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サン・バルテルミの虐殺(仏:Massacre de la Saint-Barthélemy)は、フランスの宗教戦争であるユグノー戦争期の1572年8月23日夜から24日(サン・バルテルミの祭日)にかけて、パリを中心に展開されたカトリック教徒によるユグノー(新教徒)の虐殺事件をいう。英語表記では聖バーソロミューの虐殺(St. Bartholomew's Day Massacre)。

事件の背景

宗教改革者ジャン・カルヴァンの思想がフランスでも勢力を持ち、改革派(プロテスタント)はカトリック側から「ユグノー」と呼ばれた。ユグノー(huguenot)はドイツ語のEidgenosse(アイドゲノッセ、「盟友」の意味)から生まれた蔑称である。フランスでは1562年ヴァシーの虐殺以降、カトリック側と改革派の闘争があり、内乱状態となっていた。

1570年サン・ジェルマンの和議以降、フランス国王シャルル9世の信頼を得て権力を握ったコリニー提督(ガスパール・ド・コリニー、当時53歳)は、反スペイン外交を推進し、ネーデルラントの独立戦争を支持していた。一方、母后カトリーヌ・ド・メディシスは、平和回復のためユグノーのアンリ・ド・ナヴァル(のちのアンリ4世、当時19歳)と国王シャルル9世の妹マルグリット・ド・ヴァロワ(19歳)との政略結婚を成立させた。

事件の概略

1572年8月18日には新旧両派の和合のシンボルとして、アンリ・ド・ナヴァルとマルグリットの結婚式が挙行され、改革派の中心人物であるコリニー提督はじめ多くの改革派貴族が結婚を祝うためパリに集まっていた。しかし、国王の信頼を得て宮廷に勢力を拡大するユグノーのコリニーの存在におそれを抱き始めた王母カトリーヌ・ド・メディシスやギーズ家は、彼の暗殺を企図し、8月22日に彼を狙撃させて負傷させる事件が起きた。改革派はそれに対し憤り、国王に真相解明を求めた。黒幕は、コリニーに恨みをいだくカトリック派のギーズ公アンリ(22歳)が疑われていた。

コリニー暗殺が失敗に帰し、ユグノーからの報復を恐れた宮廷側は、アンリの婚儀のためパリに集まっていたユグノーの一斉殺戮を断行した。「私のことを非難する者がひとりも残っていないように、皆殺しにしてしまいなさい」という母の叫びに刺激された国王シャルル9世が虐殺計画に同意をあたえたとされる。

1572年8月23日夜からサン・バルテルミの祝日である翌24日明け方にかけて、ギーズ公の兵が改革派貴族を襲った。24日早朝には、サン・ジェルマン・ロークセロア教区の教会の半鐘の音を合図にコリニーら新教徒貴族200人以上を殺害した。最初に襲われたのはコリニーの屋敷であり、数名の兵士により腹を裂かれ、生きたまま窓から放り出された。ギーズ公に煽動されたパリ民兵組織もこれに加わった。

プロテスタントは、捕らえられて銃殺されたものもいたし、寝ているところを喉を掻ききられて殺されたものもいた。虐殺は女性・子どもを問わず、3日間におよび、セーヌ川は死骸で埋まったという。串刺しにされ、溺死させられ、縛り首にされた屍は、国王の兵隊によって市中を引きずり回された。

犠牲者の数は3,000人とも5,000人ともいわれている。虐殺は地方にも拡大していき、オルレアン、ルーアン、リヨン、ボルドー、トゥールーズなどでも起こり、以後、2か月間つづいた。犠牲者は1万を超えるともいわれる。この虐殺のなかで、ユグノーの作曲家クロード・グディメルも殺害されている。アンリ・ド・ナヴァルは捕らえられ、カトリックへの改宗を強制された。

なお、ローマ教皇グレゴリウス13世?は、虐殺事件の報を聞くと「テ・デウム」を歌って神を賛美し、記念メダルを作らせたという。

事件の影響

宗教的不寛容によるこの残虐行為は、この事件で頂点に達した。ユグノーにとって青天の霹靂となったこの事件は、このあと「暴君弑逆(しいぎゃく)説」という抵抗権思想を生み出す引き金となった。新旧両教徒の和解は完全に挫折し、第4次ユグノー戦争が始まることとなった。

このような大虐殺にもかかわらず、プロテスタント側はパリを脱出したナヴァル王アンリを新指導者にむかえて再び闘争を開始し、役人や軍人も交えて、以前にも増して強力な組織を結成した。カトリック側もカトリック同盟を結んでこれに対抗した。プロテスタント側は主に西南部、カトリック側は主に東部を基盤にして対峙した。同時に、ギーズ公の強硬路線についていけないポリティーク派とよばれるカトリック温和派が生まれた。

虐殺を命令したシャルル9世は消耗の果てに1574年5月この世を去り、1576年にはナヴァル王アンリも逃走して改革派に戻った。こののち、3人のアンリ(シャルルの弟アンリ3世、ナヴァル王アンリ、熱狂的なカトリックで弾圧側のギーズ公アンリ)が争う「三アンリの戦い」へと発展する。

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