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ジャン・カルヴァンはフランスの人文主義者・神学者・宗教改革者。

思想と生涯

フランス北部に位置するピカルディ地方ノワイヨンの出身。パリ大学では神学と哲学を、オルレアン・ブルージュの各大学で法学を修めて人文主義者?としての素養を身に付ける一方で、ルター?の書物からも影響を受けた。

1533年初頭に回心してフランスにおける宗教改革運動に加わるが、カトリック勢力からの迫害を受けてスイスのバーゼルに逃れた。カルヴァンの主著となる『キリスト教綱領』はこの時期に執筆されたものである。なお、『キリスト教綱領』初版の刊行は1536年であり、これを機にフランスの改革派はカトリックと完全にたもとを分かっている。

カルヴァンはいったんパリに戻ったあと、ジュネーヴの改革派市民に招かれてジュネーヴの宗教改革運動に参加、一時、反対派に追放されたが1541年以降は同地にとどまって、厳格な教会の改革を実現し、信仰にもとづく政府をうち立てて、指導者として大きな役割を果たした。

信仰にもとづく社会再編をめざしたカルヴァンは、日常生活の聖化や規律を重んじ、礼拝形式や教会組織のありように関しては、ルター派以上に反カトリック的で非妥協的であった。また、ルターやツウィングリの改革が、結局は国家教会体制の樹立に終わったのに対して、カルヴァンによるジュネーブの宗教改革が新しい型の改革を展開した。

カルヴァンは、都市ジュネーヴにとっては外部の人間であり、市民的もしくは都市政治的伝統の外にたっていた。ツウィングリのように都市当局との癒着状態はおきず、生涯を通じて都市当局と緊張、対立関係を維持した。カルヴァン神学の特徴である教会と国家の分離、区別の外的条件がここにあった。そのうえに、彼の神学思想が作用した。

カルヴァンの教えの前提は、神に選ばれ、救いに予定されていれば、市民生活も当然に神の意にかなう規律正しいものであり、隣人愛に燃え、徹底して隣人に尽くすはずだというものである。カルヴァン思想の集大成である『キリスト教綱要』の決定版は1559年に出版され、同書は神の聖なる教えとして市参事会によって認められ、ジュネーヴの宗教改革が確立された。

カルヴァンは、ルターと同様、信仰のみによって人は救われるとする信仰義認説?をとなえたが、さらに魂が救済されるかどうかは、あらかじめ全能の神によって決定されており、神の前では無力な存在にほかならない人間はみずから救われているかどうか知ることはできない、それゆえ人はひたすら規則正しい生活と職業に励み、神の栄光を讃えるべきだとする「予定説」を説いた。これは、神の絶対性と人間の受動性の主張を推し進めたものであるが、いっぽうで職業労働を神の栄光をあらわす道であり、職業こそは神のあたえた天命であるとの職業召命感と結びついた。この教えは営利に不審の目を向けていた中世以来のキリスト教とは異なり、職業の成功を「神に選ばれた民」の証しとすることとなり、質素・倹約・勤労の重視とともに西ヨーロッパのまじめな商工業者や知識人のあいだに広く普及した。

改革派は教会の位階秩序や聖職者の特権を認めない万人司祭主義を採用したが、カルヴァンは信徒のなかで信仰のあつい者を長老として選び、牧師とする長老主義をとりいれた。彼は自律的教会訓練、「不品行者を教会から除外、または治癒、矯正する方策」を教会に確保することに心血を注ぎ、教会政治の職制としての「長老制」を確立させた。それにより、市民は厳しい公共道徳を要求され、市民生活の隅々まで厳格な規律が求められた。これはカルヴァンの予定説教義の一側面でもあった。人間の救いは神が予定しており、人間は神の道具にしかすぎないという考えである。

こうして、予定説をはじめとするカルヴァンの神学やジュネーヴでの思想の実践は、後継者によって受け継がれ「カルヴァン主義」と呼称されるようになり、プロテスタント思想の発展に多大な影響をあたえた。

カルヴァン主義者は、イングランドではピューリタン、フランスではユグノー、オランダではゴイセン、スコットランドではプレズビテリアンズと呼ばれた。また、かれらは、フランスではユグノー戦争、オランダではオランダ独立戦争、イギリスではピューリタン革命をひきおこし、アメリカへはピルグリムファーザーズとして植民地建設に従事するなど、各国の近代化に大きく貢献した。

カルヴァン派の勢力より優勢な宗派が存在したこれらの国々では、彼らは「神の道具」意識に基づき、積極的な行動主義をとった。能動的な抵抗運動を展開し、信仰の自由のために、あるいは民族運動と結合し国の独立のために戦い、ヨーロッパ近世の歴史を動かした。

フランスからの独立運動と絡んだスコットランドの宗教改革は、ノックスに指導された。彼は、亡命中にカルヴァンを知り、故郷にカルヴァン的宗教改革をもたらして自ら『スコットランド信仰告白』を起草した。

ネーデルラントでは、スペイン(ハプスブルク家)の過酷な支配からの独立運動と宗教改革運動とが結合した。1566年、カルヴァン派の教会会議は蜂起を支持した。北部地方(オランダ)はユトレヒト同盟に結集して、あらゆる信仰強制に対する抵抗が誓われ、最終的にカルヴァン派の厳しい教会規律が打ち立てられて独立を獲得した。

フランスでは、宗教改革は王権と貴族の政治闘争に完全に巻き込まれることとなった。1572年サン・バルテルミの虐殺(2万−5万人)にもかかわらず、ユグノーは貴族と同盟し、教会の組織化を着実に進めていった。1598年、ユグノー出身でカトリックに改宗した国王アンリ4世によるナントの勅令?で、改革派教会もしばらく容認されることとなった。

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