□□□GunslingerGirl 〜ガンスリンガーガール〜 コラボ劇場 ■■■
−−「名前・・・それは命」−−// クラエス、ラバロ
       //壱拾参−3 ◆NqC6EL9aoU // Clossover,Suspense,Action,Dark//2009/09/05


     □□□GunslingerGirl 〜ガンスリンガーガール〜 コラボ小劇場 ■■■
             −−「名前・・・それは命」−−

コートの裾を翻し夜の闇と光に紛れ1人の男が歩く。

恐らく同年代の男が被れば哀れな禿隠しとしか思えないようなキザな帽子も、
その男が被ると、まるで彼が被るために神が仕立て誂えた・・・。
そんな言葉すら似合ってくる。

男は道を急いでいた。

懐の鉤刃のナイフは、しなやかに伸びる猫科の獣が手先に隠す爪のように
何時でも擦れ違う全ての人を瞬時に討てるように狙っていた。

事実、ここ数日の内に、そのナイフは数名の者達の肉体を切り咲いていた。
しかしその初老の男は気配にもそれを見せないのだ。

驚くことに男は、辿り付くには茨の道であろう偽名で予約した機上に、美酒と、
それに相応した酒肴を用意させているのだった。
最上か・・・死か・・・追いつめられる程、男の野生は狂気と力を増幅させていった。

故に男は、美しい黒髪が意味する高貴さと、手にした超高級ブランドのポーチと
いう組み合わせで、この時間に街を歩く少女の不自然さには、危険な違和感を
感じずには居られなかった。
また彼はその愚かな選択を許せなかったのである。

「失礼を申し上げるが・・・」
男は少女との間に距離をおいて語り掛けた。

「何でしょう?」
帰ってきたその声は、正に彼の理想を擽るような品のあるものだった。

「今は高貴な御嬢さんが歩く時間ではない。またそのポーチは君には似合わない。」
そう言われた少女はキョトンとして足を止めた。
「まるで君がポーチに手綱を取られている様は、全く正視に耐えない。人はモノに
従わされる存在ではない。」

そう言われた少女は、ポーチを両手で胸元にとって持ち、しげしげと見つめた。
「そのポーチの製造元である鞄屋は元々は馬具屋だ。まだ自由の元にあるべき
可愛らしい子馬に、この時間に"馬具"を着け引き回してるのは何者かね?。」

男に視線を返した黒髪の少女の目は澄んでいた。
余りの透明さに男は視線を少し逸らした。

「そんな馬鹿者とは早く手を切るんだな。もしそのポーチを欲しい故に今を出歩いて
いたならば。では。」
帽子の鍔に軽く触れ、一瞥した彼が一歩を踏み出そうとした瞬間だった。

「貴方は多分、そう仰ると聞いていました。」
視線を上げた男は"やはりね"とは思っていた。
「動かないでください・・・」

だが百戦錬磨の殺人鬼の男でも、少女がグロックのG18をポーチから出した事には
驚きを隠せなかった。
「随分と酷いパーティジョークだ。撃てるのかな?」

「ご心配なく。フルオートの実射訓練済みです。」
そう言いながら少女は摺り足で素早く後退しナイフのアウトレンジに移動しG18を
持つ腕を街灯の柱に押しつけた。

「君は・・・べーカー街から来たのか?学芸会よろしくの探偵ゴッコなら止めることだな」
男の冗談を意にもせず、少女はインカムの無線式の通話装置を取り出す。
「答えは外れです。もう一度言います・・・動かないでください。もしあの女性と生きて
再び会いたいなら。」

少女はヘッドセットを耳に入れスイッチをonにした。
「ラバロさん・・・聞こえますか!クラエスです。大尉!クラエスです!・・・彼を追い
つめました。」
その会話を聞いた男の不敵な眼差しが急に緩んだ事にクラエスは気が付かなかった。
「はい・・・はい・・・急いでください・・・」

