新旧両教徒の和解を目的に、ユグノーに都市郊外での礼拝を認めるという内容であった。しかし、これはかえって火に油をそそぐ結果となり、カトリック教徒の怒りを招いた。「ユグノー」を制圧するために
十字軍?の結成を呼びかける声があがり、
ギーズ公フランソワ、モンモランシー元帥、サン・タンドレ元帥は、みずからのカトリック信仰をそれぞれ一生涯にわたって守ることを誓い合った。
この勅令は、意図とは逆に、
ヴァシーの虐殺を引き起こす原因となった。1562年3月1日、プロテスタントの礼拝集会がヴァシーの市内でおこなわれていたところから、ギーズ公は、それを逆手にとって勅令違反として虐殺を正当化したのである。