啓蒙絶対主義(啓蒙専制主義)とは、英仏蘭などの西欧諸国に対して後進性を有したヨーロッパ中央部・東部の君主が、
百科全書派?などの
啓蒙思想?に理解を示し、絶対主義という統治体制の枠のなかで、信教の自由や教育の改革、法典の編纂、産業の育成など、臣民の福祉の向上につらなる施策を進め、「
上からの近代化?」と称される諸改革を実現しようとする体制および現象をさしている。
啓蒙専制主義の語の初出は、1760年代の
フランス重農主義?者の著作によっているが、19世紀のドイツの国民経済学者
ロッシャー?が1847年に発表した論文のなかで
Aufgeklarter Absolutismus(啓蒙絶対主義)の語を学術用語として使用し、そこでは、絶対主義の3段階論として、
1.
フェリペ2世(スペイン)に代表される宗教絶対主義
2.
ルイ14世(フランス)の宮廷絶対主義
3.フリードリヒ2世の啓蒙絶対主義
を提起した。この分類案はのちに歴史家から批判され、1.および2.の把握は支持されなくなったが、3.のみは、18世紀後半の中東欧の統治体制を表現する概念として好適であるとして現在も用いられている。