男の余裕すら見せる口元が更に緩るんだ。
「ハハハ・・・これはこれは。降参だ、お嬢さん。」
懐かしさや安心すら覚える笑い声だった。
低く優しい・・・それはクラエスにとっては全てを受け止め、抱きしめてくれる存在の
穏やかさを思わせた。

懐かしい・・・それが何であるのか判らないけど・・・故にクラエスの心は怯えた。
この人は・・・何故こうまで優しく笑うのか?
それは未だに逃げきれる手段を持つ余裕なのか・・・。

「これはまた柔らかそうな喉元だ・・・実に素晴らしい。」
その言葉がクラエスを現実に引き戻した。

「誉めても・・・何も有りませんよ。私は油断しない。」
「・・・ほう、君はますます私が愛する彼女に似ている。」
「表音違いとはいえ彼女は彼女、私は『クラエス』です。彼女の容貌は存じませんが、
年齢差があるだろう彼女と私が似ていると思うのは貴方の浅い願望です。」
「だが柔らかい喉元は似ている。実に素晴らしい。」

そう言いながら彼は、慈愛に似ながら悪辣で狡猾さに溢れた魔物のような眼差しを向けた。
彼の視線は、すぅぅぅっと音でも立つようにクラエスの耳の下から鎖骨の辺りまでの
柔らかなカーブを描いている首筋を、皿に付いた極上のソースを十分に拭い絡ませて
賞味するがごとくかすめていった。正に最高の主菜との出会いを喜び満足したかのように。

「是非、君の喉元を切り開いて新鮮な唾液腺をリ・ド・ヴォーのレシピで味わってみたい。
未だ乳臭さの抜けない君ならば、多分美味しい・・・」
クラエスはプルルっと震えた。それは小用をした後に出るそれと似ていた。

「何人の女性に・・・そう言ってきたんですか?」
「いいや。君のような可愛らしい娘に銃口を向けられたのは初めてだ。故に食べたい
などと魔が差したのも初めてだな。あの愚者の気持ちを少し理解したよ。」

この、はしたない震えを決して止められないように、彼もまた同じくヌラヌラと
血の匂いが香る様を愛でる喜びを止められないのだろう・・・クラエスは恐怖した。
あまりにも神々しく洗練された狂気・・・。

「私には・・・余り味わうところなんて・・・有りませんよ。」
「ほぉ・・・何故?君のような柔らかそうな子羊は食べられないところなど何一つ
無いと私は思うがね・・・。」
「理由は後で教えましょう・・・

           ハンニバル・レクター医学博士。」

そういうクラエスにハンニバル・レクターは益々の驚きと尊敬ともいえる
眼差しを向けた。

「これはこれは。G18のフルオート射撃と共に、適切な敬称の教育まで受けて
いるとは。驚きだな。」
「・・・お褒めを戴き感謝します。語学や文学、詩歌まで教わってます。何処かの
貧国の幼年兵とは違いますよ。」
「ふぅ・・・これはとんだ御嬢様学校があったものだ。」
目を伏せ首を左右に振るとレクターは笑った。

「後は乗馬とダンスとスカッシュ、そして寮での宿題は貞操を守り慰めあう
娘同士の夜伽かね?同年代の同性の唇の筆舌しがたい柔らかさは満喫できたかな?」
レクターはクラエスと当年代の少年のような悪戯心に溢れた眼差しを返した・・・。

故にそう言われたクラエスは同年代の少年に帰す軽蔑の様な嫌悪感を浮かべ、ムッと
した声で言い返した。
「余計な詮索ご苦労様ですレクター医学博士!我が校は残念でしょうが実に健全で、
今来る先生には、先日、読書でですが野菜作りを教えていただきました!」

「ほう『先生』に『我が校』かね。ところで・・・」
首を傾げてレクターは笑いながら話を続けた。
「イタリアに高等な教育とG18のような奇特な銃の訓練までする・・・そんな
『学校』があると聞いてるぞ。」

クラエスは思わず唾を飲み黙り込んだ。
「カルト的洗脳を解除する手法と薬品の開発の課程で『条件付け』なる言換の元、
実質『記憶の書換』の人体実験を行っているという『悪い噂話』が精神医学会である
・・・確か『ナントカ公社』とか言ったかな?」

