旅と歴史用語解説(歴史学・考古学・民俗学用語集) - 啓蒙絶対主義
啓蒙絶対主義(けいもうぜったいしゅぎ、独:Aufgeklarter Absolutismus)または啓蒙専制主義とは、18世紀?後半における中欧から東欧にかけて特徴的な統治様式をさす学術用語であり、具体的には、プロイセン?フリードリヒ2世?(大王)、オーストリア?ヨーゼフ2世?ロシア?エカチェリーナ2世?スウェーデン?グスタフ3世?などが代表的な啓蒙専制君主?として掲げられる。

概要

啓蒙絶対主義(啓蒙専制主義)とは、英仏蘭などの西欧諸国に対して後進性を有したヨーロッパ中央部・東部の君主が、百科全書派?などの啓蒙思想?に理解を示し、絶対主義という統治体制の枠のなかで、信教の自由や教育の改革、法典の編纂、産業の育成など、臣民の福祉の向上につらなる施策を進め、「上からの近代化?」と称される諸改革を実現しようとする体制および現象をさしている。

啓蒙専制主義の語の初出は、1760年代のフランス重農主義?者の著作によっているが、19世紀のドイツの国民経済学者ロッシャー?が1847年に発表した論文のなかでAufgeklarter Absolutismus(啓蒙絶対主義)の語を学術用語として使用し、そこでは、絶対主義の3段階論として、
1.フェリペ2世(スペイン)に代表される宗教絶対主義
2.ルイ14世(フランス)の宮廷絶対主義
3.フリードリヒ2世の啓蒙絶対主義
を提起した。この分類案はのちに歴史家から批判され、1.および2.の把握は支持されなくなったが、3.のみは、18世紀後半の中東欧の統治体制を表現する概念として好適であるとして現在も用いられている。

参考文献

・鈴木直志「世界史Q&A 啓蒙絶対主義(啓蒙専制主義)について」山川出版社『世界史の研究217』2008年11月。