1584年6月15日、王弟アンジュー公が死亡し、ヴァロワ王家の男子は国王を除いて死に絶えた。そこで国王
アンリ3世はフランスの相続法にもとづき、新教徒のアンリ・ド・ナヴァル(のちの
アンリ4世)を継承者として承認した。新教徒の王が生まれることに対してカトリック派は猛反発し、ギーズ公は
カトリック同盟を再建、「異端者」の即位を断乎阻止しようとした。1585年1月2日、ギーズ公はスペイン王フェリペ2世と条約を結びカトリック同盟への支援をとりつけ、3月にこの宣言が発せられるに至った。
また、この宣言は国王アンリによる7月の
ヌムール勅令を引き出し、これによって第8次ユグノー戦争、世にいう「
三アンリの戦い」の始まりとなった。