帽子の鍔の下から、柔らかな視線が頑ななクラエスの視線を捕らえ、覗き込んだ。
「・・・さて、どうでしょうね!」
下唇を噛んだあとクラエスは更にハンニバル・レクターを睨み返して叫んだ。

「・・・ということは『私に味わうところは無い』というのは君は、まさか脳のみを
移植したアンドロイドか?その服の袖を捲ると鋼の肉体でも現れるのかな?」
「まさか!そこまで私は!」
「冗談だよ。でもカーボンやセラミック、強化プラスチック辺りによる部分的な
肉体の強化、補完かね。確かに煮ても焼いても無理だな、クラエス。」
レクターの微笑による目尻、図星を突かれたクラエスの眉間、共に皺は深くなった。

「・・・はい?・・・はい・・・ラバロさん・・・いえ、はい、判りました、ここの番地は」
インカムから"余計なことを話すな"とでも言われたのかと思うと、彼女とは表音
違いの名前を持つ少女がレクターには益々と可愛らしく思えてくるのだった。

「2−6だ。聞こえているのだろう?『大尉殿』。貴様の可愛い教え子の命は守ってやる。
我が愛するクラリス・スターリングFBI捜査官の名に誓ってだ。安心しろ。」
戸惑いがクラエスを襲う・・・自信か・・・油断か・・・。

「ところでクラエス・・・」
レクターは小さな声で話し始めた。

「『読書で野菜作り』とは・・・本で学ぶのは好きかね?」
「・・・おかげさまで。」
サイトをしたままクラエスは言い切った。

「では誰かに読み聞かせをしてもらった最初の絵本は?」
「・・・それが何か?」
「考えてごらん。思い出せるかね?その人は君に何を読んでくれたかな?
『ミッフィー』の物語かね?」

そう語り始めたレクターの目にクラエスはサイトの白いドット越しに何故か
象の眼差を思い出していた。

「『ぞうのババール』なんて聞いたのは何時かな?」
・・・判らない。私の記憶は、ある時間から先は、まるで遠く霧に包まれるように
無くなってしまう。

私が最初に読んで貰った本は何だったのだろう?
本の形は見える。でもその絵本の表紙が見えない。
やがて過去の記憶と同じく、彼女の意識にも静かに霧が流込み輪郭を失ってゆく。
・・・サイトの"標的"が遠くなる。

「思い出せないかね?では君は動物園に行った事があるだろう?誰と行ったのかな?」
レクターの言葉と共にクラエスの前には晩秋の動物園が広がった・・・曇空から
太陽の柱が落ち、誰かに手を繋がれてクラエスは記憶の中の動物園を歩いていた。

「その日、君は父親に連れられて初めて動物園に行った。どんな動物がいたかね?
オランウータン?キリン?」
父親らしき存在と生まれて初めて見た虎やライオン、シマウマ、ペンギン。
初めて見る本物の動物たち。

・・・でも父の顔が思い出せない。

「そして君は初めて『象』という動物を見た・・・」
そう・・・堀の向こうに長い鼻を揺らし佇む象がいた。

「見た・・・かも・・・しれません。」
緩んだクラエスの唇が呟いた。
「父親に抱き上げられた君はリンゴを差し出した・・・」

その時点でクラエスの片耳にある物体は単なるホワイトノイズの発生装置に
なっていた・・・その向こうでラバロが叫ぶ「クラエス!奴の言葉に耳を貸すな!」と
いう言葉は、もはや言葉として存在しなかった。

「・・・象はそのリンゴを鼻で上手に掴み口に運び美味しそうに食べた後、お代わりを
求め君の手に触れた。」
「そうだったかも・・・」
「その鼻先の柔らかさと暖かい鼻息を覚えているかね?」

白い帽子の鍔の先にあるレクターの目とクラエスの構えるG18のサイトが
交錯した手前に広がる幻想の動物園。
幻の象は鼻を伸ばし笑顔を浮かべ鼻先でクラエスの手をモゾモゾと探った・・・
喜んでいた自分、そして背後で優しく見つめる誰かの視線・・・でも顔がわからない。

