1518年4月22日、ピカルディのラ・フェレで生まれた。父はヴァンドーム公シャルル・ド・ブルボン、母はフィリップ6世の弟シャルルに始まるアランソン家のフランソワーズ・ダランソン。
コンデ親王ルイ(コンデ公ルイ1世)は弟にあたる。
1555年、ナヴァル女王フアナ3世(
ジャンヌ・ダルブレ)と結婚してナヴァル王となり、王国の共同統治者となった(在位:1555年−1562年)。フランス語ではアントワーヌ1世、スペイン語ではアントニオ1世と呼称する。
フランス絶対王政の基礎を築き、
ブルボン朝の始祖となった「フランスとナヴァルの王」
アンリ4世はアントワーヌとジャンヌ・ダルブレとの間の息子である。
最初プロテスタントであったにもかかわらず
カトリーヌ・ド・メディシスによってルーヴルに軟禁されているうちに、色仕掛けでカトリックに改宗させられ、カトリック軍の大将として戦いに参加したとき戦死した。