タームが登場するのは事実だが、その意味・内容については当然ながら教授の解説が加えられる。また(筆者の実感ではあるが)その全てを正確に理解することは本質的ではないので、特に繰り返される重要事項(「占有」、等)について理解ができれば、授業との関係では支障はない。
6. 評価については、04年度は口頭試験が行われた。具体的には、木庭教授を筆頭とする3人の試験官と学生1人が、授業の内容をベースとして約20分にわたり問答を繰り返す、というもの(但し、日程調整等の都合で受講人数が多い場合には実施不可能であり、現に05年度は受講者が多かったため通常の筆記試験が実施された)。他方、「平常点」は一切ない。そのため、授業中の問答で失敗してもそれが成績評価に響くものではない。但し、余りに欠席が多い場合には相応の対応がなされるのは、言うまでもない。
7. 授業の参考文献は、初回および各回ごとに教授から提示されるが、それを読まなければ授業内容が理解できない、というものではない。また、教授自身のローマ法に関する論文を読み漁る必要もない。但し、法学教室にかつて連載されていた「カタバシス」は参考になる。
8. やや乱暴に言えば、この授業はちょっとした「異世界」を楽しむものと言ってよい。この授業で学習する内容は、多くの場合、即座に・直接的な解釈論上の結論を示してくれるわけではないが、法的思考に関する起源や歴史を参照しつつ現在の法状況を捉えなおすという訓練は、二十年越し・三十年越しで効いて来るともいえる。何より、20世紀末の日本で起こった一流商社どうしの紛争を、共和政ローマの思考枠組によって分析する、という夢か冗談のような行程を、この授業では毎回のように参加しながら体験することができる。その意味では非常に珍しい授業である。
2010年03月06日(土) 03:08:45 Modified by wasehou_kakomon