「その感触がくすぐったくて君は笑った。そうだね?」
「・・・はい。」
「もう少し成長した別のある日、君は動物園の象の見学ツアーに参加していた。
だが一人の愚かな女が無神経にも象牙を金の鎖で編んだ耳飾りをぶら下げていた。」

大きめのサングラスをした女が年に似合わぬはしゃぎ様でツアーに参加する様が
クラエスの脳裏に広がった。
「確かに・・・見た気がします。」

「突然、象は女を睨み付け、鼻先で器用に耳飾りの鎖を千切り切って取り上げ、
泣き叫ぶ女を意にせず、逆光の太陽に耳飾りを鼻で高く掲げた。覚えているかね?」
「・・・はい・・・よく覚えています」
「逆光に浮かんだ象牙の耳飾りと、仲間のへの鎮魂の祈りを捧げていた象の目を
覚えているかね?。」
「かわいそうな・・・象」
「愚かな女と同じで無いなら・・・君がすることは何かな?」
「・・・判りません。」
「まず耳にある飾り物を捨てるんだ。踏みつぶせ。」

そう言われたクラエスは、インカムのヘッドセットを地面に落とし踏みつぶした。
その間、レクターは確実にクラエスと間合いを詰めた。

「良い子だ。銃は捨てなくて良い。射線をずらせ。」
「それは・・・難しいです、先生・・・いえ、ラバロさんの指示に反します・・・
私にはできません・・・」
「無理なら引き指を延ばせ。私のせいにすれば良い・・・相手がハンニバル・レクター
だったと言えば良い。全てを私のせいにすれば判って貰える。」
もはやクラエスの目は虚ろな状態になっている。

「あと一つだけお願いだ。暫くの間、視線を落として貰えないかクラエス。
『君は良い子』だ。」
「・・・はい・・・」
主格の光を失い視線を落としたクラエスに一瞥してからレクターが立ち去ろう
とした瞬間だった。

力強く投擲された一本の杖が二人の間に飛んだ。

「目覚めろ!クラエス!銃を構えるんだ!」
杖を投げたラバロが叫んでいた。

「これはこれは。やっと大尉殿の参上か。」
我に返ったクラエスの視線には、さっきと違い両手を上げたレクターと拳銃を
構えたラバロがいた。

「・・・ラバロさん。私は・・・」
困惑が未だにクラエスの心を離していなかった。
「クラエス!しっかりと構えろ!もっとしっかり!」

片足を引きずり、ラバロは片手のベレッタM92を構えながら腰の手錠が入った
ケースを探った。

「・・・と『先生』が仰ってる。構えたまえクラリス。」
レクターは相変わらず白い帽子の鍔からクラエスの目に語りかけていた。
「・・・はい。」

しかし・・・そういって再びG18でレクターを捉えたクラエスの姿に、ラバロは
何も疑問を抱いてなかった。
レクターに照準を定めるクラエス・・・だがそれは彼の暗示に操られた姿である事を。

「残念ながらゲームエンドだレクター。俺は彼女と違ってあっさりと暗示に
掛かるほどヤワじゃない。」
「それはどうかな?この世は教師が生徒より必ずしも優れてはいるとは限らないぞ
『大尉殿』。だが貴方の『教育』は誠に素晴らしい。実に優秀な生徒だ。」

クラエスが銃を構えたことを確認するとラバロは手錠を取り出しレクターに近づいた。
「『全ての的に命中させるまで帰るな』という命令を真に受けて夕方から
翌日の朝まで雨の中を夜通し射撃訓練したバカな兵士を俺は見た事がない!そこに
いるのは、そんな化け物だ!」

「自分の生徒に『化け物』とは・・・感心しないな。自分の優秀な生徒を少しは
誉めてやるものだ。」
レクターは鼻で笑って言った。

「やかましい!逃げられるとは夢にも思うなよ!」
そう言いながらラバロは焦っていた。

腕を付かせる壁も無い真ん中にレクターは立っていた。
その場にうつ伏せさせるか?いや、奴はそれを使って何かを仕掛ける・・・動かさせたら
全て危険だ。おそらくレクターは計算尽くだろう。
それよりジャン達の前線本部が先程から沈黙している。
応援は・・・他の義体は何をやっているんだ!

