旅と歴史用語解説(歴史学・考古学・民俗学用語集) - エラスムス
エラスムス(Desiderius Erasmus、デジデリウス・エラスムス、1467年ごろ - 1536年)は、ネーデルラント出身のルネサンス時代の司祭で人文主義者?。主著は『愚神礼賛』、『自由意志論』。

生い立ち

エラスムスは、司祭であった父ロドゲル・ゲラルドと、医師の娘で未亡人であった母マルガレーテとの間の私生児として、1467年ごろ、ネーデルラント(オランダ)のロッテルダム近郊ハウダで生まれた。1483年、両親がペストによって相次いで死亡。エラスムスと兄ピーテルは親族の意思によりスヘルトーヘンボス(デン・ボス)の学校に送られ、共同生活兄弟団の経営する寄宿舎での生活を始めることとなった。

事績

聖アウグスティノ修道会の修道士を経てパリ大学に入学し、1499年、イングランドへ赴く機会を得た。そこで人文主義者ジョン・コレットや政治家・人文主義者トマス・モア?、ヘンリ王子(のちのヘンリ8世?)などと知り合った。エラスムスは古典・神学に通じており、1509年に著した『愚神礼賛?』ではカトリック教会の腐敗をきびしく風刺して宗教改革の興起にも大きな影響をあたえた。ただし、激しさを増していったマルティン・ルター?の宗教改革の動きにはみずからは加わらず、ルターとは対立した。1524年から26年にかけてのルターとの論争はつとに有名であるが、1516年に『ユートピア?』を発行したトマス・モアとは生涯の友人であった。1536年7月12日にスイスのバーゼルにて死去。なお、エラスムスの出生地に近いロッテルダム大学は彼の名を冠している。

肖像画

ドイツの肖像画の巨匠ホルバインによる『エラスムス像』がよく知られている。


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