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明智秀満(あけちひでみつ)は、戦国時代?から安土桃山時代?にかけての武将?織田氏?家臣の明智光秀?の重臣で女婿。字は弥平次。本能寺の変?では光秀軍の先鋒を務めた。

生涯

天文5年(1536年)生まれ。ただし、天文4年(1535年)説や天文6年(1537年)説もある。

天正6年(1578年)頃、荒木村重?の嫡男村次のもと妻で、村重が織田信長?に謀反を起こしたため離縁された光秀次女(養女)革手を正妻とした。

天正9年(1581年)、光秀による丹波平定後は福知山城主となった。

天正10年(1582年)6月2日、光秀が信長を討った本能寺の変では惟任(明智)軍1万3千の先鋒となって京都の本能寺?を襲撃した。

その後、光秀は蒲生賢秀・氏郷が留守居を務めていた安土城?を接収、6月5日に入城した。7日、光秀は安土城で勅使として差遣された吉田兼見と会見、翌8日には光秀は秀満に安土城の守備を命じてこの地を発し、本拠坂本城?に帰還した。

6月14日、安土城守備にあった秀満は、13日に光秀が羽柴秀吉との山崎の合戦?で敗北した知らせを聴き光秀軍に加わろうと移動、秀吉の命で安土に向かっていた堀秀政?軍と大津で遭遇して一敗地をまみえた。秀満は琵琶湖を小舟を用いて渡り、光秀の居城坂本城に入った。坂本城留守居衆は光秀が小来栖で横死した報に接しており、秀満は、三宅周防守、荒木山城守ら重臣に金言を与え、城から脱出するようにすすめ、光秀の妻子を刺し殺し、みずからは腹を十文字にかき切って、城に火を放った。

秀満の父とも考えられる三宅出雲は6月29日に丹波横山で捕縛され、7月2日には京都粟田口で磔刑に処せられた。

人物・逸話

  • 思慮深い教養人で、人間的にも優れた資質を備えた人物との評価が高く、主君光秀からの信頼も厚かった。
  • 本能寺の変の直後の6月5日、織田信行(信長弟)の子で光秀女婿であった津田(織田)信澄が大坂城千貫櫓で織田信孝・丹羽長秀に急襲され自害したのち、光秀は三女の夫である長岡(細川)忠興と父藤孝を自軍に誘ったが、藤孝父子は秀満に書状を送り、光秀との義絶を表明した。
  • 『太閤記』『秀吉事記』『池田氏家譜集成』では安土城は秀満が放火したと記しているが、吉田兼見の日記『兼見実記』では安土放火を6月15日のこととして記しており、ルイス・フロイス『日本史』では秀満は放火せずにそのまま坂本に向かったと明白に記している。これについては、織田信雄放火説、類焼説などがあり、いずれも決め手を欠いている。そこで、秀満退去から信雄入城の間の「空白の一日」に焦点をあて、掠奪の果てに農民・野伏などによって無人の安土城に火がかけられたのではないかとする作家工藤章興の推論もある。
  • 堀秀政との一戦ののち坂本城に入城した秀満は、国行の刀、吉光の脇差、虚堂の墨跡など天下の名品を寝具に包んで目録を添えて秀政の一族堀直政に差し出している。

出自・伝承

出自に関しては、俗説には光秀の従弟明智左馬助光春という人物に相当するとされる。あるいは晩年に改名した可能性もある。これには異説があり、秀満は明智氏家臣三宅氏の出身であり、光秀の女婿となったことから明智の名乗りを一代限りで許されたという可能性もある。宝賀寿男の研究によれば、「宮城系図」より細川家熊本藩に仕えた武士に明智秀満の子孫を名乗る三宅氏がいるとのことである。これによれば、秀満の子とされる三宅藤兵衛重利はのちに九州の寺沢堅高?の家臣となり、天草富岡城代を任されたが天草・島原一揆?に際して戦死しており、この重利の子孫が熊本藩士として召し抱えられたというものである。

一説には、光秀の墓のある坂本西教寺には秀満の墓がなく、過去帳に名前もないことから、秀満は坂本城では本当は自害していないのではないかとの見方があり、その場合、秀満こそ江戸時代初期の天海僧正となったのではないかとする説もあるが、これは一般に根拠に乏しいと見なされる。

参考文献

  • 奥野高広「明智秀満」河出書房新社『日本歴史大辞典 1』1979.11
  • 工藤章興「検証 天主炎上の謎」学習研究社『歴史群像27 風雲信長記』1992.1

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