「クラエス!レクターが手を出したら手先を連射で粉砕しろ!肘から先が
無くなってもかまわん!」
ラバロは彼が振り出すであろう手綱切りナイフを恐れクラエスに叫んだ。

「おぉ・・・大切に扱ってくれたまえ。私も本職は外科だ。手は守りたい。
だが・・・『大尉』の命令だ。クラエス。」
「・・・はい。」
虚ろな目でクラエスはレクターの手を照準した。

「両手を完全に開け。前後ろに回して掌を見せろ!」
「御覧の通り、種も仕掛けも無いぞ。『大尉殿』。」
ラバロはレクターの手に何もないことを確認し、唾を飲み彼ののナイフ攻撃
レンジに入った。とりあえずM92をポケットに突っ込む。

「よし、ゆっくり手を後ろに回せ。」
レクターの両手はゆっくりと背中に回った。

ラバロが一気に両手に手錠を掛けようとしたその時、振り向きざまにレクターの
帽子が宙を舞いラバロとクラエスが暗闇の白い帽子に一瞬の気を取られた。

              「『まあ掛けろ。一杯飲め』」

そう言ってレクターはラバロの口に何やらの布を当てた。
瞬時にラバロの膝は抜けヨロヨロと崩れ落ち手錠は鈍い金属音を立てて地面に転がった。
レクターはそれを遠くへ蹴り飛ばし同時にラバロのヘッドセットの線をナイフで切り落とした。

「よっこいしょ。さすが『大尉殿』だ。この量で立っていられるとは、誉め言葉で『ゴリラ』だな。」
麻酔薬か?ラバロは意識が朦朧として真っ直ぐ立てない。

「『種も仕掛けもない』なんて台詞は"手品"という嘘の前触れだ。『先生』という
職業は万国を問わず余りにも純粋に過ぎるな。純粋に過ぎて中国製のモトローラ
無線式ヘッドセットは信用できんかね。」

レクターはクラエスとの間にラバロの後ろ襟を掴んで盾のようにすると、その後ろに隠れた。
「そして逮捕術は得手ではなかったか『大尉殿』。軍かね?それとも憲兵隊でも
軍務が主な部隊かね?」
レクターの声は哀れみを含んでいた。

「だがそれは『過去の栄光』だ。馴染んでるとはいえM92なんて『重い過去』に
拘るのは愚かな選択だ。」
激しい心の痛みを突かれたラバロは痛みに負けない全力を注いでレクターの
手から逃れようとするが全く力が入らない。

「杖に頼る者が杖を失った状態で、この私に手錠を掛けるなら慎重にも慎重で
あるべきだったな『大尉殿』。」
ラバロは混濁する意識の中で、手足と同じように意志通りに動かなくなりつつある
口に全力を注いで叫んだ。
「クラエス・・・躊躇せず・・・俺ごと撃て・・・これは・・・」

クラエスの目は宙を泳ぎ、事態の掌握が出来ずにいる。
「ラバロさん!できません!貴方を守る義務が・・・」
勝ち誇ったようにレクターはせせら笑った。
「だそうだ、ラバロ『先生』。それにクラエス、人体は手榴弾1個の防御を十分に
出来る盾だ。覚えておけ。」

「ク・・・ラエ・・・ス、構わずに」
「命令のためには命も厭わずか。そんな価値は私には無いよラバロ『先生』。
『オネムの前のおとぎ話』に教えてやろう。君ら師弟が命を張ってまで私を確保する
理由などないという『私の昔々のお話』だ・・・」

