聖アウグスティノ修道会の修道士を経てパリ大学に入学し、1499年、イングランドへ赴く機会を得た。そこで人文主義者ジョン・コレットや政治家・人文主義者
トマス・モア?、ヘンリ王子(のちの
ヘンリ8世?)などと知り合った。エラスムスは古典・神学に通じており、1509年に著した『
愚神礼賛?』ではカトリック教会の腐敗をきびしく風刺して宗教改革の興起にも大きな影響をあたえた。ただし、激しさを増していった
マルティン・ルター?の宗教改革の動きにはみずからは加わらず、ルターとは対立した。1524年から26年にかけてのルターとの論争はつとに有名であるが、1516年に『
ユートピア?』を発行したトマス・モアとは生涯の友人であった。1536年7月12日にスイスのバーゼルにて死去。なお、エラスムスの出生地に近いロッテルダム大学は彼の名を冠している。