                   ***

「・・・まあこれは私と『奴』との私闘だ。その死肉を期待し群がる下賤なハイエナ達の
仲間に君らはなるのか?。遅くない。全てを私のせいにして任務から逃げろ。」

「そ・・・んな・・・バカ・・・な・・・」
耳元で長い話を聞いたラバロは驚愕と怒りの目で、後ろのレクターに視線を回していた。

「では『大尉殿』、『今日の話はおしまいおしまい』。」
そう言ってレクターは再び布をラバロの口腔に近づけた。

「な・・・らば・・・公社・・・は・・・暗躍・・・に・・・手を・・・」
口をだらしなく開け殆ど気を失いながら未だラバロは呟いていた。

「さてクラエス。私の目を見ろ。『先生』は寝ているだけだ。口元を見たまえ。
ちゃんとお話をしている。」
そう言ってレクターは視線が揺れるクラエスの眼差しをじっと見据えて言った。

「安心しろ。起きたらきっと連れていってくれる。」
レクターの象のような目は穏やかにクラエスを見ていた。
「・・・どこへ・・・でしょうか?」
G18を構えたままクラエスは再び虚ろな目で答えた。

               「もちろん、動物園だ。」

そう言ってレクターは笑った。再びクラエスの脳裏に幻想の動物園が広がった。

「きっとあの象のところへ連れて行ってくれる。そしてあの象は、今度も君の
差し出すリンゴを美味しそうに食べてお代わりをねだる。」
「はい・・・」
「今度は二つ目のリンゴを持って行きたまえ。では・・・引き指をサムガードに掛けろ。」
「・・・はい。」
「そこにある私の帽子・・・失うには惜しいが拾っている暇はないようだ。君への
プレゼントになれば本望だ。君が被るには向いていないが『いいもの』だ。」

クラエスは、薄目を開けてレクターに向かって必死に問いかけるラバロの横に
転がった白い帽子を見た。
「そう、そのまま帽子を見るんだ。そのままだ・・・では今度こそ『おさらはスプーンと
いっしょにおさらば』だ。良い娘でいてくれ。さようなら、愛するクラエス。」

                   ***

「・・・という報告が入った。では諸君・・・『高潔なるハンニバル・レクター博士』に
於かれましては我々と次元が違いファーストクラスか、ビジネスクラスが我慢の
限界だそうだ・・・全合衆国の大西洋線、及び接続線の入る入管に直ちに非常線を張れ。
『これで貴女は幸せかな?』ミズ・クラリス・スターリング?」

そういわれた女性は振り向きもせずに答えた。
「いいえ。彼にとっては大西洋線の上級クラスなんて、殆どの航空会社なら
ラスベガス並の耐えられない場所よ。むしろ団体客に紛れてエコノミーでくるわ。
ミスター・ポール・クレンドラー。」

そう言い返された男は肩をすくめて冷笑した。
「・・・なんだそうだ。重要参考情報で流したまえ。」

そう部下に告げた男は、机も立場も部屋の隅に追いやられた女の元に近寄り語り始めた。
「さて、この辺で君が貯め込んだ私への借りを確かめようじゃないかクラリス
『元』捜査官。」
男の声は軽蔑と冷徹、高慢に満ちていた。

「残念ながら私は勘定に細かい男でね、ドンペリニヨンのヴィンテージ物は
勿論だが、スプマンテのフェッラーリでもシャンパンのニコラ・フィアットの
NVでも相手の男の懐具合に気も掛けずガブガブと飲む様な女は絶対に容赦しない
主義なんだ。判るかね?」
男は勝ち誇ったように言った。

「『ドンペリニヨン』・・・本当に貴方にはお似合いな銘柄ね、ミスター・ポール・
クレンドラー。」
女は軽蔑と冷静、自信に満ちた目で見上げ返した。

「・・・覚悟しておけよクラリス。私のプライドのグラス売りは恐ろしく高く付くぞ。」

                   ***

夜が明けて、全ての闇を拭うように青空があった。

「この件で・・・クラエスを余り責めないでください」

そのセリフがラバロの疑念を一層掻き立てた。
レクターに盛られた「駆けつけの一杯」の頭痛を吹き飛ばすだけの破壊力があった。

そもそも「ご無事でなによりです」という歯の浮いたような言葉をジャンが
最初に口にすることからして、ラバロにとってはハンニバル・レクターの話の
アウトラインを埋めるには十分すぎる状況だった。

「冗談ではない。明日からでもクラエスは鍛え直す。余りに詰めの甘い失敗だ。
何か文句があるのか?」
「心配には及びません。大量の毛髪など、帽子本体が証拠物として保存の必要が
ないほどのDNAを得た事で作戦は成功、クラエスは任務を全うしました。」
「つまり・・・奴がフェル博士を名乗りフィレンツェに居て既に逃亡したという
事実で十分だと言うことか!?」
「その通りです。存在と動向を掴めただけで・・・」
「なぜ応援を集結させなかった!?」
「彼の『言葉』に他の義体が感情の混乱を起こしました。よって貴方と一部
作戦中枢以外の無線を遮断しました。そして大尉からの無線も故障で万事休すです。」
「ではなぜ『大人』の貴様らだけでも集結しなかった!今回の作戦参加の面子は
全員そろって腰抜け揃いか!?」

ジャンは一瞬、何かを言い掛けて、視線を逸らし答えた。
「・・・そんな価値のある作戦ではありませんから。」

ラバロの怒りは一気に沸騰した。
「『そんな価値』だと!?」

「公社2課が・・・多数の人的犠牲を出す作戦では・・・」
「ではクラエスと俺は『計算内』という事か!」
「・・・大尉ならば・・・無事に『戦果』を得られるかと。」

ラバロの瞳孔が収縮した。
「ならば聞く。レクターの言ったことは本当か?」

瞬時にジャンの瞳孔もまた一気に収縮した。
「リコ。少しあっちに行ってなさい。」
「はい。ジャンさん。」

遠くのカラスが何かの鳴き真似をする様が気になっていた短髪の少女は、
微笑んでその場を離れた。

「あの娘にこの場を外させるとはレクターの話した事は薄々は判っているのだな。」
ラバロはジャンのサングラスを突破る程の視線を向けた。

「・・・さて、どのような件でしょう?」
ジャンは俯いて吐き出すように静かに話し返した。

「『何人もの年端も行かぬ少女を悲鳴の内に犯しながら、親の頬を札束で叩いて
事無きを得たが、ついに悪運尽き、法の下に裁かれる寸前で『心神喪失』として
免責を画策するも、主治医になったレクターによって、己で顔の皮を引き剥ぎ犬に
食らわせ、ナルシズムに浸る己が美貌と、安眠を導く瞼を失う永遠の苦しみの天罰を
下された者』メイスン・ヴァージャーの復讐に我々社会福祉公社が荷担してるという件だ!」

暫くの沈黙が続き風の音とカラスの鳴き声が響いた。

「『ハンニバル・レクターを出来る限り生きた状態で拘束願う。無理ならば有る
限りの動向情報を収集願いたい。』これが米国法務当局からの依頼です。ただ
それだけの・・・話です。他に何か?」

ラバロの肝心な疑問にジャンは応えなかった。

「逃げずに答えろ。"医学博士"ハンニバル・レクターの言った事は本当か!?
米国法務当局とヴァージャーからの依頼でどんな貸しを作った!?あるいは幾ら貰った!!!」

地に余りの強さで突き刺されたラバロの杖は曲がらんばかりの加圧でブルブルと震えた。

「公社2課の維持に・・・私は総てを賭けています。」
そう言う若者の唇には微笑みの緩みさえ浮かんだ。

「貴様の総ての名誉と・・・引き替えにしてもか!」
初老の男は青年のように叫んだ。

「時に・・・知らなくて良いことはこの世に幾つもあるものです。大尉なら御判りかと。」
サングラスの内からジャンの目が冷たく此方を見ているのは判っていた。
・・・反抗、又は殺意にも似ていた。

「それが・・・元とは言え上官に対する答えなのだな。」

その冷たさが後ろめたさと怯えを含んでいる事もラバロは見抜いていた。

「ならば俺と貴様が居た場所での作法で再び教育してやろう。奥歯を噛め。
そして・・・恥を知れ!!!」

サングラスが宙を舞った・・・張られた頬を押さえる事無く冷たい裸眼で睨み付ける若者と、
溶岩にも似た熱き怒りに満ち溢れた目で睨み返す初老の男・・・。

「・・・リコ。やめなさい。」
若者はそう言ってラバロに銃口を向けた少女を制した。

「復讐の果てに・・・恥すら忘れたか。見損なったぞ。」

「復讐の果てには・・・恥すら忘れます。貴方には判って欲しかった・・・貴方には・・・。」

                   ***

少し離れた場所に止まったフォード・マーヴェリックの助手席でクラエスは
男物の白い帽子を両手で抱き遠くの空に一筋に引かれて行く飛行機雲を見ていた。
何時か何処かで誰かと見た風景・・・でも思い出せない。

         「君は親が読み聞かせた絵本を覚えているかね?」

ハンニバル・レクターの言葉と"象のような目"が記憶を横切り一筋の涙がクラエスの頬を伝った。

            それは何れ来る別れの予感でもあった。

                   ***

その遙か上空彼方・・・米国本土とは方向違いの「正にラスベガスに等しい」近年話題の
リゾートの島に向かって、その飛行機は飛んでいた。

「私の行き先がそこだと君は考えないだろう。残念ながら君は・・・私の一面を
知りすぎているのだよ、クラリス。」

男の目論見は足跡をローンダリングする事と、ビーチも、増してやカジノにも
足を運ばぬカーテンの暗闇の中の暫しの休養、そして「味覚の更なるリハビリ」・・・。

日取りの関係か客の少ないファーストクラスの端席。
予約でヴェジタリアンだという男の前には、暫く前にこれから他の客に対して、
これでもかと言わんばかりのファーストクラスのサーヴが始まるよりも先に
小綺麗なフルーツプレートが置かれていた。

「先日、貴社の便にてフルーツプレートをお願いしたらリンゴとバナナと
オレンジの3つをそのまま渡されたよ。私は動物園のゴリラかね?今度は
勘弁してくれたまえ。」

そう念を押した事はある・・・鮮やかな果物が、研ぎ澄まされたメスで割いたように
丁寧に飾り切りされて並び、彼の視覚を満足させるには十分なものであった。
過去に口にした様々な「 肉 」を思わせる鮮やかさ。

所詮は機内食向けとしてチマチマと使われたキャビアやフォアグラなどには
興味すら沸かなかった。

・・・いや、クラリスに逢える前の自分は、せめて一時、あらゆる動物から奪った
肉を絶ち、偶然に出会った少女の救いに感謝の精進を捧げようではないか。

増してそれが聖杯を共とする酒肴であるなら尚更・・・。

ハンニバル・レクター医学博士はそう考えていた。

「故に遠回りと多少の我慢をしても選んで飲むべき酒がある・・・そう思わないかね?
クラリス。」
彼は独り言を言うと事前にヴィンテージまで指定して搭載を依頼していたサロンを
独酌した。

「まもなく出会う君と、君と似た名前を持った少女と出会えたことに・・・感謝を。」
サロンの瓶にレクターはグラスを当てて乾杯した。
そして彼は遠くなって行くイタリア半島を振り返る様に見つめて言った。

           「今日の御話はこれでおしまい。」

                          Ta-Ta・・・"H"

               〜エピローグ〜

           まもなく4つの命がこの世から消えた。
 
全身を自ら育てた凶暴な猪の血を混入した豚に食い尽くされた米国財界の大物、
メイスン・ヴァージャー。
脳の前頭葉ほか数カ所を持ち去られ出血多量ショックを起こした米国法務省高官、
ポール・クレンドラー
対策組織の要員個人を狙ったテロと見られる轢逃げで全身打撲を受けた
クラウディオ・ラバロ(元)伊憲兵隊大尉。

そして一人の少女が歩んだ二度目の「記憶という名」の命だった。

       しかし・・・既に少女の三度目の短い命が始まっていた。

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